江戸心理療法士(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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 そうやっていくつもの感情が心のなかで交錯し、伊兵衛は頭のなかがこんがらがっていた。とても落ちついてはいられない。
 と、突如として部屋の廊下につながる障子が開け放たれた。
 かすかに疑問の声をもらし、伊兵衛は目を剥く。
 部屋の外にはたおやかな細身の女性がたたずんでいた。
「あなたは」
「智徳様の住処の前でお会いした者です」
 そう、智徳に世話になっているという娘だ。
「らくと申します」
 名乗りながらも、躊躇なく部屋に踏み込み後ろ手に障子を閉める。その顔にはいたずらっぽい笑みが浮かんでいた。
 とたん、伊兵衛は我に返る。あっけにとられている場合ではない。こちらに気取られることなく部屋の前に立った相手の隠形は油断のならないものだ。
 電光の速さで脇の大刀へと手がのびる。まばたき一つの間に抜き打ちの姿勢をとった。
 が、らくはあわてるようすなどみじんも見せない。
「見事な業前ございますね」
「用向きはなんです」
 伊兵衛はらくとは対照的な態度で詰問した。もとより、屋敷に勝手に忍び込むなどの非礼を責めたところで反省するような相手ではないと思い、そういったやり取りは省略したのだ。
「智徳様は宗門のもとにはおられませんよ」
 子供の早とちりを指摘するような口調でらくは応じる。
 む、伊兵衛はおどろきを隠せなかった。
 宗門のもとに捕われていると思い込んでいたというのと、この時分に姿を見せたのだからむめの手の者だとらくの正体を推測したのだがどうも違うようだ。
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