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幕間
まだ、尼子が滅びることになるなど誰も想像だにしなかったころのことだ。
樽の縁の上で未成熟な体が自在に躍動する。忍び装束に身をつつんだ年齢相応に小柄な人影、齢七つの金介はあかるい表情を浮かべていた。場所は茅葺屋根の住処の近くだ。周囲に広がる景色は山間(やまあい)のそれだった。緑の色彩が視覚の大半を占めている。
修行の成果が目に見えてうれしい。この鍛練をはじめた最初のころはなかになみなみと水をいれていたものだが、今や中はほぼ空だ。そんな樽の上で均衡を保つのは常人には不可能だろう。それだけ金介の忍びの業前、軽身(かるみ)は上達していた。
彼のすぐ近くで小さな悲鳴があがる。
声のぬしは妹だ。同じ鍛練に臨んでいたのだが転身に失敗して落下した。地面にうずくまって涙目になってこちらを見上げる。大きな目を縁取る長いまつ毛がせわしなく動いていた。
「兄上」とか細い声でこちらを呼んだ。
まったく――金介は胸中で嘆息する。忍びとして妹はなんともなさけない。
だが、一方で仕方がないのでは、とも思っていた。
人間に得意、不得意があるのは忍びの先達を見ていてもわかる。手裏剣打ちの腕が卓越している者もいれば、七方出にすぐれている者もいるものだ。忍びの業のことごとくを不得手とする者がいたとしても不思議ではない。
したが、我が一族にさような言い分はゆるされぬ――。
樽を身軽に下り、音もなく妹の側に金介は着地を決めた。そのあざやかな手並みに泣きそうになっていた妹の目が丸くなる。
「兄に感心している場合か、千代(ちよ)」
先ほどにも増してあきれの思いが強くなった。
「さようなことをいっても、兄上」
千代がいじけるような声を出す。
さすがに父母の前ではそんな態度をとることはないが、兄の妹への甘い部分を無意識のうちに察してか余の者がいないときは妹は忍びらしからぬ気性をのぞかせやすかった。
まだ、尼子が滅びることになるなど誰も想像だにしなかったころのことだ。
樽の縁の上で未成熟な体が自在に躍動する。忍び装束に身をつつんだ年齢相応に小柄な人影、齢七つの金介はあかるい表情を浮かべていた。場所は茅葺屋根の住処の近くだ。周囲に広がる景色は山間(やまあい)のそれだった。緑の色彩が視覚の大半を占めている。
修行の成果が目に見えてうれしい。この鍛練をはじめた最初のころはなかになみなみと水をいれていたものだが、今や中はほぼ空だ。そんな樽の上で均衡を保つのは常人には不可能だろう。それだけ金介の忍びの業前、軽身(かるみ)は上達していた。
彼のすぐ近くで小さな悲鳴があがる。
声のぬしは妹だ。同じ鍛練に臨んでいたのだが転身に失敗して落下した。地面にうずくまって涙目になってこちらを見上げる。大きな目を縁取る長いまつ毛がせわしなく動いていた。
「兄上」とか細い声でこちらを呼んだ。
まったく――金介は胸中で嘆息する。忍びとして妹はなんともなさけない。
だが、一方で仕方がないのでは、とも思っていた。
人間に得意、不得意があるのは忍びの先達を見ていてもわかる。手裏剣打ちの腕が卓越している者もいれば、七方出にすぐれている者もいるものだ。忍びの業のことごとくを不得手とする者がいたとしても不思議ではない。
したが、我が一族にさような言い分はゆるされぬ――。
樽を身軽に下り、音もなく妹の側に金介は着地を決めた。そのあざやかな手並みに泣きそうになっていた妹の目が丸くなる。
「兄に感心している場合か、千代(ちよ)」
先ほどにも増してあきれの思いが強くなった。
「さようなことをいっても、兄上」
千代がいじけるような声を出す。
さすがに父母の前ではそんな態度をとることはないが、兄の妹への甘い部分を無意識のうちに察してか余の者がいないときは妹は忍びらしからぬ気性をのぞかせやすかった。
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