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後編
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定年退職したある日、ありえない人から電話がかかってきた。
「退職金をよこしなさい。それは私のものよ」
義母だった。
仕送りをしなくなった年月分を退職金から払えという。
「あんたんところの子供たち、みんな 大学行ったらしいじゃない。そんな余裕があるなら私に仕送りを再開するべきだったでしょう」
何を、何を言っているのか。
子供達には、中学生だと言うのに借金を背負わせた。奨学金という名前の借金だ。それがなければやっていけなかった。まだ13才の子供に……。
息子は、更に大変で。お父さんがあんな状態だから唯一の男のあなたが頑張らないとね、そうご近所さんに言われつづけて、ストレス性大腸炎になった。それでも僕も何かをと、中学生なのに新聞配達をして家計を助けてくれた。
「退職金としてではなく、年金として受け取る形を取ったのでお金はありません」
義母がまた、何かを言ってくるかも、そう考えて退職金としてまとまって 受け取った方が税金が安く済むことは分かってはいたが それでも年金という形を取った。それが功を奏した。
夫は……義母がまた自分を頼ってくれたと、喜んだ。
「お義母さんにあげるお金なんてある訳ないでしょう!!!子供達は中学生の頃から借金してんのよ!私達は数百万の借金を追わせたのよ!お義母さんにあげる位なら、子供達の借金を減らすわよ!」
それ以降、夫は義母の話をしなくなった。
そうして、年月が過ぎた。
「義母が、危篤です。」
義理の妹からの電話だった。
お見舞いなんて行きたくない。けれど、それでも、夫にとっては大事な母親だ。そして、夫は一人では行けない。
「…………」
病院に着いて、痩せ細った義母を見た夫は「母ちゃん母ちゃん……」と泣いた。
何もない病室だった。夫以外の
兄弟もお見舞いには来ていなかったことが伺えた。
金の切れ目が、縁の切れ目。
私達からの仕送りを渡して繋ぎ止めていた子供達。提供できる金銭が無くなって離れていったのだろう。
そうして、孤独のままに独りで逝くのだ。
私をみとめた義母は
「ああ、私もあんたみたいにポーとしてりゃ、夫も違ったのかしらね…………」
そう言った。
義父は、妻は3歩後ろを歩け、俺が大黒柱だ!というタイプだった。猪突猛進の気の強い義母とは合わなかったのだろう。退職後は家を出て、他の女性と暮らしているとも聞いた。
「大事にして頂いてます」
柔らかい笑顔で返答してやった。義母はフンと鼻を鳴らした。
そんなわけはない。
ポケ ポケ として過ごせるようなそんな状況ではなかった
体は成人しているのに、幼稚園児小学生に戻ってしまった夫。 自分を捨てた義母を恋しがって泣く夫にどれだけ 絶望をしただろう。自分の夫を子育てしているのだ。俺についてこい、そういって手を差し出してくれた夫はもういない。
突発的に無理心中を試みたことだって何度かある。
長女はいつも妹と弟を寝かしつけた後、子供部屋に私が入って来れないようにドアを塞いでいた。私が、夕食時に突発的に包丁を振り回してしまった時には、私を殴って、その隙に妹と弟を抱えてご近所さんの所へ家出をした。
穏やか?顔に出さないだけだ。
ひっ張ってくれる人はいない。私がひっぱっていかなきゃならない人だけ…
私の渾身の笑顔に義母は顔を反らした。
そうして、義母はこの世をさっていった。
義母の遺産についての話し合いには同席しなかった。何もいりません、とだけ言った。
それから一年後、一通の連絡がきた。
義母が連帯保証人になっていたから、夫にソレが引き継がれていると。
借用人が返済できない以上 、夫が払う義務があるとあった。一ヶ月以内に支払いが不可能な場合、この家を差し押さえると。
今の我が家は年金暮しだ。退職金は義母対策を考えて年金という形をとった。だから、税金やら社会保険料や医療費の自己負担率も他の年金暮しの人より多い。けれど夫の認知症は進み治療費は嵩んでいく。家計に余裕はない
あの人は死んでもなお、私達からお金を毟りとるのか。
しかも、この家を。
この家を手放していれば、生活保護が受けれていたのだ。けれど、
この家がなければ、夫はもう無理だった。家族はばらけると思った。だから必死になって守ったのだ。子供達に借金を背負わせてまで守った家を奪っていくのか
呆然とした。
義母の怨念のように思えた。
もう、疲れた……
私が無気力なっていると、長女が動いた。
伝手を頼って弁護士に相談をしたのだ。
あれよあれよという間に解決していった。
まるで、魔法みたいだった。
そうして、義母は、完全にウチから去っていった。
去っていった、そう、思ってた。
更に月日が流れる。
夫は脳出血の後遺症で血流が悪い。早々に夫は認知症になった。
気に食わない事があると手をあげる。そして手をあげた事も忘れる。一人て歩くと突然ふらついて頭から倒れるから目を離せない。オムツも一人ではちゃんと履けない。しかもオムツを越える量の失禁をしてしまう事もあり、ベッドがびしょ濡れになる。その対策に深夜に夫を起こして、トイレに連れていくようにしている。
俗に言う、老老介護 だ
寝不足も相まって私の体力はもう限界に近い
それでも………
夫の認知症はさらに進行して過去の記憶が強くなってきている。
そして、昔の夫の片鱗も見える。黙って俺についてこい。そうすれば幸せにしてやるそんな、夫。
連れ添って50年、自信家で俺についてこいな私が惚れた夫はたった10年だけ。でも、もう苦楽を共にして、私たちは家族だ。そういう愛情もある。
でも、時々戻ってくる過去の夫
同時に理性も薄くなっていく。
そして、そして……
「お前の家が貧乏だったから、俺がどれだけ苦労したと思っているんだ!あの時、アッチを選んでいれば………!母ちゃんは今頃!」
ああ、そう思っていたのか、
もう、もう、いいです。
お義母さん。
夫はあなたの息子に戻りました
完敗です…………。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
男の死んでも治らない病気
マザコン!!
これは、死んでも生まれ変わっても治らない!
「退職金をよこしなさい。それは私のものよ」
義母だった。
仕送りをしなくなった年月分を退職金から払えという。
「あんたんところの子供たち、みんな 大学行ったらしいじゃない。そんな余裕があるなら私に仕送りを再開するべきだったでしょう」
何を、何を言っているのか。
子供達には、中学生だと言うのに借金を背負わせた。奨学金という名前の借金だ。それがなければやっていけなかった。まだ13才の子供に……。
息子は、更に大変で。お父さんがあんな状態だから唯一の男のあなたが頑張らないとね、そうご近所さんに言われつづけて、ストレス性大腸炎になった。それでも僕も何かをと、中学生なのに新聞配達をして家計を助けてくれた。
「退職金としてではなく、年金として受け取る形を取ったのでお金はありません」
義母がまた、何かを言ってくるかも、そう考えて退職金としてまとまって 受け取った方が税金が安く済むことは分かってはいたが それでも年金という形を取った。それが功を奏した。
夫は……義母がまた自分を頼ってくれたと、喜んだ。
「お義母さんにあげるお金なんてある訳ないでしょう!!!子供達は中学生の頃から借金してんのよ!私達は数百万の借金を追わせたのよ!お義母さんにあげる位なら、子供達の借金を減らすわよ!」
それ以降、夫は義母の話をしなくなった。
そうして、年月が過ぎた。
「義母が、危篤です。」
義理の妹からの電話だった。
お見舞いなんて行きたくない。けれど、それでも、夫にとっては大事な母親だ。そして、夫は一人では行けない。
「…………」
病院に着いて、痩せ細った義母を見た夫は「母ちゃん母ちゃん……」と泣いた。
何もない病室だった。夫以外の
兄弟もお見舞いには来ていなかったことが伺えた。
金の切れ目が、縁の切れ目。
私達からの仕送りを渡して繋ぎ止めていた子供達。提供できる金銭が無くなって離れていったのだろう。
そうして、孤独のままに独りで逝くのだ。
私をみとめた義母は
「ああ、私もあんたみたいにポーとしてりゃ、夫も違ったのかしらね…………」
そう言った。
義父は、妻は3歩後ろを歩け、俺が大黒柱だ!というタイプだった。猪突猛進の気の強い義母とは合わなかったのだろう。退職後は家を出て、他の女性と暮らしているとも聞いた。
「大事にして頂いてます」
柔らかい笑顔で返答してやった。義母はフンと鼻を鳴らした。
そんなわけはない。
ポケ ポケ として過ごせるようなそんな状況ではなかった
体は成人しているのに、幼稚園児小学生に戻ってしまった夫。 自分を捨てた義母を恋しがって泣く夫にどれだけ 絶望をしただろう。自分の夫を子育てしているのだ。俺についてこい、そういって手を差し出してくれた夫はもういない。
突発的に無理心中を試みたことだって何度かある。
長女はいつも妹と弟を寝かしつけた後、子供部屋に私が入って来れないようにドアを塞いでいた。私が、夕食時に突発的に包丁を振り回してしまった時には、私を殴って、その隙に妹と弟を抱えてご近所さんの所へ家出をした。
穏やか?顔に出さないだけだ。
ひっ張ってくれる人はいない。私がひっぱっていかなきゃならない人だけ…
私の渾身の笑顔に義母は顔を反らした。
そうして、義母はこの世をさっていった。
義母の遺産についての話し合いには同席しなかった。何もいりません、とだけ言った。
それから一年後、一通の連絡がきた。
義母が連帯保証人になっていたから、夫にソレが引き継がれていると。
借用人が返済できない以上 、夫が払う義務があるとあった。一ヶ月以内に支払いが不可能な場合、この家を差し押さえると。
今の我が家は年金暮しだ。退職金は義母対策を考えて年金という形をとった。だから、税金やら社会保険料や医療費の自己負担率も他の年金暮しの人より多い。けれど夫の認知症は進み治療費は嵩んでいく。家計に余裕はない
あの人は死んでもなお、私達からお金を毟りとるのか。
しかも、この家を。
この家を手放していれば、生活保護が受けれていたのだ。けれど、
この家がなければ、夫はもう無理だった。家族はばらけると思った。だから必死になって守ったのだ。子供達に借金を背負わせてまで守った家を奪っていくのか
呆然とした。
義母の怨念のように思えた。
もう、疲れた……
私が無気力なっていると、長女が動いた。
伝手を頼って弁護士に相談をしたのだ。
あれよあれよという間に解決していった。
まるで、魔法みたいだった。
そうして、義母は、完全にウチから去っていった。
去っていった、そう、思ってた。
更に月日が流れる。
夫は脳出血の後遺症で血流が悪い。早々に夫は認知症になった。
気に食わない事があると手をあげる。そして手をあげた事も忘れる。一人て歩くと突然ふらついて頭から倒れるから目を離せない。オムツも一人ではちゃんと履けない。しかもオムツを越える量の失禁をしてしまう事もあり、ベッドがびしょ濡れになる。その対策に深夜に夫を起こして、トイレに連れていくようにしている。
俗に言う、老老介護 だ
寝不足も相まって私の体力はもう限界に近い
それでも………
夫の認知症はさらに進行して過去の記憶が強くなってきている。
そして、昔の夫の片鱗も見える。黙って俺についてこい。そうすれば幸せにしてやるそんな、夫。
連れ添って50年、自信家で俺についてこいな私が惚れた夫はたった10年だけ。でも、もう苦楽を共にして、私たちは家族だ。そういう愛情もある。
でも、時々戻ってくる過去の夫
同時に理性も薄くなっていく。
そして、そして……
「お前の家が貧乏だったから、俺がどれだけ苦労したと思っているんだ!あの時、アッチを選んでいれば………!母ちゃんは今頃!」
ああ、そう思っていたのか、
もう、もう、いいです。
お義母さん。
夫はあなたの息子に戻りました
完敗です…………。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
男の死んでも治らない病気
マザコン!!
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