僕たちは正義の味方

八洲博士

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 山下美央は考える。それは彼女の迷いと言ってもよいものだった。
現在、自分が中学校の女子剣道部でコーチを務めているのは、我が子である男子剣道部の山下哲也が、男女の区別が無かった当時の後輩女子にケガを負わせた事が原因だ。部活の時間中に稽古にかこつけて将来自分と結婚させるためにと、痣になり痕が残るようなケガをわざと負わせた。謝罪を理由に交際を迫り将来の結婚を目指すという山下哲也の歪んだ欲望の犠牲者は一人に収まらなかった。立て続けに二人目を襲ったことで、彼の企みは露見し失敗に終わる。
 だからといって被害者の傷が癒えることはないし、責任は消えない。未成年者の犯罪の賠償は保護者が責任を持たなければならない。親としてこれは当然のことである。
 だが被害者が思春期の女生徒ということが事態を複雑にした。幸いケガは痕も残さず完治したものの、山下哲也が狙ったのは女生徒の胸部だ。少女の胸を
人目に晒すことは二次的被害につながるとの配慮から事件は女生徒の保護者にまで伏せられた。結果として金銭での賠償が出来なくなる。賠償金を受け取れるのは事情を知る被害者の少女本人しかいないことになるからだ。慰謝料とはいえ数十万円を中学生に渡すとなれば、これは教育上好ましくない。
 女子剣道部の専属コーチは賠償金額を労働で支払う、苦肉の策であった。
 一方、山下哲也を両親からしてみれば、自分の子供がなぜ、このような早熟にして歪んだ蛮行を犯したかがわからなかった。理解できない故に、二度と過ちを繰り返さないよう教育できたかは不安の残るところだ。もはや信頼できない息子に監視の必要性を迫られた両親にとって、専属コーチの件は渡りに船の展開だった。息子の監視と女子部員の保護、隔離が同時に出来ることになる。
 問題はその任期だ。無償奉仕の形を取っているので、学校としてはあまり口を出せない。極端に期間が短ければ別だが。山下美央のコーチ退任は彼女自身に任されているといってもよい。タイミングとしては少女達の進級、山下哲也の部活引退、或いは卒業である。
 すでに少女達は進級している。だが美央としても、遊びでコーチを引き受けた
訳ではない。真面目に部員を鍛えた、その結果を見てみたかった。前回は間に合わなかった大会の申し込みも今回は問題ない。生徒達の、練習の結果と息子哲也の部活引退。二学期の始まり辺りが、自分のコーチとしての任期完了と思うようになっていた。
 そこに現れたのが榊次郎だった。
 彼は美央が指導している少女達の一人、早見里紗の幼なじみであり、同じ剣道教室に通っていた縁で天元流を身に付けてしまう。早見里紗との見取り稽古で。
最早ユニークとしか表現できない、稀な存在だと美央は思った。そもそも早見達三人の少女もユニークさでは負けてはいない。
 最初の手合わせで天元館の館長を務める美央との実力差を感じ取った少女達は竹刀を振り回すという常識外れの動きで相手のスキを突こうとした。それは
奇しくも天元流の思想に近いものがあったのだ。
 そして榊次郎においては相手のスキを突く天元流の使い手のスキをさらに狙おうとしていたのだ。この子達に自分が興味を持つのは当然な流れだと美央は確信するのだった。
 現状、天元館を構成する美央以外の門下生は美央の父親と同年配であり美央の大先輩ばかりであった。美央が天元流についてこれ以上教えを乞う事が無い
ように、門下生に教える事も残っていなかった。
 美央から見れば彼らは夜な夜な集う酔っ払いであり、竹刀をぶつけ合うことで仕事の憂さとアルコールを発散させているようにしか見えなかった。
 彼らの言い分は、常在戦場。如何なる時も戦いの心構えを忘れない、という
建前だ。酒に酔った状態で、どれだけ立ち回れるかの経験を積む為だとの主張。
確かに、襲撃をかける方も、平時の万全な状態よりは、接待の帰りなど多少なりとも酩酊していた方が襲いやすいだろう。剣の達人も酔いが回れば、本来の力を発揮できない。随分と飛躍した論理だが、彼らが引き合いに出したのが児童の
着衣遊泳だ。泳ぎの上手な子でも水に落ちて溺れることがある。それは着衣が水を吸って重くなったことで、思うように動けずパニック状態になって体力を浪費し、水難事故につながるという見方だ。授業の一環として着衣のままプールに浮かぶ経験をさせる学校もあるらしい。何事も経験であるという言い分だ。
 美央の立ち位置も実質的な館長兼運動部のマネージャー扱いであり、年上の門下生達からは「美央坊」と呼ばれることが多い。
 「だいたい、未だに美央坊呼びはないでしょう。坊って男の子に使う言葉でしょうが。私は女の子だぞ」
 時たま漏らす愚痴で自分が女の子扱いになっているのは美央坊呼びが子供のころから続いてきた名残と言える。かつては美央の方が先輩である門下生達に教わる立場だったのだから。
 残念ながら天元館の未来は明るくない。
 在籍する門下生は夜にしか顔を出さないので、昼間の館内は人気もなく静かなものだ。稀に訪れる入門希望の見学者も、閑散とした雰囲気に踵を返し二度と門を叩くことはなかったのである。
 先々の不安要素に悩む美央にとって榊次郎との出会いは衝撃でしかなかった。彼がイタズラ心から編み出した技は美央すらも驚かせる完成度を持っていたのだ。言われてみれば、当たり前の発想ながら、本家天元館の人間が誰一人として
気付かなかった可能性である。美央の好奇心は大いに掻き立てられる。
 「息子哲也の引退までと思っていたけど、迷惑をかけたあの子達が卒業するまではコーチを続けてもいいかな」
 美央にとっては初めての、年下の弟子とも言える女子部員である。贖罪の為のコーチに楽しさを感じる事の後ろめたさもあったのだが、もう些事でしかない。
この先、榊次郎をいかにしてレンタルするかに美央の思考は切り替わっていた。
当面は練習の助手として女子部に置いて、大会の時に男子部へ返せばいいか。
 美央の思考は加速する。

 翌日も美央は当たり前の様に榊を呼び出し、女子部の手伝いをさせようとした、のだが。人数が一人増えていた。
 「君は誰?呼んだ覚えがないのだけれど」
 「男子剣道部の田島です。榊一人じゃ手が足らないようなので僕もお手伝いに」
 「ふうん」
 榊に三年生を任せて自分は二年生をと考えた美央だったが、あと一人いれば新入部員を任せられる。掛け持ちで指導するよりは効率がいい。
 「じゃあ田島君には一年生の相手をお願いします。やり方は榊君に聞いてね。榊君は説明が済んだら三年生の相手をして。先輩相手だから手加減は無用で」
 当たり前のように決まった自分のレンタルにため息を吐いた榊は、浮かれる田島に向かって練習方法の説明を始めた。
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