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番外
シキとカヤ・3
しおりを挟む事の発端は、机の上に置かれていたホットケーキだった。
「……あれ?」
暇つぶしを兼ねて何か菓子を作ろうかと思い立ったカヤは、自分が作ったものではないホットケーキが食卓の上においてあるのを見て首を傾げた。美味しそうな匂いが漂い、ほかほかと湯気も立っている。
「師匠が作ったのかな……」
そう思ったものの、師匠であるシオンは基本的に料理をしない。出来ないわけではないが、もっぱら自分たち兄弟に任せっきりである。
と、いうことは。
「……シキ、の?」
ある意味シオンよりも料理をしない自身の片割れがどういう経緯でホットケーキなどを作ろうとしたのかは分からないが、恐らくそうなのだろう。
だが、その作成者の姿は台所にない。
そして目の前には美味しそうなホットケーキ。
加えて自分は小腹が空いている。
「食べていいかなぁ……」
そう言いながらも既に食べる気満々のカヤ。トッピングを何にしようかと数秒悩み、そういえば昨日作ったケーキの生クリームが余ったんだった、と思い出した。
早速生クリームを出して、食べることにする。
まず一口。
「あ、結構美味しい」
シキが作ったものだったのであまり期待はしていなかったのだが、思ったよりも美味しい。
食べておきながら微妙に失礼なことを思いつつぱくぱくと口に運ぶ。
あっという間に残り一切れ。
生クリームをたっぷりつけて、まさに口に入れようとしたその時。
「ったく師匠もなんで最悪のタイミングで用事頼むんだよ。食いモンはできたてが一番だってのに……って、あれ?」
縁側から上がりこんだらしいシキが、扉を開けて固まった。
(ある意味これも最悪のタイミング……)と思いつつ、シキが固まっているうちに最後の一切れをひょいっと口に放り込む。
もぐもぐと咀嚼していると、我に返ったシキがカヤを指差し、叫んだ。
「カヤお前何ヒトが作ったおやつ食ってんだーーっっ!!」
こくりと飲み込み、カヤは冷静に言い返す。
「指差さないでくれる? 何で食べてるかって……シキいなかったしお腹空いてたし、ていうかいっつもろくに礼も言われないのにシキにお菓子食べさせてやってるんだからたまにはいいかなって」
「俺楽しみにしてたんだぞ!? どうしてくれる!!」
頭に血が上っているシキに遠まわしな非難は通じなかったらしい。というか聞こえていない。
「どうもしないけど」
おやつを作り直すなんて面倒なことはしたくない、と暗に言う。……当初の目的はお菓子作りだったはずなのだが。
「お前な……」
目の据わったシキが、腰に刷いていた長剣を抜く。それを見て取ったカヤは物騒だな、と呟く。
シュル、という音が響いた。直後、シキが驚愕の声をあげる。
「な……!?」
長剣がシキの手から離れ、宙に浮いたのだ。
「部屋の中でそんなもの振り回したら家具壊れるよ。……全く、場所を考えて武器は使いなよね」
そう言うカヤの手からは極細の糸が出ている。その糸は家の梁を支点としてシキの長剣をぶら下げていた。
「鋼糸!?」
「…鋼糸じゃないよ。鋼糸だといらないものまで切っちゃうかもしれないから、ただの糸。ちょっと丈夫なやつだけど」
飄々と言い放つ。シキは悔しそうに歯噛みして、もう一本の刀を取り出した。
「だから、場所を考えなって……」
「煩いっ!」
気合一閃。カヤめがけて刀が振り下ろされる。それを最小の動作でかわしたカヤは、溜息をつきながら間合いを取る。皿もろとも机が叩き斬られた。
「あーあ……修理代シキが持ちなよね」
修理云々以前に直しようがあるのかどうかのほうが疑問だ。しかしそんなことに気が付かないほどマジギレしているシキは再び刀をカヤに向ける。
生半なことでは止まらなさそうなシキを見て、さてどうしようかと考える。先ほど使った糸は練習用だったので予備はない。色々暗器を服に仕込んではいるが、家具を傷つける可能性があるので使えない。
進退窮まるとはこのことだな、とさして困ってはなさそうな表情で、またもシキの一撃をかわす・椅子がひとつ犠牲となった。
これ以上破壊活動をされると日常生活に支障をきたしそうだとぼんやり思う。しかし攻撃をよけるだけでは止めようがない。というか火に油である。
攻撃が当たらないことに焦れたシキが懐から出した短刀を投げた。不意をつかれてよけきれずに、頬をかすった。
一瞬熱さを感じ、直後にチリチリとした痛みが伝わる。
(あー……血、出てる……?)
一気に頭が醒めたらしいシキの「どうしようやばい俺殺されるかも」的表情に、右手で頬を拭う。
その手にべったりと鮮血がついた。だらだらと流れる血が服に落ち、小さく染みを作る。
「カ、カヤっ……! 血が……」
貧血か、と訊きたくなるような顔色のシキ。そのうろたえぶりを他人事のように見ながら、
(意外に頬って血が出るんだなぁ……)
と、まるで頓着せずにぼけっと突っ立ったままカヤは何もしない。
「と、とりあえず止血……!」
「……私が出かけているうちに一体何があったんでしょうね?」
あたふたとカヤの止血をしようとしていたシキの動きが、止まった。原因は明白だ。
気配を全く感じさせずに現れ、いつもと変わらぬ笑顔、いつもと変わらぬ優しい声、いつもと変わらぬ丁寧な口調で状況説明を促したシキとカヤの師匠、シオン。
その人から放たれる、静かなる怒気のせいだ。
やましいところのあるシキはもろに固まった。それは「自分が犯人です」と言ってるも同然で。
「突然暗殺集団でも乗り込んできたんでしょうかねぇ……。皿は割れているし机も椅子も叩き斬られているし……。シキが刀抜いてるってことは、随分強かったんですねぇ……」
心にもないことを口にしながら、恐いくらいの笑顔をシオンが浮かべる。瞬間シキは回れ右をして逃げ出したくなったが、そんなことをしたらどんなひどい目に会うか分からない。
「お帰りなさい、師匠」
「ただいま、カヤ。一体何があったのか、聞かせてもらえますか?」
尋ねられたカヤは、ごまかしてくれと必死に目で訴えるシキを視界に捕らえる。しかしシオンをごまかすなどまだまだ若輩の自分には到底無理なので、事実のみを語る。
「ええと……シキが作ったホットケーキを僕が食べたらシキがキレて、刀を振り回して皿その他を壊しました」
「……そうですか……」
底冷えする声でシオンが相槌を打つ。シキは半泣きどころかマジ泣き寸前の表情だ。
「シキ、新しく家具を買うお金はあなたに出してもらいましょう。……文句はありませんね?」
こくこくと首を振るシキ。これだけで済んでよかった、と内心安堵の溜息をついたのだが。
「ああ、それとしばらく長剣と刀と短剣は没収します。……頑張ってくださいね?」
微笑んだシオンの背後に黒いものが見えたのは、気のせいではないだろう。
仕事のときに丸腰、というのは危険度が格段に上がる。『死ぬ気で』やらなければいろいろとマズイ。
少しシキが可哀想に思えたが、まぁ自業自得だろうとカヤは冷静に判断した。
シキは死刑宣告でも受けたように、目を見開いて呆然と立っていた。
固まったままのシキを放ってカヤとシオンは隣の部屋へと移った。2人とも座ったところで、カヤが口を開いた。
「師匠、一応僕にも責任あるんで、家具代三割ぐらい負担します」
カヤの言葉に、師匠は可笑しそうに笑う。
「そこで五割、と言わないところがカヤらしいですね。……でも結構ですよ。シキにはいい灸になるでしょうから」
「でもシキがキレたのって僕のせいだし」
言い募るカヤに、師匠は柔らかく笑んで、言い聞かす。
「いつもいつもシキにお菓子分けてあげてるでしょう? なのにその逆をされてキレるシキがおかしいんですよ」
それはそうだ、と思ったカヤは、「そうですね」とあっさり納得した。
「そうですよ」とシオンが言って、ふたりはにっこりと笑いあった。
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