忍び切支丹ロレンソ了斎――大友宗麟VS毛利元就(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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「もうしわけありません、『実盛』はちと」
 と返答したところで、店の者が琵琶と撥を持ってきてロレンソに渡す。
「そなたの腕前はなかなかと聞くぞ、期待しておる」
 鹿之助が期待にこもった目をこちらに向け耳をそばだてた。
 いたしかたない、とロレンソは琵琶と撥を構える。が、指が見えない巨人の手でにぎりしめられているように動かない。
 どうした、といぶかしげな空気がかすかに流れ出したところで、
「入日傾く屋島潟 さっと乗り入る海の面」
 力強さと玄妙さという相反する響きを持った琵琶の音、そこに朗々とロレンソの声が加わった。音色と声音が空間を変質させる。
「わたる潮風いと強く 打ち込む波の高ければ 駒の足掻きの定まらず 扇も風に堪らねば」
 その場の空気を楽器と人が渾然一体となって織り成す音楽がふるわせる、振動させる、揺れ動かす。
 耳に染み入る声と音。屋内の者は水面を幻視し、波のひびきを幻聴し、ありえぬはずの潮の香りを嗅いだ。
 ロレンソが選んだのは『那須与一』だ。
 源義経が暴風雨をついて四国に渡り、屋島の仮の御所を急襲した。平氏は沖へとのがれ、その日の夕方、彼らの軍船の間から扇をかかげた小舟が現われたのだ。舟の上では美しい女房が陸の源氏に向かって手招きする。義経は年若い弓の名手那須与一に扇を射よと命じる。与一は駒を海に乗り入れて故郷の神々に念じて、早春の風に波間に揺れてひらめく扇を見事に射落とすのだ。
 やがて、演奏は終わりを迎える。
「矢声は掛けて切って放つ 矢音は浦に鳴り渡り 要際よりふっつと射切る」
 琵琶とロレンソの声の余韻が消えると静寂がひろがった。直に耳にする演奏の達者の奏でる音はそれだけの迫力を聞く者に感じさせるものだ。
 しばしののち、「見事」と鹿之助が力強い声でロレンソを褒め称える。それに一党の者も追従した。
 この日、襲撃を受けてからこっち、はじめて心からの笑みをロレンソは浮かべた。
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