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吸血鬼への鉄槌
二日目
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何だか嫌な予感はしてたんだよ。
ほれみろ、俺が思った通り、今回の仕事は本当に何もかも上手くいかねぇ。
あの黄金色の悪魔に声を掛けられて以来──んあ?!
昨夜の酒がもたらす微睡みに溺れていた頭を枕ごと蹴り飛ばしたのは、彼の上司。
鳴き声を上げてベッドから転がり落ちたジェフのたるんだ脇腹を容赦なく革靴で蹴りつけてくる。
「いつまで肥えた豚みたいに寝てやがんだ、起きろ! 朝が勝負だと言った昨夜の俺の言葉聞いてなかったな」
「分かったよ! 痛えって! ほれ起きりゃあいいんだろう!!」
ジェフは片手で頭を、もう片手で脇腹を庇うようにさすりながら、のっそりと床から体を起こした。
いつもなら仲間内で一番惰眠を貪っているトニーが、今回の仕事ではいやに張り切っていやがる。
窓の外に見える空はまだ暗く、朝と呼ぶにも迷うほどじゃねえか。
だいたい、こんな胸糞悪い仕事の経験者だからこそのリーダーだってのに……
「スペンサーの野郎はどうした? ベッドに戻った跡がねえ」
「へえ? 女でも漁りに行ったんじゃ?」
「阿呆、ここにゃ客を取ろうって女すらいねえだのとぼやいてたのはてめえだろうが」
「俺に当たんなよ! 偉そうにリーダー気取るんならもうちょっとしっかり……」
勃発寸前の喧嘩を、
「……だな、悪かった」
トニーの方から鎮めた。
これからでかい仕事をするってのに仲間割れしている状況じゃない。
そうなるとジェフも引かざるを得ず、とりあえず不在の仲間の捜索より当初の目的を遂行すべく、慌ただしく動き始めた。
本物の吸血鬼の塒を押さえるために。
「そう言われましてもねぇ……」
酒場の片付けを終え、ようやくベッドに入ろうとしていた店主は、突如押しかけてきたいかつい男二人に困惑と欠伸を噛み殺すのと二つの表情を混ぜて見せた。
「困りますよ、絶対立ち入るなって言われてるんですから。特に昼は──」
トニーの耳がぴくりと動いた。
「ほぉう、昼は? あいつがそう言ったんだな?」
「え、ええ。ゆっくり休みたいから掃除も不要。何か用があれば夜にノックしてくれって言われて……」
「そうだろうとも。昼はぐっすりおねんね中だからな」
「え?」
「あの男が吸血鬼なんだよ。俺達に接触してきたのも、警戒してのことさ。何せ、天敵の吸血鬼ハンターだからな」
自信満々なトニーの言葉に、店主とジェフが強張った顔を見合わせた。
「トニーよぉ、た、確かに、あいつは普通の庶民にゃ見えなかったけど……。でもよ…お忍びで旅してるどこぞのお偉い貴族様だったりしたらどうなる? まずはあいつの身分を確かめてから……」
「魔女や吸血鬼に貴賤は無え。貴い身分の御方なら、それこそ邪悪な肉体を滅ぼして穢れた魂を救って差し上げねえとなぁ」
そうとも、こいつは救済だ。
俺が今まで吊るしてきた魔女だってそうだ。
俺は、世から讃えられる救済者なのだから。
「いいか、お前はこいつを心臓に打ち込むんだ。もし奴が動き出したら俺が銃で撃つ」
ジェフに白木の杭と鉄槌を握らせ、前へと押しやる。
「俺がやんのかよ?!」
「久し振りの仕事で手順まで忘れっちまったのか? 杭をブッ刺すのはいつも馬鹿力のてめえの役だろうが」
スペンサーが相手を抑え込み、ジェフが杭を打ち込み、トニーが首を刎ねて仕上げ。
それが仕事の流れだが、今はスペンサーを欠き、拘束されていない相手をいつものように殺せるだろうか?
杭を握るジェフの掌に汗が滲む。
まして、あの、得体の知れぬ男を。
今までの様に、弱り切った病人や老人相手では無い、美しいあの男を──
なるべく音を立てぬよう二階への階段を上がり、ラルクの部屋の鍵を店主に開けさせ、ジェフがそっと扉を押し開ける。
細い隙間から耳を澄ませども、部屋の住人の寝息どころか何の物音も聞こえない。
漏れて来るのは、男達が息を潜める薄暗い廊下に垂れる白い明かりだけ──
明かり?!
トニーは扉を蹴りつけると同時に中へと転がり込んだ。
銀の弾を込めた銃をベッドへ向け──
力無く下ろした。
「ぼ、ボス?」
役目を果たせなかった杭を持ち直しながら駆け寄ったジェフが見たのは、綺麗に整えられたベッド。
シーツに皺一つ無く、宿の丁寧な仕事ぶりが窺える。
それはつまり──
「あの野郎……!」
怒りで震えるトニーの頬を、眩しい光が撫でる。
大きく開かれた窓から射し込む、吸血鬼が最も忌避する陽光が──
あの男にからかわれたんだ。
わざと、宿の部屋に戻る姿を俺に見せつけやがった。
あいつが示した報酬を棄ててでも、俺が殺しに来ると解って──!!
夜に村の中で扉が開かれるのは、相変わらずこの酒場だけ。
「二日目」
その中にいる、昨夜と同じテーブルで同じ様にワインを傾ける男。
違うのは、トニーとジェフへ示す指の数。
「お前、昼間は何処行ってた? てっきり賭けの金が惜しくて逃げ出したと思ったぜ」
「お前達と同じさ」
「なに?」
「吸血鬼の塒を捜しに」
涼しい顔でラルクは答えた。
「吸血鬼を討つならば、昼の眠りの刻こそ。そうだろう? ハンター殿」
「…………」
「わざわざ私の部屋まで訪ねてくれたそうだが、吸血鬼を仕留めた報告かね?」
しれっと訊ねるその顔に、思い切り杭を振り下ろしてやりたかった。
「お前が吸血鬼なんだろう。その青白い顔、口の中にゃ二本の牙を隠してんだろ?」
トニーの糾弾にジェフと酒場の店員は動揺したが、当の男は顔の筋ひとつ動かさない。
「ふむ。ならば、お前達に証明して貰うとしよう」
ワインの杯をテーブルに置き、空いた男のその手がまるで魔法の様に男達の前に現して見せたもの──
トニー達が村に売りつけた小瓶だ。
思わず息を呑んだ男たちの視線を受けながら、ラルクは封蝋の施された栓を抜き、その中身を反対側の掌に垂らして見せた。
真珠の様に滑らかな肌を透明な雫が伝う。
「私が吸血鬼なら、これで無事ではいられまい?」
その言葉に、息を止めてなりゆきを見ていた店主もホッと安堵の吐息を洩らした。
吸血鬼だのの前に、確かにこの客は普通の旅人とは到底思えなかった。
上質な身なりに気品のある物腰。
何より、男なのに思わず見惚れてしまうこの美貌。
明らかに庶民とはかけ離れて見えるが、貴い身分のお人が供も連れず馬車も乗らずに旅をするなんてあるのだろうか。
もしかしたら、何がしかの権力争いだので落ち延びたのかもしれない。
それとも、やはり人にあらず──
此度の吸血鬼狩りの騒動に動揺せずにいられなかったが、これでお客様の疑いは晴れた。
聖なる水は邪なる者を灼いてしまうのだから。
本物の聖水なら。
トニーとジェフには言えない。
その小瓶の中身はただの水なのだとは。
旅の途中に見つけた川や泉で汲んだもので、勿論教会の祝福なんて受けてやしない。
予め生石灰を撒いておいた土に水をかければ、熱くなって湯気が出る。
どう言う理屈かはトニーも知らないが、この演出はどの村でも効果覿面だった。
『吸血鬼』でも『魔女』でも、人を脅かす存在の証明として。
「あと一日」
グラスに残っていたワインを一息に飲み干し、ラルクは席を立った。
「吸血鬼は魔女と違って厄介だろう?」
昨夜と同じく、すれ違いざまに鳥肌の立つ一言をトニーの耳に囁いて。
何かが狂ってきていた。
しっくり嵌まって廻っていた筈の歯車が少しずれただけで、途端に噛み合わず、軋み、歪み、最後にはただの鉄屑に。
そんな感覚に似ていた──
一日待てど結局スペンサーは戻らなかった。
こんな事は、組んでから一度も無かった。
財布も含めた荷物一式は部屋に置いてあり、今更臆病風に吹かれたとしても、あの業突く張りが身一つで逃げ出すなど思えない。
それとも、持ち物すら惜しくないほど、逃げたかったのか──?
ラルクと名乗ったあの若造との賭けからおかしくなったんだ。
受けるべきでは無かった。
示された金貨はそれはそれは魅力的ではあったけれど、それ以上に、あの男の澄ました面を崩してやりたかった。
氷の刃より鋭く冷たく、ぞっとするほど美しいあの顔を、絶望に歪ませてこの足下に跪かせたいと思った。
けれど、こちらがこれまで打ってきた手をこうもことごとく潰されてしまうと、どう動いたものか、トニーの頭はその事だけで一杯になってしまうのだった。
そしてその夜、ジェフが消えた。
ほれみろ、俺が思った通り、今回の仕事は本当に何もかも上手くいかねぇ。
あの黄金色の悪魔に声を掛けられて以来──んあ?!
昨夜の酒がもたらす微睡みに溺れていた頭を枕ごと蹴り飛ばしたのは、彼の上司。
鳴き声を上げてベッドから転がり落ちたジェフのたるんだ脇腹を容赦なく革靴で蹴りつけてくる。
「いつまで肥えた豚みたいに寝てやがんだ、起きろ! 朝が勝負だと言った昨夜の俺の言葉聞いてなかったな」
「分かったよ! 痛えって! ほれ起きりゃあいいんだろう!!」
ジェフは片手で頭を、もう片手で脇腹を庇うようにさすりながら、のっそりと床から体を起こした。
いつもなら仲間内で一番惰眠を貪っているトニーが、今回の仕事ではいやに張り切っていやがる。
窓の外に見える空はまだ暗く、朝と呼ぶにも迷うほどじゃねえか。
だいたい、こんな胸糞悪い仕事の経験者だからこそのリーダーだってのに……
「スペンサーの野郎はどうした? ベッドに戻った跡がねえ」
「へえ? 女でも漁りに行ったんじゃ?」
「阿呆、ここにゃ客を取ろうって女すらいねえだのとぼやいてたのはてめえだろうが」
「俺に当たんなよ! 偉そうにリーダー気取るんならもうちょっとしっかり……」
勃発寸前の喧嘩を、
「……だな、悪かった」
トニーの方から鎮めた。
これからでかい仕事をするってのに仲間割れしている状況じゃない。
そうなるとジェフも引かざるを得ず、とりあえず不在の仲間の捜索より当初の目的を遂行すべく、慌ただしく動き始めた。
本物の吸血鬼の塒を押さえるために。
「そう言われましてもねぇ……」
酒場の片付けを終え、ようやくベッドに入ろうとしていた店主は、突如押しかけてきたいかつい男二人に困惑と欠伸を噛み殺すのと二つの表情を混ぜて見せた。
「困りますよ、絶対立ち入るなって言われてるんですから。特に昼は──」
トニーの耳がぴくりと動いた。
「ほぉう、昼は? あいつがそう言ったんだな?」
「え、ええ。ゆっくり休みたいから掃除も不要。何か用があれば夜にノックしてくれって言われて……」
「そうだろうとも。昼はぐっすりおねんね中だからな」
「え?」
「あの男が吸血鬼なんだよ。俺達に接触してきたのも、警戒してのことさ。何せ、天敵の吸血鬼ハンターだからな」
自信満々なトニーの言葉に、店主とジェフが強張った顔を見合わせた。
「トニーよぉ、た、確かに、あいつは普通の庶民にゃ見えなかったけど……。でもよ…お忍びで旅してるどこぞのお偉い貴族様だったりしたらどうなる? まずはあいつの身分を確かめてから……」
「魔女や吸血鬼に貴賤は無え。貴い身分の御方なら、それこそ邪悪な肉体を滅ぼして穢れた魂を救って差し上げねえとなぁ」
そうとも、こいつは救済だ。
俺が今まで吊るしてきた魔女だってそうだ。
俺は、世から讃えられる救済者なのだから。
「いいか、お前はこいつを心臓に打ち込むんだ。もし奴が動き出したら俺が銃で撃つ」
ジェフに白木の杭と鉄槌を握らせ、前へと押しやる。
「俺がやんのかよ?!」
「久し振りの仕事で手順まで忘れっちまったのか? 杭をブッ刺すのはいつも馬鹿力のてめえの役だろうが」
スペンサーが相手を抑え込み、ジェフが杭を打ち込み、トニーが首を刎ねて仕上げ。
それが仕事の流れだが、今はスペンサーを欠き、拘束されていない相手をいつものように殺せるだろうか?
杭を握るジェフの掌に汗が滲む。
まして、あの、得体の知れぬ男を。
今までの様に、弱り切った病人や老人相手では無い、美しいあの男を──
なるべく音を立てぬよう二階への階段を上がり、ラルクの部屋の鍵を店主に開けさせ、ジェフがそっと扉を押し開ける。
細い隙間から耳を澄ませども、部屋の住人の寝息どころか何の物音も聞こえない。
漏れて来るのは、男達が息を潜める薄暗い廊下に垂れる白い明かりだけ──
明かり?!
トニーは扉を蹴りつけると同時に中へと転がり込んだ。
銀の弾を込めた銃をベッドへ向け──
力無く下ろした。
「ぼ、ボス?」
役目を果たせなかった杭を持ち直しながら駆け寄ったジェフが見たのは、綺麗に整えられたベッド。
シーツに皺一つ無く、宿の丁寧な仕事ぶりが窺える。
それはつまり──
「あの野郎……!」
怒りで震えるトニーの頬を、眩しい光が撫でる。
大きく開かれた窓から射し込む、吸血鬼が最も忌避する陽光が──
あの男にからかわれたんだ。
わざと、宿の部屋に戻る姿を俺に見せつけやがった。
あいつが示した報酬を棄ててでも、俺が殺しに来ると解って──!!
夜に村の中で扉が開かれるのは、相変わらずこの酒場だけ。
「二日目」
その中にいる、昨夜と同じテーブルで同じ様にワインを傾ける男。
違うのは、トニーとジェフへ示す指の数。
「お前、昼間は何処行ってた? てっきり賭けの金が惜しくて逃げ出したと思ったぜ」
「お前達と同じさ」
「なに?」
「吸血鬼の塒を捜しに」
涼しい顔でラルクは答えた。
「吸血鬼を討つならば、昼の眠りの刻こそ。そうだろう? ハンター殿」
「…………」
「わざわざ私の部屋まで訪ねてくれたそうだが、吸血鬼を仕留めた報告かね?」
しれっと訊ねるその顔に、思い切り杭を振り下ろしてやりたかった。
「お前が吸血鬼なんだろう。その青白い顔、口の中にゃ二本の牙を隠してんだろ?」
トニーの糾弾にジェフと酒場の店員は動揺したが、当の男は顔の筋ひとつ動かさない。
「ふむ。ならば、お前達に証明して貰うとしよう」
ワインの杯をテーブルに置き、空いた男のその手がまるで魔法の様に男達の前に現して見せたもの──
トニー達が村に売りつけた小瓶だ。
思わず息を呑んだ男たちの視線を受けながら、ラルクは封蝋の施された栓を抜き、その中身を反対側の掌に垂らして見せた。
真珠の様に滑らかな肌を透明な雫が伝う。
「私が吸血鬼なら、これで無事ではいられまい?」
その言葉に、息を止めてなりゆきを見ていた店主もホッと安堵の吐息を洩らした。
吸血鬼だのの前に、確かにこの客は普通の旅人とは到底思えなかった。
上質な身なりに気品のある物腰。
何より、男なのに思わず見惚れてしまうこの美貌。
明らかに庶民とはかけ離れて見えるが、貴い身分のお人が供も連れず馬車も乗らずに旅をするなんてあるのだろうか。
もしかしたら、何がしかの権力争いだので落ち延びたのかもしれない。
それとも、やはり人にあらず──
此度の吸血鬼狩りの騒動に動揺せずにいられなかったが、これでお客様の疑いは晴れた。
聖なる水は邪なる者を灼いてしまうのだから。
本物の聖水なら。
トニーとジェフには言えない。
その小瓶の中身はただの水なのだとは。
旅の途中に見つけた川や泉で汲んだもので、勿論教会の祝福なんて受けてやしない。
予め生石灰を撒いておいた土に水をかければ、熱くなって湯気が出る。
どう言う理屈かはトニーも知らないが、この演出はどの村でも効果覿面だった。
『吸血鬼』でも『魔女』でも、人を脅かす存在の証明として。
「あと一日」
グラスに残っていたワインを一息に飲み干し、ラルクは席を立った。
「吸血鬼は魔女と違って厄介だろう?」
昨夜と同じく、すれ違いざまに鳥肌の立つ一言をトニーの耳に囁いて。
何かが狂ってきていた。
しっくり嵌まって廻っていた筈の歯車が少しずれただけで、途端に噛み合わず、軋み、歪み、最後にはただの鉄屑に。
そんな感覚に似ていた──
一日待てど結局スペンサーは戻らなかった。
こんな事は、組んでから一度も無かった。
財布も含めた荷物一式は部屋に置いてあり、今更臆病風に吹かれたとしても、あの業突く張りが身一つで逃げ出すなど思えない。
それとも、持ち物すら惜しくないほど、逃げたかったのか──?
ラルクと名乗ったあの若造との賭けからおかしくなったんだ。
受けるべきでは無かった。
示された金貨はそれはそれは魅力的ではあったけれど、それ以上に、あの男の澄ました面を崩してやりたかった。
氷の刃より鋭く冷たく、ぞっとするほど美しいあの顔を、絶望に歪ませてこの足下に跪かせたいと思った。
けれど、こちらがこれまで打ってきた手をこうもことごとく潰されてしまうと、どう動いたものか、トニーの頭はその事だけで一杯になってしまうのだった。
そしてその夜、ジェフが消えた。
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