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第29話 ギルマスの一日の始まり
しおりを挟むメルリアはいつもの通り朝の準備を進めている。
彼女の毎日のルーティンは、身支度を済ませたあと、ギルドの玄関扉前を掃き掃除することだ。
今朝もすでに終わらせている。
ギルドの開所時間は午前7時30分。終業時間は午後23時30分だ。一応、深夜番の者を置いて、不測の事態に備えてはいる。
メルリアの一日は、その深夜番の者に勤務終了の挨拶を告げ、自身は玄関扉の前を掃除するところから始まる。
もちろん、「自分の家」がないわけではない。
が、余程のことがない限りは「家」に戻ることは無い。
このギルドに基本、寝泊まりしている。というか、住んでいる。いや、棲《す》んでいると言った方がもはや適切かもしれない。
メルリアはこのヴィント公領の領主でもある。
彼女の「家」はつまり、ソードウェーブ城砦だ。
では、公務の方はどうしているのかと、疑問に思うものも多いだろうが、そこは1000年以上を生きる彼女のことだ。すでに何人もの優秀な政務担当官を育ててきている。今さら彼女が公務の全てに目を通さなければならないなどということは無い。
それに、彼女は魔術士でもある。しかも、途轍もない高位の、だ。
このギルドと城砦ぐらいの距離であれば、「魔法通信」で、事足りる。
もちろん、城砦の政務担当官の7割以上に「魔法通信」を使える魔術士を配置しているため、緊急の時でも問題はないわけだ。
メルリアは、ギルドの玄関前の掃き掃除を終えると、朝食を採り、ギルドのホールへ下りてゆく。その頃には、職員たちが出勤し始め、それぞれの担当をこなし始めるので、メルリアの仕事はほとんどない。
ただ、報告や相談に応じ、7時30分を待つのみだ。
開所から1時間の間は受付窓口の一番奥の自分の席に付いているが、8時半になる頃に、2階の執務室へと場所を移す。
ここからが日によって違うのだが、大抵の場合は、「着替え」を始める。
つまり、装備品を付けるわけだ。
現在メルリアは、冒険者クラスの中でも最上位の金剛石級に位置する。
そして彼女の主な「仕事」とは、このソードウェーブ地下ダンジョン『試練の迷宮』の管理である。
通常、このソードウェーブに残る冒険者は、それほど高位の冒険者は少ない。この街はあくまでも冒険者たちの「はじまりの場所」であり、「終着点」である。
現在現役真っ只中の冒険者は、世界各国に現れる「新生迷宮」や「湧き地点」、「澱み」などの対処を行っているためだ。
つまり、『試練の迷宮』の最下層にまで問題なく到達できる冒険者など、メルリア以外には居ないわけだ。
なので、彼女自身の足で、迷宮内を探索し、異常個所がないかを確認するという仕事を担っている。もちろん、なにかしら異常があれば対応するつもりで動いているわけだが、これまでにそういったことは全く起きていない。
しかし、万一、この『試練の迷宮』で、問題が起きれば、冒険者たちにとてつもない心配と苦慮、もしくは残酷な結果を生み出しかねないため、こればかりは、やめるわけにはいかないのだ。
――でも、今日は……。
メルリアには「予感」が在った。
この能力が何なのかはわからない。が、ある程度、なんとなくこうなるのではとふと脳裏をよぎる、そんな感覚に気が付いたのはもう遠い遠い昔の話になってしまった。
――とても大切な人がこのギルドを訪れる。だから、今日は執務室《ここ》にいないといけない……。
先日の話――。
『メルリア。ごめんなさい、急に。実は私、「希望の種」を見失ってしまって。その子がもしあなたのところへ来たら、連絡してほしいの――。頼んだわね?』
という、「お告げ」があった。もちろん、声の主はエリシアさまだ。
この方は、いわゆる神さまだ。
この『クインジェム』を創造した方、らしい。
「らしい」というのは、メルリアがその現場を見たことが無いからそういうのであって、はっきり言えば、メルリアにはその信憑性などどうでもいい話だ。
彼女は自身の生業上、常に「現実主義」である。
基本的には自分の目で見たことを一番に信じる質だ。
もちろん、職員たちや冒険者たち、その他の人々の話を全く聞かないというわけではない。
むしろ、多くの情報を手に入れるためには、そういったものたちの言葉には耳を傾けなければならないと、常日頃から思っている。
これは、「父の教え」でもある。
その上で、疑問に感じたことや、確かめる必要があることは自分の足で赴いて、自分の目で見て、自分の耳で聞くのだ。
彼女こそ、生粋の「冒険者」であり、全ての冒険者の在るべき姿の「体現者」でもある。
執務室で遅めの昼食をとっていた頃、扉をたたく音がした。
「どうぞ、開いてるわよ?」
と、返すメルリア。
かちゃりと扉を開けて入ってきたのは、受付事務長のポーラだ。
「ギルマス、お食事中失礼します。ギルマスに取り次いでほしいという二人組が参りました。いかがいたしましょう」
落ち着いた口調でポーラが言った。
彼女は新生精霊族の女性で、魔術士でもある。短く切り揃えた金色のショートヘアがよく似あう才色兼備な女の子だ。
「わかりました。5分で準備を済ませます。5分後に応接室へお通しして」
メルリアも落ち着いて答える。
ポーラは驚くこともなく、ただ、わかりましたとそう言葉を置いて去って行った。
――やはり、来ましたか。
まったく、この「予感」の的中率の高さよ。まあ、これのおかげで、迷宮から慌てて戻るなんてことはほとんどないし、私がここにいる時は、誰かが来るんだろうというような空気感が受付事務官の間にも広がり、慌てることが無いのだが。
メルリアは急いで昼食を済ませ、応接室へと向かった。
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