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番外
シキとカヤ・2
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静かに降る、雨の真只中で。
シキは、立ち尽くしていた。足元には彼を狙ってきた刺客が倒れ伏している。
彼は、ぼんやりと考える。
……覚悟がなかったのか、と問われれば、否と答えるしかない。
想像したことがなかったわけではないし、いつかそのときが来るのかもしれないとも思っていた。
けれど。
「…………」
目の前に血を流しつづける人間『だったもの』が横たわっていて、そいつを殺した凶器が自分の手で冴え冴えと光っていて、自分の手も顔も服も何もかもが返り血で染まっている、この状況。
「……う……っ……」
知らず、声が漏れた。降りしきる雨が体温を奪っていく。
返り血が、洗い流される。
「……シキ、どうしたの?」
聞き慣れた声に、のろのろと振り返る。縁側に、自分の片割れが立っているのが見えた。
「……カヤ……」
カヤはシキの血まみれの姿に眉をひそめ、次いでシキの足元に倒れている男の亡骸に目を止め、事情を察してひとつ溜息をついた。
「この間の仕事絡み……かな」
確か相手は組織だったから、と淡々と言うカヤに、シキは一歩、近づいた。
「……いきなり、こいつが襲ってきた」
「…………」
唐突に話し出したシキに、カヤは無言を返す。
「結構強かったからお前呼びに行く暇もなくて、素手じゃ辛かったから刀使って」
「うん」
バシャ、と音を立ててシキの持っていた刀が地面に落ちた。血と雨の混ざった水面に波紋が浮かぶ。
「気付いたら、こいつを殺してた……!」
「…………」
シキが半ば倒れるように膝をついた。ずぶ濡れだった服が僅かに赤に染まる。
「殺すつもりなんてなかった! なのに気付いたら俺はこいつを斬ってた、どう考えても助からない傷を負わせてた! 殺すつもりなんてなかったのに‼」
シキの叫びにカヤは一瞬目を閉じて、縁側から降りた。服が濡れるのも構わずにシキの元へと歩く。
「……そいつは、シキを殺しに来たんだよ」
「だからって殺していいわけない! 俺と同じように生きてたこいつの未来を、俺が断ち切っていい理由にはならない!」
シキのすぐ傍で、カヤは立ち止まる。その顔には何の表情も浮かんではいない。
「でも、こいつを殺さなかったら、シキが死んでた。こうして体中の血を流し尽くして、もう動かない『モノ』になってたのはシキだった」
「……手に、まだ感触が残ってる。肉と骨を断ち切る感触……ヒト1人の命を断ち切った感触が!」
震える手を握り締め、シキは悲痛に叫ぶ。
「こいつだって死にたくなかったのかもしれない! 命令でいやいや俺を殺しに来たのかもしれない! こいつが死んで悲しむ人が、いたのかもしれないのにっ……!」
「……だからって、シキはこいつに殺されてよかったと思うの?」
冷たく、吐き捨てるようにカヤは言った。その言葉にシキはびくっと身体を震わせる。
「僕はそうは思わない。どんな理由があろうとこいつはシキを殺そうとしたんだから。それが自分の意志であろうとなかろうと、誰かを殺そうとしたんなら自分が殺される覚悟はしなきゃいけない。僕たちがいるのはそう言う世界なんだから」
「それでも!」
白くなった拳で地面を殴りつけた。薄く赤の滲んだ水が、小さく撥ねた。
「それでも、俺はこいつを殺してしまったことが、許せない! 誰かの命を奪ったことが恐い! これから先、また誰かを殺してしまうかもしれないことが恐い!」
カヤの顔が、苦しそうに歪んだ。けれど俯いているシキにはそれが見えない。
「……ねぇ、シキ。生きるために殺すのは仕方ない、当たり前のことだよ。生きるために僕たちは植物や動物の命を奪ってる。それが人間でも変わりはない。生きるために殺すことは避けられないんだから。もしシキが命を奪うことが恐いって、その恐怖から逃げ出したいって言うなら、……死ぬしか、ないよ」
シキに目線を合わせるように跪いたカヤは、シキが落としたままになっていた刀を手にとる。
「……死にたいと、思う?」
ざぁざぁと降りつづける雨の中、その言葉は妙にはっきりと響いた。
二人は微動だにせず、互いを見ることもしなかった。
長い沈黙の後、シキはゆっくりと首を横に振った。
「……死にたく、ない」
小さな呟きは、ともすれば雨音に掻き消されそうなほどだったけれど、しっかりとカヤの耳に届いた。
「それなら、いいんだ。そう思っているうちは大丈夫」
何が大丈夫なのかはわからなかったけれど、シキは何だか安心して、顔を上げた。
カヤは、微笑んでいた。……とてもとても悲しそうな瞳で。
「……カヤ……?」
名を呼ぶと、カヤは立ち上がり、シキの手をとる。
「風邪引くよ。……入ろう?」
シキを立ち上がらせ縁側へと向かう。そこにはいつからいたのか二人の師匠の姿があった。
「お風呂、沸かしておきましたから。シキからどうぞ」
にっこりと笑う師匠に、シキは何も言えず風呂場へと向かった。
シキが去った後、カヤは半ば独り言のように言った。
「シキは、優しすぎますね。……多分一生、人を殺すことには慣れないでしょう」
師匠は静かに、カヤに問う。
「君は、どうなんですか?」
カヤは自嘲するように笑った。
「人の命を奪って、『仕方ない』で終わらせられる自分が、心底嫌になりました。同じように生まれて同じように育ったのに、シキとは全く違う……」
嘲るように、羨むように、そして悲しそうに、言葉を紡ぐ。
師匠はそんなカヤの背を軽く叩いて、微笑む。
「シキと君が違うのは当たり前ですよ。違う人間なんですから。それに、まだ君は大丈夫です。そう考える自分を嫌悪できるようなら、まだ完全に『こちら側』になってしまったわけではない」
そう言った瞬間の底の見えない暗い瞳に、カヤは思わず口を開いていた。
「いつまで僕は、シキと同じ側に立っていられるんでしょうか……」
「…………」
師匠は何も答えなかった。
ざぁざぁと、雨が降っていた。
シキは、立ち尽くしていた。足元には彼を狙ってきた刺客が倒れ伏している。
彼は、ぼんやりと考える。
……覚悟がなかったのか、と問われれば、否と答えるしかない。
想像したことがなかったわけではないし、いつかそのときが来るのかもしれないとも思っていた。
けれど。
「…………」
目の前に血を流しつづける人間『だったもの』が横たわっていて、そいつを殺した凶器が自分の手で冴え冴えと光っていて、自分の手も顔も服も何もかもが返り血で染まっている、この状況。
「……う……っ……」
知らず、声が漏れた。降りしきる雨が体温を奪っていく。
返り血が、洗い流される。
「……シキ、どうしたの?」
聞き慣れた声に、のろのろと振り返る。縁側に、自分の片割れが立っているのが見えた。
「……カヤ……」
カヤはシキの血まみれの姿に眉をひそめ、次いでシキの足元に倒れている男の亡骸に目を止め、事情を察してひとつ溜息をついた。
「この間の仕事絡み……かな」
確か相手は組織だったから、と淡々と言うカヤに、シキは一歩、近づいた。
「……いきなり、こいつが襲ってきた」
「…………」
唐突に話し出したシキに、カヤは無言を返す。
「結構強かったからお前呼びに行く暇もなくて、素手じゃ辛かったから刀使って」
「うん」
バシャ、と音を立ててシキの持っていた刀が地面に落ちた。血と雨の混ざった水面に波紋が浮かぶ。
「気付いたら、こいつを殺してた……!」
「…………」
シキが半ば倒れるように膝をついた。ずぶ濡れだった服が僅かに赤に染まる。
「殺すつもりなんてなかった! なのに気付いたら俺はこいつを斬ってた、どう考えても助からない傷を負わせてた! 殺すつもりなんてなかったのに‼」
シキの叫びにカヤは一瞬目を閉じて、縁側から降りた。服が濡れるのも構わずにシキの元へと歩く。
「……そいつは、シキを殺しに来たんだよ」
「だからって殺していいわけない! 俺と同じように生きてたこいつの未来を、俺が断ち切っていい理由にはならない!」
シキのすぐ傍で、カヤは立ち止まる。その顔には何の表情も浮かんではいない。
「でも、こいつを殺さなかったら、シキが死んでた。こうして体中の血を流し尽くして、もう動かない『モノ』になってたのはシキだった」
「……手に、まだ感触が残ってる。肉と骨を断ち切る感触……ヒト1人の命を断ち切った感触が!」
震える手を握り締め、シキは悲痛に叫ぶ。
「こいつだって死にたくなかったのかもしれない! 命令でいやいや俺を殺しに来たのかもしれない! こいつが死んで悲しむ人が、いたのかもしれないのにっ……!」
「……だからって、シキはこいつに殺されてよかったと思うの?」
冷たく、吐き捨てるようにカヤは言った。その言葉にシキはびくっと身体を震わせる。
「僕はそうは思わない。どんな理由があろうとこいつはシキを殺そうとしたんだから。それが自分の意志であろうとなかろうと、誰かを殺そうとしたんなら自分が殺される覚悟はしなきゃいけない。僕たちがいるのはそう言う世界なんだから」
「それでも!」
白くなった拳で地面を殴りつけた。薄く赤の滲んだ水が、小さく撥ねた。
「それでも、俺はこいつを殺してしまったことが、許せない! 誰かの命を奪ったことが恐い! これから先、また誰かを殺してしまうかもしれないことが恐い!」
カヤの顔が、苦しそうに歪んだ。けれど俯いているシキにはそれが見えない。
「……ねぇ、シキ。生きるために殺すのは仕方ない、当たり前のことだよ。生きるために僕たちは植物や動物の命を奪ってる。それが人間でも変わりはない。生きるために殺すことは避けられないんだから。もしシキが命を奪うことが恐いって、その恐怖から逃げ出したいって言うなら、……死ぬしか、ないよ」
シキに目線を合わせるように跪いたカヤは、シキが落としたままになっていた刀を手にとる。
「……死にたいと、思う?」
ざぁざぁと降りつづける雨の中、その言葉は妙にはっきりと響いた。
二人は微動だにせず、互いを見ることもしなかった。
長い沈黙の後、シキはゆっくりと首を横に振った。
「……死にたく、ない」
小さな呟きは、ともすれば雨音に掻き消されそうなほどだったけれど、しっかりとカヤの耳に届いた。
「それなら、いいんだ。そう思っているうちは大丈夫」
何が大丈夫なのかはわからなかったけれど、シキは何だか安心して、顔を上げた。
カヤは、微笑んでいた。……とてもとても悲しそうな瞳で。
「……カヤ……?」
名を呼ぶと、カヤは立ち上がり、シキの手をとる。
「風邪引くよ。……入ろう?」
シキを立ち上がらせ縁側へと向かう。そこにはいつからいたのか二人の師匠の姿があった。
「お風呂、沸かしておきましたから。シキからどうぞ」
にっこりと笑う師匠に、シキは何も言えず風呂場へと向かった。
シキが去った後、カヤは半ば独り言のように言った。
「シキは、優しすぎますね。……多分一生、人を殺すことには慣れないでしょう」
師匠は静かに、カヤに問う。
「君は、どうなんですか?」
カヤは自嘲するように笑った。
「人の命を奪って、『仕方ない』で終わらせられる自分が、心底嫌になりました。同じように生まれて同じように育ったのに、シキとは全く違う……」
嘲るように、羨むように、そして悲しそうに、言葉を紡ぐ。
師匠はそんなカヤの背を軽く叩いて、微笑む。
「シキと君が違うのは当たり前ですよ。違う人間なんですから。それに、まだ君は大丈夫です。そう考える自分を嫌悪できるようなら、まだ完全に『こちら側』になってしまったわけではない」
そう言った瞬間の底の見えない暗い瞳に、カヤは思わず口を開いていた。
「いつまで僕は、シキと同じ側に立っていられるんでしょうか……」
「…………」
師匠は何も答えなかった。
ざぁざぁと、雨が降っていた。
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