笑う死霊家臣団 (別名義、別作品で時代小説新人賞最終選考落選歴あり)

牛馬走

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チャプタ―84

チャプター84

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「恐ろしゅうてたまらぬで、あろう? 満足いたした、退散することと――」
「そのようなことはありませぬッ。どのようなお姿でも、父上にお帰りいただき、雪は――!」
 自嘲の笑みを浮かべる侍に、娘は必死に「否」と訴える。
 いい女性(にょしょう)に育った――こんなにも心根の優しい娘に育ってくれたのなら、親としてこれ以上にうれしいことはない。
 その姿に、若き日の今は亡き妻の姿が重なった。そうだ、あの世には妻女がいるのだ――大事なことを思い出し、この世への心残りが余計に薄れる。
「雪、向後の生計(たつき)は立ちそうか?」
 ただひとつ心残りなことを尋ねた。
「叔母上が縁談を持ってきて下さりました」「相手は?」
「剣物(けんもち)家の助六様でございます」
「あの御仁か、ならばおことの向後は安泰だな」
 娘の返答を聞き、侍の死霊は胸をなでおろした――身体などもはや失っているというのに、それでもそんな感覚をおぼえるのだから不思議だ。
「――父上、今宵一晩でも構いませぬ、どうか側に居て下さいませ!」
 父が成仏しそうな気配を察したのか、雪は懸命に言葉を重ねる。
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