EMPTY DREAM

藍澤風樹

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駅馬車の吸血鬼

御者の話

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「お客さん、尻は痛くないですかい? 先日、鋼鉄製のバネに替えてみたんですがね」

前を向いたまま御者台から客席へ声を掛けてみたものの、相も変わらず応答は無し。

いつも通りの慣れた路。
いつも通りの、退屈な旅路。
とっぷりと陽の暮れた街道を、ただひたすらに駆けていく。
ふう、次なる目的地の駅まで、まだ30マイルはありやがる。
それなのに、今宵の我が馬車の乗客はたったの一人だなんて。
しかもそれが世間知らずな若い町娘ならば心躍るってものだが、碌に口もきかぬお高くとまった男ときたもんだ。
四人がけの席に陣取った後は、一言も口を利かず物憂げに窓から覗く月を眺めているだけ。
身なりは上等っぽいが、供も旅行鞄すらも持たずに、何処へ行く気やら。
目的地の駅だって、住人以外用の無い、見るものなど何も無いただの田舎だ。
身分が高そうなこの男の縁者が居るとは到底思えない。
けどまぁ……本来なら1シリングのところを、1ポンドもぽんと払ってくれた上客なんだ。
もう少しくらいサービスしてやるか。

「そういや旦那、これから向かう駅にその昔起こった恐ろしい事件をご存じで?」

そこで溜め、決めの一言をぶっ放す。

「吸血鬼が出たんですと」

次の瞬間、御者は己の言動を心中で賞賛した。
馬車へ乗り込んでからずっと、こちらを顧みもしなかった乗客が今、彼へと目を向けてくれたのだから。
肩越しに見て受けたその視線だけで、鞭を持つ手に痺れが走った。
そして、

「ほう」

ただの相槌、それでもその声を引き出せたことに、御者の胸は大きく高鳴った。
初めてこの乗客の声を聴けた。
高くなく低すぎず、男の声と分かるのに、女かもしれないと思わせる。
掴み所の無い、それでいて心と魂を掴まれる、魅惑的過ぎる声。
もっとこの声を聴きたい。
もっと関心を惹きたい。
その一心で、御者は再び口を動かした。

「俺はそん時はまだ子供ガキでしたが、あの村の出身だった親父からようく話を聞かされたもんでね。親父や、その村の住人達は確かに見たんだそうですよ」

怖い物知らずで鳴らしていた強面の親父があの日以来どっぷり酒に溺れ、それでも逃れられなかった恐怖の記憶。

「あの駅に現れた、人間の喉笛に食らいついて血を浴びて嗤った、吸血鬼の姿を」
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