108 / 144
108
しおりを挟むいやな思い出。
今年の二月の事を振り返った私はそのまま気分が落ち込んでいく。過ぎた事はしょうがない。今、いくら悔やんでも失敗をなかったことにはできないし、次郎ちゃん自身も理解はしていてくれるようだし。なにより彼は根に持つタイプではないのだ。それを自分だけ、いつまでもうじうじと悩むのは建設的ではない。
そこはよいのだけれど。問題は次、だよねえ。
前回はお互いのターゲットが被っていることに気づいていないから一緒に作れたけれど、私の家にはハンドミキサーどころか泡立て器すらないんじゃなかろうか。まあ、ボウルくらいはあると思うけど。あ、違う。ボウルは大小二個が必要か。生クリームを作る用とそれを冷やすために氷水を張る分と。あるかな。
里紗ねえさんとは別の、桐崎 雫のオリジナル路線を進むとなれば道具の有無で最初から大きな差がある。ついでにいうなら里紗ねえさんはそれらの道具を使いこなしていたからねえ。
私の場合は、道具はもちろん、その使い方を教えてくれる先生というか師匠が必要なのだ。何気にムリゲーだよね、これ。
こぼれた弱音を友人が拾う。
「今度のバレンタイン、どうしようかな・・・」
「バレンタインデー?来年の二月でしょ。まだ四月だよ」
先を読む子は来月の中間テストを気にしているようだけど。私にとっては次のバレンタインデーが緊急かつ最大の心配事になっている。うっかりしてたら、
あっという間に時間が過ぎるからね。
とはいえ、私自身の努力だけじゃどうにもならないことが多すぎるので気晴らしに図書室にマンガを読みにきてみた。
意外というか、図書室に、堂々とマンガが並んでいるのだ。歴史関係で限定だけどね。いくつか種類があり、有名な大先生が描いているものもあれば、一巻、二巻と年代順に細かく描かれているものもある。
歴史を覚えるには興味を持つことが必要だ。そおいう試行なのかもしれない。
宇宙世紀、という架空の時代の物語。まあ、未来の話なんだから架空であるのは当然なんだけど。
地球とスペースコロニーの間で起こった戦争を描いたアニメが男女を問わず人気になり、その登場人物が言ったセリフを状況まで踏まえて記憶し、相応しい場面で引用することがファンの間で流行っているというのだ。
アニメとはいえ、登場人物の言ったセリフをそのシーンごと覚えてしまうんだよ。
試しに歴史の教科書をマンガにしてみたくもなろうというものだ。世界史版はすでにあるというから次は中国かな。三国志とか水滸伝とか。
ただ「ベル○ら」はどうだろうか。あの内容を授業で教えていいものかは置くとして全部で十巻らしいから貸し出し希望が殺到するんじゃないのかな。
一セットや二セットくらいの準備じゃ常に貸し出し中という状態になりそうだ。
フランス革命で処刑されたマリー・アントワネット。
「パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃない」という発言が有名だが。
本人はその発言と直接関係がない、らしい。証拠文献がないというのだ。ただ
彼女が当時の財政状況を把握していなかったのは事実のようで。本人もこんなイヤミな発言で後世に語り継がれるとは思いもしなかっただろう。
この言葉が、なぜか私に、どこか、引っかかる。
パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃない
パンがなければ、ケーキを・・・
パンがなければ・・・
パンというのは当時の主食、今の私たちで言えばご飯と言い換えられる。
ご飯がなければ、ケーキを・・・お腹が空いたのにご飯が出来てなくておやつにケーキを食べる。当時に比べれば現代はとんでもなく裕福ということか。
いや、違う。これじゃない、引っかかったのはここじゃない。
・・・・・・そうだ。うん、そういうことか。
バレンタインデーという日を指定してチョコレートかチョコレートを使ったお菓子に限定しているから勝負で勝てる見込みが悪くなる。絶望的になる。
お菓子を食べるおやつの時間は一日一回、でも食事の機会は三回もある。
里紗ねえさんがバレンタインデーに向けて、のんびり構想を練っている間に、
私は料理で次郎ちゃんの胃袋をつかんでしまおう。時間もあるし、何より手数を掛けられる。向こうはバレンタインの一日に一回きりの勝負のつもりだけど。
私はお昼とか晩御飯に合う料理を何回も挑戦できるのだ。里紗ねえさんにお菓子の調理を習うのは難しいかもだけど、家の手伝いで料理をするとなれば材料費の負担が楽になる。今はお兄ちゃんが渋々と料理を作ったりしているので、少しずつ手伝う回数を増やしていけばいい。よし、さっそく今夜から挑戦だ。
「つつっ、また、切った」
ウチの包丁、万能包丁は一本しかないので調理担当は一人、ということになる。私も自分の指を何度か切ってしまっている。本当ならマンガでよく見るように指先が絆創膏だらけになっているはずだけど。私にも治癒の力が使えたりするのだ。次郎ちゃんほどではないけどね。意識を集中すればすぐ血は止まるし傷もふさがる。痕が残るのが次郎ちゃんに及ばないところだ。
私としては、こんなに不器用なつもりはなかったのだが。傷を癒した疲れで
集中力が落ちて、またミスをするという悪循環。けれど、だんだん包丁の扱いにも慣れてきた。
「いきなり料理を始める、なんていうから。何事かと思ったけど。ずいぶんと
がんばるじゃん」
「私ががんばるとお兄ちゃんは楽ができるでしょう。感謝しなさい」
「初心者の不慣れな料理を食べてやるんだから、感謝するのはそっちだろ」
遠慮の要らない兄妹の会話とはいえ、今のひと言にはカチンときた。癒しの力で指先の傷をすぐにふさげる私はずるをしているかもしれないが。切った時の痛みは他の人と変わらないのだ。
三か月で私はお兄ちゃんに追いついた。あの日のカチン、を原動力にして。
レパートリーも調理にかかる時間も大した差はなくなり、むしろ私の料理の方が濃い味付けをしがちなお兄ちゃんよりお母さんからの評判がよくなった。
自覚もあったのだろう。何かを気取ったお兄ちゃんが勿体ぶって話しかけてくる。
「俺から教えることはもうないが。さらなる高みを目指すなら新たな師匠を、求めるといいだろう」
そういわれて私が思い浮かべたのは里紗ねえさんだったのだが、兄は意外な名前を口にした。
「ただ次郎たちも忙しそうだからな。時間が取れるかどうか・・・」
なんで次郎ちゃんの名前がでてくるのだろう。
「何で次郎ちゃんの名前が出てくるの・・・」
「もう中学生なんだから夕飯の手伝いくらいしろ、って母さんに言われたとき、
あいつらが助けてくれたんだ。悟が材料と作り方を調べて、次郎が切り方とかを教えてくれたんだ。次郎のところも母子家庭だから」
それは確かにそうだけど。
いきなりおいしい料理をふるまうことでサプライズ感を演出したかった私にとっては大きな計画変更だ。
ひとつはっきりしているのは、目の前にあったゴールラインがはるか彼方に動かされたという事実。
そりゃないよ。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
父が死んだのでようやく邪魔な女とその息子を処分できる
兎屋亀吉
恋愛
伯爵家の当主だった父が亡くなりました。これでようやく、父の愛妾として我が物顔で屋敷内をうろつくばい菌のような女とその息子を処分することができます。父が死ねば息子が当主になれるとでも思ったのかもしれませんが、父がいなくなった今となっては思う通りになることなど何一つありませんよ。今まで父の威を借りてさんざんいびってくれた仕返しといきましょうか。根に持つタイプの陰険女主人公。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
(完結)私は家政婦だったのですか?(全5話)
青空一夏
恋愛
夫の母親を5年介護していた私に子供はいない。お義母様が亡くなってすぐに夫に告げられた言葉は「わたしには6歳になる子供がいるんだよ。だから離婚してくれ」だった。
ありがちなテーマをさくっと書きたくて、短いお話しにしてみました。
さくっと因果応報物語です。ショートショートの全5話。1話ごとの字数には偏りがあります。3話目が多分1番長いかも。
青空異世界のゆるふわ設定ご都合主義です。現代的表現や現代的感覚、現代的機器など出てくる場合あります。貴族がいるヨーロッパ風の社会ですが、作者独自の世界です。
(完)私を捨てるですって? ウィンザー候爵家を立て直したのは私ですよ?
青空一夏
恋愛
私はエリザベート・ウィンザー侯爵夫人。愛する夫の事業が失敗して意気消沈している夫を支える為に奮闘したわ。
私は実は転生者。だから、前世の実家での知識をもとに頑張ってみたの。お陰で儲かる事業に立て直すことができた。
ところが夫は私に言ったわ。
「君の役目は終わったよ」って。
私は・・・・・・
異世界中世ヨーロッパ風ですが、日本と同じような食材あり。調味料も日本とほぼ似ているようなものあり。コメディのゆるふわ設定。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
婚約者すらいない私に、離縁状が届いたのですが・・・・・・。
夢草 蝶
恋愛
侯爵家の末姫で、人付き合いが好きではないシェーラは、邸の敷地から出ることなく過ごしていた。
そのため、当然婚約者もいない。
なのにある日、何故かシェーラ宛に離縁状が届く。
差出人の名前に覚えのなかったシェーラは、間違いだろうとその離縁状を燃やしてしまう。
すると後日、見知らぬ男が怒りの形相で邸に押し掛けてきて──?
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる