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孤独な炎
しおりを挟むつい最近、あたしの生活は一変した。
『守護なし』として都に保護(といえば聞こえはいいけど要は監視)されていたあたしの前に、突然現れた銀髪碧眼の「シリス」と名乗る男。
シリスはあたしと『契約』するために来た聖霊らしく、何がなんだかわからないまま契約を結んで。
そして今は、そのときに交わした言葉通りに、苦しいほど焦がれていた世界を旅している。
* * *
独特の、血が沸き立つような、気分の高揚する雰囲気。
日常ならば『煩い』と一括りに出来る喧騒も、この特別な日を彩るものになる。
「これは、何のお祭り?」
物珍しさから周りを見回しながら問うと、隣を歩く彼――シリスは微笑んだ。
「この地方独自の祭りで、『災い送り』というらしいよ。ありがちだけど、前の祭りから次の祭りまでに自分の身に降りかかった災いを『送』って、福を呼び込みやすくするらしい」
「『送る』って、どこに? それにどうしてこんな中途半端な時期にやるの?」
新たな疑問を投げかけると、シリスは「さあ」と首を傾げた。
「いつだかに聞いた話では『異界』に送る……ということらしいけど、正確にはわからない。結局こういうものは気分の問題だから、一つの区切りとしての意味のほうが強いんじゃないかな。この時期にやるのは、日蝕の日に『送る』ところへの道が開けるから、だそうだよ」
すらすらと並べ立てたシリスに内心驚く。……とは言ってもシリスの並外れた知識に驚嘆させられるのはこれが初めてではないのだけど。
シリスは見た目にそぐわず、かなり長い年月を生きているらしいので、あたしなんかには想像もつかないような昔のことを知っていたりする。
あまりに昔のこと過ぎて確かめる術がないものも多いけど、こんなことで嘘を言う理由はないから本当に見てきたことなのだろう。
「日蝕かぁ……太陽が生まれ変わる儀式、だよね」
昔見た本を思い出して言うと、シリスは少し目を見開いて「そうだね」と相槌を打った。
「リア、その表現は何処から?」
何気ない風に聞かれて、不思議に思う。……そんなに変なことを言ったんだろうか。
「昔読んだ本に書いてあったの。日蝕は太陽が、月蝕は月が生まれ変わる為の儀式なんだって」
シリスは真面目な顔で考え込んで、それからぽつりと呟いた。
「『儀式』だと知る者がいたのか……」
いつもとは違う、幾分か固めの声。懐かしそうに、でもどこか哀しそうに。
「シリス?」
名前を呼ぶと、シリスは表情を柔和な笑みへとすりかえた。
それに気付いてしまって、わずかに胸が痛む。その理由をあたしは痛いほど良く知ってる。
―――なんでもないのよ、ちょっと出かけてくるだけだから。
嘘。もう戻ってくるつもりなんてないくせに。
―――すぐ帰ってくるから、おとなしく待っててね。
そんな上辺だけの顔を見せられるくらいなら、いっそ憎しみを湛えた瞳で詰られるほうがいい。悪意でも恐れでもいいから、ちゃんとあたしを見て――。
ずっと忘れていた暗い思いが心を侵食する。目をそらすことは出来ても、布に滲んだインクのように消えることはない。
「リア?」
心配そうに名前を呼び返したシリスに、「何でもないよ」とすぐわかる嘘を吐く。
だけどシリスはそれ以上は訊いてこなくて、安堵する反面、切なくなる。
……いつの間にあたしはこんなに弱くなったんだろう。こんな些細なことで不安になるなんて。
心に落ちた影を振り払うようにぎゅっと目を瞑る。昔からのおまじない。
目を開けるとシリスがまだ気遣わしげに見ていた。ぎこちなくだけど微笑いかけると、ほっとしたように表情が緩んだ。
気を取り直して別の質問をする。実は最初から気になってはいたのだけど。
「この『災い送り』にはどんな聖霊がついてるの?」
普通、祭りにはそれを守護する聖霊がついているものだと聞いていたので尋ねてみると、シリスは人を憚るように囁いた。
「この祭りには聖霊はついていないよ。『災い』は聖霊の力の範疇外だから、どの聖霊も『災い』を『送る』なんてことは出来ないし。『災い』とか『幸福』とかそういうものは本人にしか分からないからね。聖霊が関与することは出来ないんだ」
聖霊はあくまでも人間を守護するのであって、真綿で包んで甘やかすのではないのだとシリスは言う。
『幸福』も『災い』も本人が受けるもの。聖霊にはコントロールできないらしい。
「じゃあ、このお祭りには誰かの守護以外の聖霊はいないの?」
「そうだね、たださっきから……」
シリスは言いかけて言葉を止める。訝しんでいると、唐突に踵を返した。
「リア、すぐ戻るから適当なところで待ってて。変な人についていったら駄目だよ」
幼い子供にするような注意をしてシリスは人ごみをすり抜けてあっという間に見えなくなった。
理由を聞く間もない。
守護聖霊とその主――つまり契約者――はなんだかよく分からないけど、ある『絆』で結ばれているらしい。
分かりやすく言うと、契約を結んだ瞬間にその聖霊固有の『刻印』が魂に刻まれるらしいのだ。その『刻印』のおかげで、守護聖霊と契約者のどちらからでも気配を辿ることが出来る。
だから見つけられないということはないにしろ、一人でお祭りを見るのもなんだか味気ないので大通りを逸れて脇道に入ることにする。
さすがにこんな日に脇道に居ようなんていう人はいないようで、道には人っ子一人いない。
まあ、ガラの悪い人たちがたくさんいてもかなり困るからこの方がいいんだけど。
とりあえず目的もないので道に沿って歩く。
結構入り組んだ道なので帰り道が分からなくなるかとも思ったけど、万が一そんなことになってもシリスの気配を辿れるからいいや、とかなり楽観的に考えてそのまま歩きつづける。
右に曲がってまた右に曲がって、次は左に曲がってずっとまっすぐ……。そんな感じで歩いていたら自分が何処から来たかも分からなくなっていた。というか祭りの喧騒すら聞こえない。
そろそろ動くのも止めにしようかな、と思ったとき、覚えのある気配が奥の曲がり角の先からやってくるのを感じた。
「……シリス?」
何処からか道がつながっていたのかと少し不思議に思いながら足を速める。
そうしてその曲がり角の手前まで来たとき、一足先に角から『彼』が姿を現わした。
「………………え?」
その人物は気配こそ似ているものの外見はシリスと似通っているところのない青年だった。
漆黒の……闇に溶けたような深い黒髪を無造作に後ろで縛っていて、濃い紫暗の瞳が面白がるような表情を浮かべてあたしを見つめている。
「こんなところでどうしたんだ? 俺を誰かと間違えたみたいだけど」
先に口を開いたのは青年だった。人好きのする笑みを浮かべて至極まっとうなことを聞いてくる。
「え、と……。ちょっと脇道に逸れたら帰り道が分からなくなって」
とりあえず当り障りのないことを答える。
もし怪しい人だったら困るし、そうこうしてるうちにシリスが来る可能性もある。
「大通りに出たいんだったら連れてってやるけど、どうする?」
「いえ、そのうち連れが来るはずなので大丈夫です」
目の前のこの人が『変な人』だとは思わないけど、知らない人についていくのはよしたほうがいいと思ったから辞退しておく。
すると目の前の青年はくくっ、と押さえ気味に笑った。なぜ笑われたのか分からなくてきょとんとしていると、青年は「悪い悪い」とさして悪いと思ってなさそうな態度で謝罪した。
「俺を人攫いかなんかだと思ったんなら違うぜ。変なとこに連れ込む気もねぇから安心しろよ」
笑ったせいなのか多少口調が砕ける。だけど本人からの申告なんて到底信じられない。
そう思ったのが分かったのか、青年は困ったように頭を掻いた。
「……つっても信じられねぇよな。んじゃ、どうするか……」
真剣に考え込んでしまった青年を見て、放っておけばいいんじゃないかと思ったけれど口に出すのも憚られる。
仕方がないのでそのままの状態でいること数分。
「あ、そーか」
妙案が浮かんだらしく、頭の上に電球でも閃きそうな勢いで声をあげたその人は、ひょいと私を見遣って質問を投げかけた。
「お前、守護聖霊は幾ついる?」
なんでそんな質問がここで飛び出してくるのか怪訝に思いながら「一人です」と答えると、「ならいいか」と一人で納得するふうに頷いた。
というか『幾つ』って……確かに聖霊は人じゃないから『幾つ』でも間違ってないのかもしれないけど、なんか嫌な感じだ。
それ以前にこの人はあたしが何人もの聖霊に契約を求められるような大層な人物に見えたんだろうか。
……普通、複数の契約を結ぶ人はかなり出来た人だといわれているのだ。でなければ、聖霊だって他の聖霊と重複した主を持とうなんて考えないというのが通説だ。
「そいつの属性は?」
さらに質問を重ねてきた青年にさすがに疑問を感じる。
他人の守護聖霊を気にするような人はそうそういないとシリスが言っていたから。
「……なんでそんなこと訊くんですか?」
声音に気持ちが出ていたのだろう、青年は眉根を寄せて「どうしようか」というような顔をした。
やましいことがないのならすぐに答えられるだろうと思っていたから、あたしはますます警戒を強める。
「……お前の守護聖霊が来てから言おうと思ってたんだけど」
そう青年が話し始めた瞬間、強い風が吹いた。
思わず目を瞑ったあたしを、慣れた気配が包み込む。
「大丈夫? リア」
今度こそ間違いなくシリスだった。急いで風に乗ったのか、多少服が乱れている。
「大丈夫」と答えると、安心させるように微笑んでくれた。
だけど視線を目の前の青年に移した途端、表情が鋭く、冷たく変わった。
「どういうつもりなのかな?」
底冷えするような声。
純粋な敵意が感じられて、自分に向けられているわけでもないのに背中が寒くなった。
だけど、その敵意を向けられているはずの青年はどうともなさそうな様子で不敵に笑っている。
「どういうつもりも何も、別にそんな目で見られなきゃならないようなことはしてないぜ?」
飄々と言った青年に、シリスは冷ややかに言い放つ。……信じられないようなことを。
「人の主に勝手に近づいておいて出てくるのがその台詞? 『主なしの黒炎』」
……『主なしの黒炎』? 『あるじ』……って、『守護聖霊の主』のことだよ、ね。
つまり、あたしの目の前にいて、さっきまでちょっと変わった人だと思ってたこの青年は、『聖霊』なの?
あたしの内心の驚きには気付かない様子で、二人は言葉を交わし続ける。
「何を目的にリアに近づいたのかは知らないし、知ろうとも思わないけど……もしリアに契約を求めようなんて考えているんだったら、諦めてくれる? 俺一人で十分だから」
「契約は主に決定権があるはずだろ。本人に断られるならともかく、お前に言われて諦める気にはならねぇよ」
二人とも笑顔を浮かべてはいるけど、目は笑ってない。
どうすればいいのか分からなくて二人の顔を交互に見遣る。
するとそれに気付いた青年が「あ、話見えねぇよな」と気さくに笑った。……この状況でそんな笑顔を浮かべられるのは、流石に普通じゃない気がする。
「あー、っと……なんとなく分かったと思うけど、俺は聖霊なんだよ。『黒炎』の聖霊だ。『黒い炎』で『黒炎』な。一応聖霊の中では上位クラスらしいが、今まで主は持ったことがねぇ。……ってのも、俺が外れ者だかららしいんだな」
あっさりと青年が口にした言葉――『外れ者』。少し前の、あたしと同じ。
だけど、この青年が『外れ者』には見えない。聖霊だからなのだろうか。
「普通、炎が『生命』を司るのは知ってるよな?」
青年の問いに頷く。『炎』が『生命・再生』を、『風』が『自由・変化』を、『水』が『死・調和』を……というように、それぞれの属性が司るものは決まっている――そのことはシリスが教えてくれていた。
「だけど俺は『炎』の属性に関わらず、『破壊』の力しか持っていない。だから今まで契約を持ちかけた奴らには、『災厄の引き金』だとか言われて断られたんだ。で、今はお前に契約を持ちかけようって思ってるわけだけど」
『主なし』、――その響きが『守護なし』と詰られた記憶と重なって、同調、する。
……この人も、同じように迫害されてきたのだろうか。あたしよりも、もっと長い時を。
「……リアは、契約したいと思う?」
それまでずっと黙っていたシリスが、唐突に訊いた。
「……駄目?」
問い返すと、シリスは苦笑した。
「リアがしたいようにしていいよ。リアは俺のものではないから」
どこか寂しそうなその言葉に何故だか申し訳ない気分になる。
それを見てとったのか、シリスは「本当に好きなようにしていいんだよ、もうリアは自由なんだから」と言葉を重ねた。
まだ少し納得がいかなかったけれど、とりあえず青年と向かい合うように立つ。
「契約、しましょう。……どうすればいいですか」
そう言うと、青年は満面の笑みを浮かべた。
本当に、心の底から嬉しいのだと分かるような、笑顔。そんな笑顔を浮かべられるとは思ってなかったので、驚く。
青年はその笑顔の余韻を残したまま言葉を紡ぐ。
「そこの奴と契約したときと同じだ。名前を呼ぶだけでいい。……俺の名前は『ガイエン』。――――『ガイエン・スーリーヤ』だ」
「―――『ガイエン』?」
長い方を言わなければならないかとも思ったけれど、そう考えた時には口から音が零れていた。
あたしと目の前の青年――ガイエンを囲むように黒い炎が沸き起こる。だけど熱さは感じない。円を描いた炎は激しさを増して燃え上がる。
それに呼応するかのように、ガイエンの喉元に何かの文様が浮かんだ。
その文様がはっきりと浮かび上がると同時に炎が霧散する。
周りの景色は何の変わりもなくて、たった今ここで黒い炎が燃え上がっていたと言っても誰も信じないだろう。
「その……文様、は、何?」
気になって尋ねてみると、ガイエンは首を傾げた。心底不思議そうに答える。
「俺にもわかんねぇ。契約したことないからな……」
よく見るとその文様は炎を象った物のようだった。「痛くない?」と訊くと、「痛くはねぇよ、心配すんな」と返ってきた。
と、突然、誰かの腕に抱き寄せられた。
……誰か、と言ってもここにはあと一人しかいないのだけど。
「リアの希望だから君との契約を認めたけど、契約したのは俺が先だからね。それにまだ君がどういう聖霊か詳しくは分かってないんだから無闇にリアに近づかないでよ」
その残りの一人は極上の、だけどどこか怖い笑顔でそんなことを言う。
そういえばガイエンのことをほとんど知らないのに契約を結んでしまったけど、普通はしないのかもしれない。
「子供じゃねぇんだから、んな独占欲丸出しにすんなよな。みっともないぜ?」
挑発とも取れるガイエンの発言に、シリスはさらに笑みを深める。
「一人ぼっちが寂しくて主になってくれる人を探し回ってたような君に言われたくないね。とにかくしばらくは様子見だ。もし君がリアの害になるようだったらどんな手を使ってでも契約を解除させるから」
「どうぞご自由に。俺は主の害になるつもりはないんでね」
なんだかよく分からないけど、空気が怖い。
一応これから一緒にいることになるのに、こんなふうで大丈夫なんだろうか。
しばらくは続きそうな二人の言い合いを聞きながら、あたしは自分たちの前途を思って、溜息をひとつ吐いた。
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