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 突如として智徳が笑みを浮かべながらも涙をこぼした。それも左右のまなじりから同時に。
「我慢なぞするな、抱えておると押しつぶされるぞ」
 そんな智徳のせりふを耳にしたとたん、伊兵衛のほおをぬらすものがあった。
 ハッとなって手を当てると透明なしずくが指先をぬらす。
 泣いていた。幼子ではあるまいし、とただ黙って耐えていた感情が形を得て表に姿を現している。
 同時に自覚した。
 自分は泣き出したいほどに悲しかったのだと。
 ただその気持ちを認めてしまうと“独り”の自分は耐えられないと無意識のうちに涙を拒んでいたのだ。
 だが、泣いていいのだと師の兄弟弟子にやさしく説かれ、つっかえ棒がとれるようにして感情が動いた。
 段々と息が苦しくなってくる。
 それに耐えようとすると、呼吸の音が嗚咽に変わった。
「悲しいな」
 そんな彼に智徳がやわらかな声で聞く。
「はい」
 伊兵衛はその言葉に大きくうなずいた。その動作が引き金となったように、さらに大量の涙がこぼれる。
 ついにはたまらなくなって伊兵衛へ声をあげて泣いた。

 四半刻ほど経っただろうか。
 伊兵衛は師の死からこっち感じていた息苦しさのようなものが消えすっきりしていた。
「いい、供養であった」
 己の涙をぬぐいながら智徳が笑う。そして、ふいに表情を引き締めた。
「されば、お前さんの出生の秘密について語ろうか」
「はい、よろしくお願いします」
 胸を満たしていた悲しみが消えた部分に気力が充満している、そんな心地をおぼえながら伊兵衛は応じる。
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