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シャイリィの研究者・4

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 話し合いの結果、とりあえずしばらくは研究所に滞在することに決まった。

 シリスは何だか複雑そうな顔してたし、ガイエンはちょっと意外そうだったけど、一応納得してくれたみたいだった。
 二人の心境はなんとなく想像がつくので、早いうちにフォローをしようと思う。

 ここに居たときの記憶を辿って、通路を歩く。廊下というより通路といった方がしっくり来る、飾り気のない鈍色の直線が続く。『研究所』なのだから温かみがないように感じるのは当然かもしれないけど。

 記憶と同じ場所にそれはあった。長方形のパネルには、直径三センチくらいの赤と白のボタンが並んでいる。
 赤いボタンを押す。ピピッという音と一緒にパネルがスライドして、その下に数字の書かれた十個のボタンが現れた。ちょっと悩んでから、記憶の通りの順番で押す。
 押し終わってから数秒して、パネルの横の空間がぱっと消えた。
 よかった、合ってたみたいだ。

 ぱっかりと開いたその空間に足を踏み入れる。すぐに入り口が消えた。……何というか、退路が閉ざされたみたいで心臓に悪い。作った本人の性格がよく表れてると思う。

 目の前に広がるのは、今までの無機質な空間とは少し違う印象を受ける、四方が書棚に囲まれた空間。書棚には端から端までぎっちりと本が詰められていて、部屋の真ん中にある机にも何冊か積み重なっている。

 記憶と変わらないその部屋の様子を一通り眺めたところで、机で何か書き物をしていたらしい人物が顔を上げてあたしを見た。


「いらっしゃい、リアラ。君が自分からここに来るなんて俺サマびっくりだよ。どういう風の吹き回し?」


 答えを分かっていながら訊くのはもうこの人の性なんだろう。あたしは小さく溜息を吐いて、口を開いた。


「あれを渡してきた理由、ちゃんと聞いてなかったので」

「ああ、ナルホド?」


 笑って、ネクトは立ち上がった。そしてあたしに向かって歩いてくる。


「一応説明したよねぇ、『魔物が出たから』だって。それじゃご不満?」

「不満です。それだけだったらわざわざ二人でこの大陸まで戻ってこなくても、ジオだけで充分じゃないですか。あなたの中の優先順位が狂わない限り、一度出て行った大陸に戻ってくることはないはずです」


 『魔物の殲滅』というただ一つの目的のために、ネクトはこの大陸で『研究者』をやっていた。だから、この大陸の魔物をほぼ殲滅し終わったときに別の大陸に移ったのだ。

 殲滅したはずの魔物が首都に出て、あたしを襲った――そのことを知ったからといって戻ってくる理由はないのだ。少なくとも、二人で戻ってくる理由はない。ちょっとジオがこの大陸に戻って、殲滅していくくらいはするかもしれないけど。

 だから、何か二人で戻ってこないといけなかった理由があるはずだ。あたしをわざわざここに呼び寄せたこと、その手段に国を使ったことからしても、一定期間あたしをここに留めようとしてるのは明白。――つまり、あたしに関係あって、その上魔物絡みなのだ。


「隠すつもりなんてないでしょう。もったいぶらないでさっさと言ってください」

「はーいはい、リアラはワガママだねー。ま、いいけど。……あれを渡した理由、ね。教える前にちょっと聞きたいんだけど、君を襲ったっていう魔物、どういうのだった?」

「蔦でした。家に絡みついてたやつが巨大化したみたいでしたけど」

「ふーん。なんか言ってた?」

「言ってましたよ。『風の聖霊使い』とか『殺す』くらいですけど」


 そういえば、あの時点ではまだ契約してなかったのに『風の聖霊使い』って言われたことになるんだよね。シリスが契約持ちかけてたからなんだろうか。


「なるほどなるほど。……ヤだねぇ、予想が大当たりみたいだよ」


 ネクトの言葉に首を傾げる。予想って一体何のことだろう。


「……まあ、単刀直入に言うとねぇ、リアラ、君、魔物に狙われてるみたいなんだよ。だから目印持っといてもらおうと思って。もちろん、保険って言ったのも嘘じゃないけどね?」

「………………は?」


 我ながら間抜けな声だったと思う。


「二度は言わないよ? めんどくさいし」


 平然としているネクトの声で我に返って、うまく動かない頭を必死で回転させる。

 狙われてる?
 誰が?
 ……あたし、が?


「なんでですか!?」


 つい勢い込んで聞いてしまった。いやいや、でも仕方ない。いきなりそんなこと言われても心当たりないし。


「まだ仮説の段階だからあんまり話したくないんだけどねぇ。聞きたい?」


 聞きたいに決まってる。無言で頷いたあたしにネクトは珍しく溜息を吐いて、それから書棚から一冊の本を抜き出して放り投げてきた。慌ててキャッチする。


「今から五百余年前に、一つの村が魔物によって滅ぼされた」


 本の題名に目を落とそうとして、唐突に語り始めたネクトに視線を戻す。
 滔々と、まるで詠うかのようにネクトは語る。
 遠い昔、過ぎ去った記録を。


「その村は小さくてね、子供も長らく生まれてなかった。だからその村の村長の娘夫婦に子供ができたってわかったときには上へ下への大騒ぎ」


 じっと話を聞きながら、一体この話がどこへ繋がるのだろうと考えを巡らせる。だけどまったく分からなかった。


「そうして生まれた子供は、村中から愛されて育った。ただでさえ年少者の少ない村だ。子供は惜しみない愛情を与えられ、申し分ない環境の中ですくすくと育った。聖霊に関わらない異能の力を持ったことも、周囲から受ける愛情になんら変化を与えなかった。それどころか『天からの授かりもの』だって尊ばれた。……だけどねぇ、」


 そこで一度言葉を切って、ネクトは静かにあたしを見た。


「その子供は、少なくとも村が滅びるそのときまで――生まれてから十年の間、聖霊と契約を結ぶことはなかったんだよ」


 …………え。
 十年――十年もあれば、人は誰しも聖霊と契約を結んでいるはず。
 それがこの世界の『常識』のはず。
 それなのに?


「子供が十歳になった祝いの日、その村は滅びた。魔物に襲われてね。だから、その子供がどうなったかも、誰も知らない――死んだのかどうかすら、誰も知らない」


 ネクトがコツコツと足音を立てて近づく。


「子供の容姿は褐色の肌に赤い目、アッシュグレイの髪。その地方特有の色彩だったらしい。……今じゃもう、血が絶えてたり薄まったりでいないけどね」


 言って、ネクトは笑う。瞳の奥にちらちらと垣間見えるのは憎悪だ。普段は綺麗に覆い隠されているそれが、ほんの僅か表に出ている。


「ここからが本題。……東の大陸の魔物狩ってたら、褐色の肌に赤い目、アッシュグレイの髪の子供に会いました。周囲に民家はもちろんありません。子供がうろちょろするような場所でもありません。なんっかヤな感じしたんで警戒してたら、その子供、なんとびっくり、魔物を召喚するではありませんか。しかも人型。そうしてぽつりと『見つけた』と呟いたかと思うと、俺サマをさっくり刺して離脱しやがったワケ。そしてその直後、――首都に魔物が現れたっていうのをジオが感知した」


 その二つに因果関係があると考えるのは自然なことだ。
 それは、つまり。


「その、子供が――あたしを狙ってる、の?」


 状況的に、魔物に繋がりのある子供。五百余年前に滅びた村の、存在するはずのない最後の一人かもしれないその子供が。

 あたしを、殺そうとしてる?


「十中八九そうだと思うよ。ま、俺サマも似たような立場っぽいけどねぇ?」


 楽しげに細められた目。愉快だといわんばかりにつりあがった唇。だけど、その声音に滲む憎悪に、唐突にあたしは理解した。


「もしかして、ネクトの故郷を襲ったのって――」


 いつだったか、寝物語に聞いたことがある、ネクトの故郷の話。砂漠に囲まれ、オアシスを中心に円状に作られた美しい砂上都市。
 ――魔物に襲われ、見るも無残に破壊され、炎に包まれ永遠に失われた幻の場所。

 ネクトはにっこりと笑った。とても綺麗な、綺麗だからこそ恐ろしい、笑みだった。


「そ。俺サマ、何せ聡明な子供だったからさぁ。覚えてたんだよね、その子供が魔物と一緒にいたこと。ま、流石に一瞬見ただけだったし、刺されるまで思い出せなかったけどね?」


 軽い口調が違和感を浮き彫りにして、あたしは無意識に息を呑んだ。


「魔物を殺す。殺し尽くす。それが俺サマの存在意義だ。憎しみから生まれた俺サマのね。魔物にとって何らかの意味があるあの子供も、もちろんその対象なワケ。だからさ、リアラ」


 そう言ってネクトは不意に自分の右手を左の掌に突き入れた。血は、出ない。左手には闇色の穴が開いていて、右手は手首までそこに沈んでいる。


「……ネクト」


 何を言えばいいのか分からなくて、ただ名前を呼ぶ。

 今のネクトは、いつもは抑えている憎悪を――誰にも触れさせないようにしている憎悪を、隠そうとしていない。

 自分の存在自体が狂気なのだ、とネクトは言っていた。その『狂気』に、あたしは今対峙しているんじゃないだろうか。


「誓ってくれる? 安寧と眠りを司る、『闇』の下に」


 言葉と共に、ネクトは右手を引き出した。そこには、漆黒の長剣がある。
 ネクトが『魔物殺し』の異名を持つことになったのは、この剣があったからだ。人の身ながら、魔物を滅すためにそれを望んだからだ。
 『闇』そのものの、剣。ネクトとジオの契約の形。


「俺サマもいい加減さぁ、疲れちゃったんだよね。だからさっさとあの子供、殺したい。……俺サマの推測が正しいなら、またリアラに接触するはずなんだよねぇ。手間省きたいし、リアラにも協力してもらいたいワケ」


 言って、ネクトは漆黒の長剣をあたしに向けた。同時に、宛がわれた部屋に置いて来たはずの漆黒の短剣が目の前に現れる。


「別にリアラに殺せって言うわけじゃないよ? ただ、その剣を、肌身離さず持っててくれればいい。そう、『闇』の下に誓ってくれればいい」


 たかだか短剣一本を肌身離さず持たせるためだけに大げさな、なんて言える雰囲気じゃない。
 拒否を許さない狂気を前に、あたしは本能的な震えを抑えながら口を開いた。


「……それ、で、ネクトの気が、済むなら」


 ああ、言葉がつっかえる。もどかしい。


「――『闇』の下に、」


 誓えというのなら誓う。別に何か問題があるわけじゃない。


「誓約を」


 殆ど呟くように誓句を口にして、短剣を手に取る。何とも言い難い感覚が短剣に触れたところから全身に広がった。……『誓約』ってこういうのだったんだ……。

 ふっ、と、ネクトが纏っていた狂気が鎮まる。落ち着いたみたいだ。
 ……正直なところやっぱり怖かったので、助かった。


「――我が主」


 唐突な声とともにジオが現れる。ちょっとびっくりした。


「『風』の〈原初〉と『黒炎』がこちらに向かっている。……殺気立っているようだから、一応忠告を」

「あっそ。わかったー」


 ……殺気立ってる……って、やっぱり『闇』の下に誓約をしたからだろうなぁ。
 この感じだとネクトが説明してくれるかもだけど、あたしも何か言ったほうがいいのかな。

 なんて考えてる間にすぐ傍の空間が歪み始めた。きっとシリス達が力技でここに来ようとしてるんだろう。この部屋は研究所の中でも特別、聖霊の力を受け付けないようにできてるし。

 …………それにしてもあたし、本当にだんだん『常識外』の出来事に慣れてきてるような……。全然嬉しくないけど。

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