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過去示す時計・4

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 映し出されていた全てが消え、最初に見たどこまでも続く闇に戻る。
 そして、声が聞こえた。


『ごめんなさい、突然こんなものを見せて』


 ついさっきに聞いた声。面識はない、あるはずもない人の、声。


「エレナ、さん……?」


 ふわり、と白いワンピースの裾を揺らして、もういるはずのない彼女は、笑う。


『エレナ、と呼んで。……貴方が私の名を呼ぶ機会が、またあればの話だけど』


 悲しそうにそう言って。
 エレナさんは――エレナは、あたしの手を取る。


『驚いたでしょう? ……ごめんなさい。ゆっくり説明する時間があればよかったのだけど、無理だったの。ティーラの力を少しだけ借りて、なんとか話せるようになったけれど。さっきあなたも見たでしょう? ――わたしはもう、死んでいるから』


 辛そうに目を伏せる。闇の中で光を放つ金糸が、さらりと肩を滑った。


『ティーラが、あなたに危害を加えようとしたこと、謝ります。……悪い子じゃ、ないの。ただ少し、周りが見えなくなっているだけ。――原因は、私……だけど』


 ティーラ、と言うのは、さっき見た『過去』のなかの〈彼〉だろう。そして、あたしが気を失う前に見た〈彼〉。『危害を加えようとした』というのはよくわからないけれど。


『それで、ね。お願いが、あるの。……あなたにとってはどうでもいいかもしれないし、関係ないといわれても仕方がないわ。けれど……あなたにしか、頼めないから』


 握られた手に少しだけ力が加わる。でもそれは不快なものじゃなくて。
 縋るような、思いのこもった握り方だった。


「あたしは……あなたのこと、知らないけど。でも、あなたがシリスと、ティーラのことをすごく大事に思ってることは……わかる。二人のために、あたしに何かを頼もうとしてることも。――いいよ。頼みごと、引き受けるから。言って?」


 触れた手から、流れ込む。彼女の思い。……とてもあたたかくて、そして悲しい。


『ティーラを、止めて。もしかしたら、シリスが止めるかも知れないけれど。もし、シリスが間に合わないなら。ティーラが、あなたを殺そうとしたら。止めて、あの子を……この連鎖から、救ってあげて』


 あたしは〈彼〉をどうやって止めればいいかもわからない。『救う』なんて大層なこと、出来るなんて思わない。
 でも、少しでも、何かが出来ると言うのなら。


「うん。……わかった」


 あたしがそう答えると、エレナはにっこりと笑った。


『ありがとう。二人をよろしくね、リアラ』


 エレナはそう言ってあたしの手に何かを握らせる。そのひやりとした冷たさを感じた瞬間、エレナは消えた。
 そして眼前に広がっていた無限の闇が収束して――あたしの意識は、急速に浮上する。

 ……ああ、目覚めるんだ。

 ぼんやりと、そう思った。



  * * *



「で、君には何か考えがあるの?」


 全てが止まった空間で、シリスは傍らの青年に問う。


「ん? まあ一応。ってかお前さ、自分でもなんか考えろよ」

「君が言い出したことだろう?」

「いやそりゃそうだけどよ……。あーもういい、面倒だ。シリス、お前ティーラの野郎と繋がるもん持ってるだろ。ちょっと出せ。今すぐ出せ」


 こめかみに手をあてつつもそう言うガイエンに、シリスは眉根を寄せる。


「ティーラと『繋がるもの』?」

「心当たりがねぇって訳はないだろ? 何か揃いのものとかそういうの持ってるだろ。力の道筋があるんだからよ」


 色々足りていないため不親切極まりないガイエンの言葉だが、シリスにはそれで充分だった。


「ああ、もしかしてこれかな?」


 そう言って取り出したのは、銀細工の懐中時計。
 しゃら、と鎖が揺れる。


「ああそれだそれ。あいつの力が微弱に流れ込んでるだろ? お前とあいつを繋ぐものだよ、それが。それを媒介にあいつの空間に干渉すればリアのとこに行けるだろ」


 さも簡単そうに言うが、他の聖霊が創った空間に干渉すると言うのは生半な実力では出来ない。
 とは言っても、シリスもガイエンも『生半な』実力ではないから何も問題はないのだが。


「んじゃちょっと貸せ。入り口創るんなら俺のが向いてるだろ」


 何の気なしに出されたガイエンの掌に懐中時計を落とし、シリスはガイエンに見えないように、小さく笑った。――それは自嘲。


「ごめん……」


 小さく小さく呟かれた言葉は、すぐ傍のガイエンにすら聞かれることはなく、儚く消える。

 いつかは来ると知っていたときが今来たのだと、ただそれだけのことに揺れる自分の心に苦く笑う。
 ……結局自分は、何も決められなかった。ガイエンがいなければ、リアラを見殺しにしただろう自分を知っているから。


 ――本当に自分は、リアの守護聖霊でいていいのか、と。


 答えのない疑問。誰も知らない自分の内。
 ティーラがエレナにとらわれていたと言うのなら、自分だって同じだ。そしてエレナにだけでなく、ティーラにも。
 三人で過ごした、あのあたたかな、幸せなときを忘れられなくて。

 それゆえに、自分は、エレナの約束を守ることに迷いがあった。
 そして、ティーラを止めることが出来ずにいた。

 ガイエンが、手にした懐中時計からティーラの空間の座標を探る。
 その様子を見ながら、シリスはぼんやり考える。

 ……もう、すべてを終わらせてしまおうか、と。

 リアラにはガイエンがいる。自分がいなくなっても彼女は独りにはならない。
 リアラの力は未知数だが、エレナのように自身の命を削ることはない。時間をかけてゆっくりと熟成され、そして目覚めた力は、穏やかに彼女の内に在る。

 リアラの〈呼び声〉を聞いてから、細心の注意を払って彼女を見守ってきた。

 近づきすぎてはいけない。彼女の力が反応して目覚めてしまうから。
 そうすれば彼女はエレナの二の舞だ。そんなのは嫌だった。

 離れすぎてもいけない。いつ彼女の元に聖霊がやってくるか分からないから。
 ある程度の力を持っていれば彼女の力が目覚める危険性に気付くだろうが、時を待たずして契約を結ぼうとする聖霊がいないとも限らない。

 ずっとずっと、見ていた。
 それまで自分が生きてきた歳月からすれば、ほんの瞬きほどの、と言ってしまえる年月。

 孤独を、絶望を、知って。それでも生から――苦しみしかない生から逃げず、声を殺して泣いていた彼女を。

 ……愛しい、と。

 そう、思ったのに。それなのに、自分は。


「……おい。何ぼけっとしてんだよ。さっさと行くぞ」


 いつのまにか創られた空間の裂け目。十中八九、ガイエンの『炎』で空間が破られたのだろう。

 頷いて了承の意を表し、一度だけ目を伏せて、彼はガイエンと共に空間へ向かう。


 ――決着を、つけるために。



  * * *



「力、が……効かない?」


 自分が力を行使する前と変わらず静かに息をする少女を前に、ティーラは愕然として呟く。

 自分は間違いなく力を行使したはずなのに、何故彼女は生きている?
 彼女の意識はないはずだし、彼女が無意識に防御したとも考えられない。

 彼は混乱する。今までになかった事象を目の前にして。

 ピクリと少女の瞼が動く。
 目覚めの前兆に、彼は恐れを抱く。自身でも、理由はわからないままに。

 恐れになす術もない彼の目の前で、少女はゆっくりと目を開ける。

 焦点の合わない瞳が、宙を彷徨う。
 何度か視線がティーラの前を行ったり来たりした後に、どこか夢見心地のまま彼をとらえる。

 そして。


「ティーラ……もう、いいから。悲しむのも、苦しむのも。終わりに、しましょう?」


 静かな口調で――そう、言った。
 彼の慕う、二度とは会えぬただ一人の主によく似た口調で。

 気付けば彼は泣いていた。訳もわからず、流れる涙はそのままに、彼は少女に手を伸ばした。
 少女はその手を優しく握り、彼はそれに安堵する。

 ごめんなさい、と繰り返す。何に対してかは分からないまま、ただひたすら彼は謝罪する。
 少女は何も言わず、ただ彼の背を優しく撫で続けた。

 しゃらり、と彼女の手の内で、鎖が鳴る。それは彼にとってとてもよく見知ったもの。


「エレナ……」


 無意識にその持ち主だった少女の名を呼べば、また勢いを増して涙が溢れ出す。
 少女は柔らかく笑んで、彼の手にそれを握らせた。


 静寂が横たわるその空間に、突然音が響く。
 ぱきぱきと、何かにひびが入るような音。

 彼はゆっくりと自らの創った空間に目を遣り、そこに亀裂が入っていることに気付く。

 ――ああ、来るんだ。

 そう悟った瞬間、その亀裂が瞬く間に広がり、そこから人影が踊り出る。
 一人は黒髪を無造作に後ろで縛った青年。もう一人は、それ自体が光を放つような銀髪を揺らす、彼の大事な人だった。



  * * *



「リア……!」


 ガイエンがあたしの名前を呼ぶ。
 ほんの少ししか離れていなかったはずなのに、なんだか懐かしい気分になりながら、あたしはガイエンに向かって笑う。大丈夫、の意味をこめて。

 ガイエンが戸惑ったように立ち止まるのを見て、ゆっくり立ち上がった。
 ティーラも立つように促して、立ち上がったと同時に呆然と立つ二人を見る。


「シリス、その時計、貸してくれる?」


 それを持つガイエンにではなく、本来の持ち主であるシリスに問う。
 二人は何がなんだかわからない、というような顔をしていたけど――まぁ当然かな、とは思う。
 きっと二人は心配してくれただろうし、あたしが死んでいるかもしれない、とか思っていたんだろう。

 エレナの言葉と、初めてティーラを見たときのあの焦燥を思えば、ティーラはあたしを殺そうとしていたに違いない。
 でも、あたしは無事だし、ティーラは全くあたしを殺そうとする気配がない。
 それどころかあたしに縋りつくみたいにして泣いているんだから驚くのも無理はないだろう。

 シリスが戸惑いながら頷いて、ガイエンがほとんど無意識のようにあたしに懐中時計を渡す。
 今ティーラの手にあるのと、同じ懐中時計を。


「ティーラ」


 呼びかければ、ティーラはあたしを見る。
 涙に濡れた瞳で、静かにあたしを見下ろす彼に、手にした時計を渡した。
 次いで彼の首にかかる鎖を引き出し、その全貌を晒す。


「ほら、これで、揃った」


 ティーラに微笑む。
 ティーラはのろのろと全く同じ意匠の三つの懐中時計を見下ろし、また涙した。


「変わることを恐れないで。時は進むの。――あなたの時も、進むの。それは悪いことじゃないから。怖がらないで。たとえ変わることが避けられなくても、忘れることが恐ろしくても、残るものはあるから」


 彼女の残した思い出。そして彼らの思いのように。


「忘れずにいたいなら、それでいい。記憶は薄れても、思いは残るから」


 エレナがあたしと会うことが出来たのは、思いがあったから。シリスとティーラの行く末を心配する、強い思いが。
 そうやって、時を越えて残るものも、ある。


「ごめん、なさい……」


 小さな子供のようにただひたすら謝るティーラを、ゆっくり抱きしめた。
 そうしないといけない気がした。


「疲れたでしょう? ……少しだけ、おやすみなさい。いい夢を」


 呟いて。
 ティーラの体がぼんやり光るのを見た。光の粒子がきらきらと舞う。
 ティーラはあたしににこりと笑って、それからシリスを見る。


「ごめんね、シリス。謝っても許されないだろうけど、ごめんなさい」


 一際光が強くなって――そして、ティーラの姿が消える。
 残った光の粒子が、ふわりと宙に浮かんだ時計へと吸い込まれた。

 すべての光が消え、三つの時計があたしの手元へと落ちてくる。あたしはそれはぎゅっと握り締めた。


「……リア」


 シリスが、あたしに一歩近づく。
 悲しそうな、苦しそうな、迷い子の顔だった。


「ティーラは、眠ったよ。この時計の中で、眠りについてる」


 いつかは目覚める、眠り。けして終わりじゃない。終わりなんかじゃ、ない。


「リア、俺は……」


 躊躇うように、シリスが口を開く。
 あたしはにっこりと笑った。


「ありがとう、来てくれて。助けに来てくれて」

「…………俺は何も、出来なかった」


 懺悔のようだった。いや、実際にそうだったのかもしれない。
 それくらい、苦渋に満ちた声だった。


「そんなこと、ないよ。……シリスは、ティーラを見捨てなかったでしょう?」


 シリスは、きっとティーラを止められなかったことを悔やんでるんだろう。でもそれは、問題じゃない。
 たくさんの命が奪われたことは、とても悲しむべきことだけど。

 ティーラを、あの孤独に包まれた心を、救ったのはシリスだ。ティーラが、最後の最後に絶望から逃れたのは、シリスがいたから。
 そのシリスが、もし彼を切り捨ててしまったら。――ティーラは、今度こそ絶望に心を染めただろう。

 シリスの行動は最善ではなかっただろうけど――最悪でも、なかった。
 それで充分だと、あたしは思う。


「……ま、リアが無事でよかったぜ。んじゃ、さっさとここ出ようぜ?」


 ガイエンが笑う。いつもの、眩しい笑顔で。
 変わらないものも、変わってしまうものも、全てが、愛しい。


「ほら、行こう、シリス」


 まだ自己嫌悪だかなんだかに捕らわれているらしいシリスの手を取る。
 驚いたように視線を向けるシリスに微笑んで、ガイエンの元へ向かう。

 ガイエンはしょうがねぇなあ、とシリスを見て苦笑して、あたしに腕を差し出す。
 遠慮なくもう一方の腕を絡めて、あたしは一歩を踏み出した。

 終わるためじゃなく、始まるために。

 時計は止まらずに、進み続けるのだから。


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