江戸心理療法士(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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「そこで熱心に話を聞いておられた仁がおりまして、今日、店を訪(おとな)うのです。なんでも“狐にでもとり憑かれたとしか思えない”ようなようすをご子息が見せておられる、ということで」
「狐に憑かれている」
 彼の言葉を伊兵衛はくり返したものの、正直困惑している。
 尋常ではないものはひとまとめにして“狐に憑かれた”などと表現されるが、その実状は様々だ。当然、治療法にも違いがある。ために、詳細がわからないとなんともいえない。
「くわしく話をお聞きしたところ、『駕籠に乗っていたところ急に脈が乱れ、身震いに襲われ、胸が痛み、大声で叫びだしそうな心地がした』ということがあったともうされておりました」
 なるほど、と伊兵衛はうなずく。御先神(みさきがみ)憑き――後世の言葉でいうパニック障害、だ。間違いなかった。
「しかし駕籠を降りてしばらくすると、なんともなくなったとか。そのときだけではなく、舟に乗っているときも、狐が暴れるということで、当人も店の主人である父御も困られております。なにしろ、山野屋は材木を商っておりますれば」
 後半は伊兵衛にとってはどうでもいいことではあったが、前半の“舟に乗っているときも”という点は確信を強めることになり有用だった。
 御先神憑きは、自由の制限された状況で襲われやすいというところに特徴がある。後世の研究によれば、一〇〇人に二人から四人は一生のうちに一度はかかる病であることがあきらかになっており決してめずらしい病気ではない。
「どうにかなりますでしょうか」
「ええ、手におえると思います」
「それではお願い――」
「お断りします」
 太兵衛が改めて頼みかけたところで、伊兵衛は思わず「否」と答えていた。
 さすがにこたびは同情してくれず、太兵衛は白い眼をこちらに向ける。
 気まずさを誤魔化すために伊兵衛はひとつ咳払いをし、
「お引き受けいたします」
 と相手に聞き取れるか聞き取れないか、という声で応じた。
 そして翌日。さっそく、伊兵衛は患者のもとを訪れる。店の手代に案内されたのは大店の呼び名に似つかわしい離れだ。
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