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 それから、助之進たちは戸塚まで足をのばして宿をとった。むろん、乏しい路銀を考慮して木賃宿だ。戸塚は江戸見附と上方見附の間の二〇町十九間を宿内とし、延宝四年には矢部、吉田本町に伝馬宿が許可され、以後「戸塚三カ宿」と呼ばれ旅籠は最盛期に七十五もあった。そのなかでも最底辺の宿が今夜、助之進たちが骨を休める場所だ場所だ。昼間のことで疲れているが、旅の出だしで贅沢などしていては途中から物乞いをしなくてはならなくなるのは目に見えている。
 吉田元町の桔梗、岡松、成瀬、大海の四軒の飯盛旅籠はその規模の大きさから東海道をゆく旅人にはたいそうよく知られていた。飯盛旅籠とは飯盛女を置く宿で、飯盛女とは娼婦のことだ。相模女の奉仕は抜群であったらしい。
 だが、それも助之進たちには関係がなかった。さような者ども、自分には無用の長物――助之進の思いは一途だ。
 夕餉を終え、表にひと気が絶えたところで助之進と晴幸は木剣を手に表に出た。
 たかだか護摩の灰相手に臆したことを悔い、ふたりは旅の空の下でも稽古をつづけることにしたのだ。木剣は近くの森から持ってきた棒を削って作った急ごしらえの物だった。
「よし」「やろう」ふたりは声をかけあって木剣を構えた。助之進は八相、晴幸は青眼だ。
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