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第二章 ミューレ海渡航篇
#08 船出と旅の理由
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そうしてその後は丸一日買い物に費やし、結局三人がカルビナを発ったのは、その翌日のことだった。日が昇ってからそれほど経たないうちに、港のある入江から船は出航した。
雲一つ無い快晴の下、船の甲板でリーシャは大きく背筋を伸ばした。
「んっ~~! 絶好の船出日和ね!」
その隣ではミィナも舷縁から身を乗り出し、涼しげな風に当たっていた。ふと振り返ってリーシャを視界に収めると、舷縁に寄り掛かるような形で立ち、遠慮がちに口を開く。
「あの、お二人は……どうして旅をなさってるんですか? そういえばまだお聞きしてなくて……」
「あれ、まだ言ってなかったけ」
確か二日前、リーシャと森を歩いているときに話していたのは、“ドラゴンを探しに来た”ということだ。そしてキメラを撃退した時には“自分たちが追っていたのはアイツだ”とも言っていた。そこから大体の理由を推測は出来るのだが、しかしやはり真実を知りたい。
問われたリーシャは、どう答えれば良いのか迷っている様だった。眉間に谷を刻んで腕を組む。
「うーん……ちょっと説明が長くなるかもだけど大丈夫?」
「はい」
ミィナが返事をすると、リーシャは一度だけ小さく頷いて話し始めた。
「うん。じゃあまず、レイクスティアが三つの地域に分けられてるのは知ってるでしょ? 一つは今私たちが向かってる“ノーザニス地方”――北部一帯の山岳地帯がそうね。もう一つが、レイクスティア東部に広がりエルフ族が住まう“大森林”。そして最後に、レイクスティア南部から西部まで国土の半分以上を占めてる“人域”。……まぁそれが差別的な言い方だっていう人は、ただ“平野”って呼ぶこともあるけど」
「はい、それぐらいは一般常識ですしちゃんと分かってます」
「うん、なら良いの。で、三分割されてるレイクスティアなわけだけど、大昔に大規模な戦争があって以来三種族が平和協定を結んだお陰で、何百年もの間大きな争いも無く歴史が継がれてきたのよね。でもそれが成り立ってるのって、互いの力関係の釣り合いが保たれてるからなの」
「釣り合い……ですか」
「人間は数、竜人族はドラゴンとの意思疎通能力――要するにドラゴンを味方に付けられるってことね。で、エルフは魔法」
と、そこまで話したところで、ミィナが何か納得がいかない様子で口を挿んだ。
「えっと……でも人間にも魔法は使えるんじゃ?」
「ううん、人間が魔法を使えるのは魔法道具があるからなの。それに対してエルフは魔法道具無しでも魔法が使える……。たぶん保有魔力上限の違いが理由だと思うんだけどね」
リーシャが質問に答えると、ミィナは感心したような顔で満足げに頷いた。
「でもいくら力が拮抗しているって言っても、いつその均衡が崩壊してもおかしくないじゃない? だからエルフ族は、各種族に戦争を引き起こさんとする不穏な動きが無いか監視する意味で、レイクスティア各地に散らばって暮らしてるのよ。もちろん皆じゃなくて、選ばれた人だけだけど。あ、これ本当は人間に話しちゃいけない決まりになってるから誰にも言わないでね」
小悪魔めいてそっとウインクをするリーシャだが、それって結構重大なことなんじゃ……と、ミィナの方が心配してしまう締め括りだった。しかしリーシャはそんなこと気にも留めず、更に言葉を紡ぐ。
「で、そのエルフの仲間たちから相次いでドラゴンの死体の発見報告があって……、それで私がその原因を調査するために旅に出たわけ。まぁ、この前ようやくそれを突き止めたし、これからはキメラの討伐……になるのかな、目的は」
他にも、何故その役目を担ったのがリーシャであるのかや、ラトと共に旅をすることになった経緯など話していないこともあるが、それはまた次の機会で構わないだろう。とは言え、ミィナに訊かれたなら別に隠す必要もないので素直に答えようと思っていた。
しかしミィナが食い付いたのは、予想から少々外れたポイントだった。
「でも……王国全体でドラゴンの数が減っているのでしたら、キメラの所為だとは言い切れないんじゃないですか?」
「え? ああうん、その通りだけど……。でもよくそこに気が付いたわね。確かに、発見されたどのドラゴンの死骸も、全てが何者かによって食い散らかされてたらしいんだけど、でもだからと言ってそれが全部キメラの仕業だっていう証拠にはならないわよね。だからそれをそのまま、おと――……里の長老に報告するわけにもいかないし、だったらキメラを討伐しちゃえば手っ取り早いじゃない? まぁ、そんなところかなー」
「な、なるほど……」
そもそもドラゴンとは、王都の対ドラゴン戦のプロである竜討伐部隊でさえ十人掛かりで挑むほど強大な存在なのだ。きっと小さな村程度なら一晩で焼き尽くせる力を持っている。しかし相手はそんなドラゴンをも倒してしまうキメラであるのに、“討伐しちゃえば手っ取り早い”などという発想が浮かんでくることに、ミィナは唖然とする外なかった。
だがそうも言ってはいられまい。ラトとリーシャと行動を共にすると決めた以上、二人に迷惑はかけられない。自分も強くならなければ。その意志を、ミィナは一層固く心に刻んだ。
その時ミィナの胸の前で、何かがキラリと陽光を反射して、それに気付いたリーシャがミィナの名前を呼んだ。
「あれ? ミィナちゃん、それ――どうしたの?」
言いつつリーシャが指差したのは、ミィナが首から下げている首飾りだった。何のことは無い、小さな金属板に鎖を通しただけのネックレスである。
「ああ、これですか? 昨日露店で売っていたんですけど、気に入ったので買ってしまって……」
ミィナが少し照れくさそうにはにかみながら返答し、リーシャにも見えやすいよう顔の前へそれを持ち上げる。
しかし改めて見てみると金のメッキが剥げている箇所が所々あり、所詮露店売りの品物かと納得できる程度の代物だ。だからミィナがそれのどこを気に入ったのか、リーシャは即座に理解しかねた。そのリーシャの心中を察してか否か、ミィナが苦笑と一緒に言葉を添えた。
「この文字、随分久しぶりに見たから懐かったんです」
差し出された首飾りの金属板をよく見ると、その表面に何やら文字のようなものが彫られていた。
「何て書いてあるの?」
リーシャが尋ねるとミィナは心なしか不思議そうな表情を浮かべた。
「えっと……“貴方に幸運を”です。たぶん御守りのようなものでしょう。……リーシャさん、読めないんですか?」
さきほどミィナが文字と断言したこの彫刻を、リーシャが“文字のようなもの”と表現したのには理由がある。最初、それが文字だと思えなかったのだ。
「うん、こんなの初めて見た」
「やっぱり、リーシャさんもですか……」
ミィナがリーシャの返答に、残念そうに溜め息を吐く。リーシャがその言葉の意味を視線だけで問うと、ミィナはそのネックレスの文字を見つめながらぽつぽつと答えた。
「私、読み書きなどは全て祖母から教わっていたんですが、その時にこの文字も教わったんです。でも誰に訊いてもそんな文字は見たことないって言われてて……。実際に街中でこの文字を見かける機会も無かったですし。勝手にエルフ語か何かかと思っていたんですけど……」
「あー……なるほどね。少なくともエルフ語じゃないのは確かだけど、でもこうして文字そのものは存在するわけだし、旅してればそれもそのうち分かる日が来るんじゃない?」
「ですねっ! もし竜人語だとしたら、ランゴード村へ行けば分かるかもしれないですし」
ミィナは元気良く首肯して胸の前でぎゅっと両手を握り、意気込んだ。
そんな彼女の様子を見たリーシャが微笑ましげに目を細める。それから足元にあった荷物を持ち上げると、船内へ降りる階段を指差した。
「まぁ取り敢えず、私たちの船室にこれ、置いてきちゃいましょー」
「あ、はい! ……あれ? そう言えばラトさんはどこに行ったんでしょう?」
ミィナがきょろきょろと甲板を見回してラトを探すものの、もちろんどこにも彼の姿はない。きっと先に船室へ行っているのだろうと、勝手に早合点しそうになったミィナだったが、リーシャの大きな溜め息によってそうではない事を悟った。
リーシャが無言で頭上を振り仰ぎ、それに釣られて見上げたミィナも思わず苦笑う。
本来一人しかいないハズの見張り台に、何故か二人分の人影があった。
「なぁおっさん、何か見えんのか? 俺にもその望遠鏡貸してくれよ!」
雲一つ無い快晴の下、船の甲板でリーシャは大きく背筋を伸ばした。
「んっ~~! 絶好の船出日和ね!」
その隣ではミィナも舷縁から身を乗り出し、涼しげな風に当たっていた。ふと振り返ってリーシャを視界に収めると、舷縁に寄り掛かるような形で立ち、遠慮がちに口を開く。
「あの、お二人は……どうして旅をなさってるんですか? そういえばまだお聞きしてなくて……」
「あれ、まだ言ってなかったけ」
確か二日前、リーシャと森を歩いているときに話していたのは、“ドラゴンを探しに来た”ということだ。そしてキメラを撃退した時には“自分たちが追っていたのはアイツだ”とも言っていた。そこから大体の理由を推測は出来るのだが、しかしやはり真実を知りたい。
問われたリーシャは、どう答えれば良いのか迷っている様だった。眉間に谷を刻んで腕を組む。
「うーん……ちょっと説明が長くなるかもだけど大丈夫?」
「はい」
ミィナが返事をすると、リーシャは一度だけ小さく頷いて話し始めた。
「うん。じゃあまず、レイクスティアが三つの地域に分けられてるのは知ってるでしょ? 一つは今私たちが向かってる“ノーザニス地方”――北部一帯の山岳地帯がそうね。もう一つが、レイクスティア東部に広がりエルフ族が住まう“大森林”。そして最後に、レイクスティア南部から西部まで国土の半分以上を占めてる“人域”。……まぁそれが差別的な言い方だっていう人は、ただ“平野”って呼ぶこともあるけど」
「はい、それぐらいは一般常識ですしちゃんと分かってます」
「うん、なら良いの。で、三分割されてるレイクスティアなわけだけど、大昔に大規模な戦争があって以来三種族が平和協定を結んだお陰で、何百年もの間大きな争いも無く歴史が継がれてきたのよね。でもそれが成り立ってるのって、互いの力関係の釣り合いが保たれてるからなの」
「釣り合い……ですか」
「人間は数、竜人族はドラゴンとの意思疎通能力――要するにドラゴンを味方に付けられるってことね。で、エルフは魔法」
と、そこまで話したところで、ミィナが何か納得がいかない様子で口を挿んだ。
「えっと……でも人間にも魔法は使えるんじゃ?」
「ううん、人間が魔法を使えるのは魔法道具があるからなの。それに対してエルフは魔法道具無しでも魔法が使える……。たぶん保有魔力上限の違いが理由だと思うんだけどね」
リーシャが質問に答えると、ミィナは感心したような顔で満足げに頷いた。
「でもいくら力が拮抗しているって言っても、いつその均衡が崩壊してもおかしくないじゃない? だからエルフ族は、各種族に戦争を引き起こさんとする不穏な動きが無いか監視する意味で、レイクスティア各地に散らばって暮らしてるのよ。もちろん皆じゃなくて、選ばれた人だけだけど。あ、これ本当は人間に話しちゃいけない決まりになってるから誰にも言わないでね」
小悪魔めいてそっとウインクをするリーシャだが、それって結構重大なことなんじゃ……と、ミィナの方が心配してしまう締め括りだった。しかしリーシャはそんなこと気にも留めず、更に言葉を紡ぐ。
「で、そのエルフの仲間たちから相次いでドラゴンの死体の発見報告があって……、それで私がその原因を調査するために旅に出たわけ。まぁ、この前ようやくそれを突き止めたし、これからはキメラの討伐……になるのかな、目的は」
他にも、何故その役目を担ったのがリーシャであるのかや、ラトと共に旅をすることになった経緯など話していないこともあるが、それはまた次の機会で構わないだろう。とは言え、ミィナに訊かれたなら別に隠す必要もないので素直に答えようと思っていた。
しかしミィナが食い付いたのは、予想から少々外れたポイントだった。
「でも……王国全体でドラゴンの数が減っているのでしたら、キメラの所為だとは言い切れないんじゃないですか?」
「え? ああうん、その通りだけど……。でもよくそこに気が付いたわね。確かに、発見されたどのドラゴンの死骸も、全てが何者かによって食い散らかされてたらしいんだけど、でもだからと言ってそれが全部キメラの仕業だっていう証拠にはならないわよね。だからそれをそのまま、おと――……里の長老に報告するわけにもいかないし、だったらキメラを討伐しちゃえば手っ取り早いじゃない? まぁ、そんなところかなー」
「な、なるほど……」
そもそもドラゴンとは、王都の対ドラゴン戦のプロである竜討伐部隊でさえ十人掛かりで挑むほど強大な存在なのだ。きっと小さな村程度なら一晩で焼き尽くせる力を持っている。しかし相手はそんなドラゴンをも倒してしまうキメラであるのに、“討伐しちゃえば手っ取り早い”などという発想が浮かんでくることに、ミィナは唖然とする外なかった。
だがそうも言ってはいられまい。ラトとリーシャと行動を共にすると決めた以上、二人に迷惑はかけられない。自分も強くならなければ。その意志を、ミィナは一層固く心に刻んだ。
その時ミィナの胸の前で、何かがキラリと陽光を反射して、それに気付いたリーシャがミィナの名前を呼んだ。
「あれ? ミィナちゃん、それ――どうしたの?」
言いつつリーシャが指差したのは、ミィナが首から下げている首飾りだった。何のことは無い、小さな金属板に鎖を通しただけのネックレスである。
「ああ、これですか? 昨日露店で売っていたんですけど、気に入ったので買ってしまって……」
ミィナが少し照れくさそうにはにかみながら返答し、リーシャにも見えやすいよう顔の前へそれを持ち上げる。
しかし改めて見てみると金のメッキが剥げている箇所が所々あり、所詮露店売りの品物かと納得できる程度の代物だ。だからミィナがそれのどこを気に入ったのか、リーシャは即座に理解しかねた。そのリーシャの心中を察してか否か、ミィナが苦笑と一緒に言葉を添えた。
「この文字、随分久しぶりに見たから懐かったんです」
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「何て書いてあるの?」
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「私、読み書きなどは全て祖母から教わっていたんですが、その時にこの文字も教わったんです。でも誰に訊いてもそんな文字は見たことないって言われてて……。実際に街中でこの文字を見かける機会も無かったですし。勝手にエルフ語か何かかと思っていたんですけど……」
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そんな彼女の様子を見たリーシャが微笑ましげに目を細める。それから足元にあった荷物を持ち上げると、船内へ降りる階段を指差した。
「まぁ取り敢えず、私たちの船室にこれ、置いてきちゃいましょー」
「あ、はい! ……あれ? そう言えばラトさんはどこに行ったんでしょう?」
ミィナがきょろきょろと甲板を見回してラトを探すものの、もちろんどこにも彼の姿はない。きっと先に船室へ行っているのだろうと、勝手に早合点しそうになったミィナだったが、リーシャの大きな溜め息によってそうではない事を悟った。
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