引きこもり侍始末(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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 生きているのは一重にあきを案じているからだ。
 ただ、その一念だった。
 時は寛政四年、十一代将軍家斉の治世。

       ● ● ●

 数刻後、宗左衛門の姿は本郷湯島の組屋敷の外、浅草川(隅田川の下流部分)の岸辺にあった。月見の名所のひとつだ。ここ以外に月見の名所は、武蔵野、玉川、品川、真崎、深川州崎、立川、鉄炮洲、湯島天神などがある。当時、月見は中秋の名月と、その一月後の十三夜、後の月に行われていた。
 彼が出歩くことができる刻限が訪れたのだ。この時代、町木戸は夜四つには錠がかけられてしまい、江戸勤番武士も門限があるため夜も遅くになると江戸の町の表からは人けが絶える。
 そうなれば、宗左衛門が外出できる環境がととのう。その装は、打刀を一本ざしにした浪人態へと様変わりしていた。“内藤宗左衛門”として夜な夜な出歩くとよからぬ噂が立って妹に迷惑をかけるかもしれない、そう考えて変装している。これで、あきの朋輩に万が一見咎められることがあってもすばやくその場を去れば言い訳が立つ。
 そもそも、かような刻限に外に出ているのは彼は後世でいうところの対人恐怖症だからだ。ために、日中はなかなか外へと出ることができない。だが、不思議なもので人の視線が恐ろしいからと部屋にこもっていると、それはそれで精神的に鬱屈してくる。ために、こうして人けがなくなったところで他出するようにしているのだ。あとは、気散じと内藤家の内証を少しでもよくするために内職に励んでいる。手先が器用なので意外にこれがいい稼ぎとなっていた。看板や本の版下の文字を書くのだが、特殊な技能のためにそれだけの多くの収入をもたらしている。ほかにも植木や植物の栽培を内職としておこなっていた。
 かすかな風が群生するすすきを踊らせ、静かな神楽を植物が演じているような風情がある。
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