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中編
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種なしと言っていた夫だが 私との間にはすぐに子供ができた。
とてもとても喜んでくれた。
でもこのままでは家計は破綻する。
結婚時にあった私の貯金は日々の生活の穴埋めに消えていった
夫は私が外に出て働くことを許してくれなかった。日本男児たるもの、妻を働かせるなんて恥ずかしいとのことだった。
代わりに、夫は給料のいい会社に転職をした。義母への仕送りは夫の給料に比例してあがっていった。
子供を授かったという報告を夫とふたり、義母にしに行った。
「あら、うちの子は色々な女と遊び歩いたけど 今まで子供ができたことはなかったわよ、その子、本当にうちの子の子供なの」
義母に言われた言葉はあまりにもショックすぎて頭が真っ白になった。なんて言い返していいのかもわからず、ただただ涙が出た。
「そうやって、泣なきゃなんとかなるって?男が助けてくれるって思ってるんでしょ。楽なもんよね」
どうやって家に帰ったのかはもう覚えてもいない。
「ごめん、ごめん、母さんも、苦労しているんだ。親父があんなんだから、母さんも苦労してきたんだ。だから理解して欲しい」
義父は大企業に勤めてはいるが、アルコール中毒のギャンブル好きで、お金がなくなっては義母に暴力を振るった。夫は義母を庇って殴られることもあったという。
「母さんはそんな状態で俺ら兄弟5人を育て上げてくれたんだ。感謝しかないんだよ。だから…………」
夫が泣きながら私に許しをこいてくる。
夫を育ててくれた人 、感謝はしなければならない、けれど…………
私には相談相手がいなかった。夫もだ。
私は家族に結婚を反対されても、絶縁状態になってもいいからと夫を選んだのだ。今更、泣き言を言ったりはできなかった。
みんなの反対を振り切った結果が今なのだ。お互いで慰めあうしかなかった。
私たちは子宝に恵まれた。けれど3人目の子が男の子と分かった時には夫におろすようにも言われた。
「息子なんて親父みたいな男になるに決まっている。だから諦めてくれ」
泣きながら 頼み込まれたけれど、私は首を振った
絶対に嫌だった。
初めての男の子、生まれてみれば夫は息子を溺愛した。
「強い強い男になるんだぞ、お母さんを守れるくらいに強くて頭のいい男になるんだ」
そう言い聞かせていた
「子供が3人もいるんだ、家を買わなきゃな」
「何をいっているの、この家計では無理よ」
義母への仕送りがかなり辛い。救いなのは、義母は残業手当が幾ら入ってきているのかを知らないから、基本給に対しての要求で済んでいる。
「俺はいづれ社長になってやる。社長宅が公団なんてありえないだろ。」
そう言って夫は頭金なしのフルローンで家をかった。我が家の貯金は購入にかかる諸経費で吹っ飛んだ。
私もパートで働きに出ようかと提案をしたけれど、俺を甲斐性なしにしたいのか、とまたも言い切られた。
自信家の夫は「生命保険を解約すればやっていける。団体信用生命保険も最低保障にする。俺は健康だからな!」
住宅ローン金利が10%の時代にフルローンをしつつ義母への仕送り、夫はがむしゃらに働いた。
働いて働いて 働きすぎて脳出血で倒れた。
何とか手術で一命はとりとめたものの、後遺症がひどかった。
小学生ぐらいに戻ってしまったのだ。私という妻の存在もわからず、ただただ義母を求めた。
けれど、お見舞いにきた義母は
「こんなの、私の息子じゃない!!」
そう言って、二度と病院には来なかった。
夫はうわーんうわーんと泣いた。完全に子供の泣き方だった。そう 夫は赤ちゃん返りをしていたのだ。
トイレはうまくできずオムツをする。オムツに着いたうんちを宝物だと言って、両手のひらの乗せて見せられた時には、失神しそうになった
小一のドリル から始める、そんな生活だった。
唯一の、本当に唯一の救いは夫がもう息子ではなくなったからか、 稼げない事が分かったからか、仕送りをしなくても義母が電話をしてくることはなくなった。
夫の兄弟との縁も切れた。義母は仕送りを夫の兄弟にお小遣いと称して、一部渡していたらしい。
1年2年と過ぎて夫の後遺症は少しだけ和らいだ。
脳のどこかに仕舞われていた過去記憶が繋がって、夫はもう小学生ではなくなった。けれど脳への後遺症は残り、新しいことを記憶するという機能は著しく衰えていた。
そして、後遺症というのかそれとも…、子供をやり直した環境が違ったせいか、夫の性格は変わった。
自信家でキラキラしていて俺様についてこいタイプだった夫は…俺と一緒に歩こうに変わった。
強引に私を引っ張ていってくれた夫はいなくなっていた…。
会社は明らかに労災な夫を採用し続ける事で揉め事を回避した。
新しいことを覚えられない夫は、会社に窓際族として復帰した。コピー機の操作すら憶えられない。毎回、一回りは歳下の社員尋ねては嫌そうな顔をされる。プライドの高い夫には、それはキツイことだった。
毎日のように 『もう帰りたい』と言って家に泣きながら電話をかけてきた。
耐えて……泣きながら私も答えた。
新しい事を憶えられない夫、この会社を辞めたら、職はない。私が働きに出てもこの住宅ローンを払える程には稼げない。住宅ローンどころか、子供3人目と夫を養える額にもなりはしない。
二人、泣きながら過した。
家を手放すという選択肢も考えた。
でも家があるからこそ夫は帰りたいと言いつつも、毎日出社をした。俺は大黒柱なんだ、家族を守るんだ、そう言い続けた。
そして 定年まで勤め上げた。
とてもとても喜んでくれた。
でもこのままでは家計は破綻する。
結婚時にあった私の貯金は日々の生活の穴埋めに消えていった
夫は私が外に出て働くことを許してくれなかった。日本男児たるもの、妻を働かせるなんて恥ずかしいとのことだった。
代わりに、夫は給料のいい会社に転職をした。義母への仕送りは夫の給料に比例してあがっていった。
子供を授かったという報告を夫とふたり、義母にしに行った。
「あら、うちの子は色々な女と遊び歩いたけど 今まで子供ができたことはなかったわよ、その子、本当にうちの子の子供なの」
義母に言われた言葉はあまりにもショックすぎて頭が真っ白になった。なんて言い返していいのかもわからず、ただただ涙が出た。
「そうやって、泣なきゃなんとかなるって?男が助けてくれるって思ってるんでしょ。楽なもんよね」
どうやって家に帰ったのかはもう覚えてもいない。
「ごめん、ごめん、母さんも、苦労しているんだ。親父があんなんだから、母さんも苦労してきたんだ。だから理解して欲しい」
義父は大企業に勤めてはいるが、アルコール中毒のギャンブル好きで、お金がなくなっては義母に暴力を振るった。夫は義母を庇って殴られることもあったという。
「母さんはそんな状態で俺ら兄弟5人を育て上げてくれたんだ。感謝しかないんだよ。だから…………」
夫が泣きながら私に許しをこいてくる。
夫を育ててくれた人 、感謝はしなければならない、けれど…………
私には相談相手がいなかった。夫もだ。
私は家族に結婚を反対されても、絶縁状態になってもいいからと夫を選んだのだ。今更、泣き言を言ったりはできなかった。
みんなの反対を振り切った結果が今なのだ。お互いで慰めあうしかなかった。
私たちは子宝に恵まれた。けれど3人目の子が男の子と分かった時には夫におろすようにも言われた。
「息子なんて親父みたいな男になるに決まっている。だから諦めてくれ」
泣きながら 頼み込まれたけれど、私は首を振った
絶対に嫌だった。
初めての男の子、生まれてみれば夫は息子を溺愛した。
「強い強い男になるんだぞ、お母さんを守れるくらいに強くて頭のいい男になるんだ」
そう言い聞かせていた
「子供が3人もいるんだ、家を買わなきゃな」
「何をいっているの、この家計では無理よ」
義母への仕送りがかなり辛い。救いなのは、義母は残業手当が幾ら入ってきているのかを知らないから、基本給に対しての要求で済んでいる。
「俺はいづれ社長になってやる。社長宅が公団なんてありえないだろ。」
そう言って夫は頭金なしのフルローンで家をかった。我が家の貯金は購入にかかる諸経費で吹っ飛んだ。
私もパートで働きに出ようかと提案をしたけれど、俺を甲斐性なしにしたいのか、とまたも言い切られた。
自信家の夫は「生命保険を解約すればやっていける。団体信用生命保険も最低保障にする。俺は健康だからな!」
住宅ローン金利が10%の時代にフルローンをしつつ義母への仕送り、夫はがむしゃらに働いた。
働いて働いて 働きすぎて脳出血で倒れた。
何とか手術で一命はとりとめたものの、後遺症がひどかった。
小学生ぐらいに戻ってしまったのだ。私という妻の存在もわからず、ただただ義母を求めた。
けれど、お見舞いにきた義母は
「こんなの、私の息子じゃない!!」
そう言って、二度と病院には来なかった。
夫はうわーんうわーんと泣いた。完全に子供の泣き方だった。そう 夫は赤ちゃん返りをしていたのだ。
トイレはうまくできずオムツをする。オムツに着いたうんちを宝物だと言って、両手のひらの乗せて見せられた時には、失神しそうになった
小一のドリル から始める、そんな生活だった。
唯一の、本当に唯一の救いは夫がもう息子ではなくなったからか、 稼げない事が分かったからか、仕送りをしなくても義母が電話をしてくることはなくなった。
夫の兄弟との縁も切れた。義母は仕送りを夫の兄弟にお小遣いと称して、一部渡していたらしい。
1年2年と過ぎて夫の後遺症は少しだけ和らいだ。
脳のどこかに仕舞われていた過去記憶が繋がって、夫はもう小学生ではなくなった。けれど脳への後遺症は残り、新しいことを記憶するという機能は著しく衰えていた。
そして、後遺症というのかそれとも…、子供をやり直した環境が違ったせいか、夫の性格は変わった。
自信家でキラキラしていて俺様についてこいタイプだった夫は…俺と一緒に歩こうに変わった。
強引に私を引っ張ていってくれた夫はいなくなっていた…。
会社は明らかに労災な夫を採用し続ける事で揉め事を回避した。
新しいことを覚えられない夫は、会社に窓際族として復帰した。コピー機の操作すら憶えられない。毎回、一回りは歳下の社員尋ねては嫌そうな顔をされる。プライドの高い夫には、それはキツイことだった。
毎日のように 『もう帰りたい』と言って家に泣きながら電話をかけてきた。
耐えて……泣きながら私も答えた。
新しい事を憶えられない夫、この会社を辞めたら、職はない。私が働きに出てもこの住宅ローンを払える程には稼げない。住宅ローンどころか、子供3人目と夫を養える額にもなりはしない。
二人、泣きながら過した。
家を手放すという選択肢も考えた。
でも家があるからこそ夫は帰りたいと言いつつも、毎日出社をした。俺は大黒柱なんだ、家族を守るんだ、そう言い続けた。
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