古国の末姫と加護持ちの王

空月

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別離

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 「――リル!」

  宮を出た瞬間、アル=ラシードの声がした。炎の中を突っ切ってきたために視界が利き辛かったが、駆け寄って来る小柄な人影が目に入る。

 「精霊イーサーがいるからといって、炎の中に飛び込むなんて無茶なことを……っ、無事でよかった……心臓が止まるかと……」

  心配したのだと伝えてくる言葉たちは、耳には入って来るものの、どこか遠い。ザイ=サイードと交わした言葉が、炎の向こうに消える瞬間が、頭から離れない。

 「……ごめん、なさい」
 「責めたいわけじゃない。理由があったんだろう」
 「ごめんなさい、アル=ラシード。――わたしのせいだ。……わたしが、来たから」
 「……リル?」

 (わたしが、ザイ=サイードに教えてしまったから、……『魔力がない』現実を覆せないのだと、突きつけてしまったから)

  必ずしもそうではないと、頭の中の冷静な部分では理解していた。
  リルが原理を伝えようが伝えまいが、ザイ=サイード自身に魔力がない現実は変わりない。本人が言っていたように、即位してしまえば隠し続けることなど無理な話だ。どうしようもなく行き詰まるだろうことは決定づけられていた。
  だから、リルが彼に会おうが会うまいが、いつしかザイ=サイードはこのような行動をとったのかもしれない。過去に起こったとされる出来事が起こったからといって、リルのいた時代と、今こうしてリルが関わった時代とが繋がっているとも限らない。リルがいようがいまいが、何も変わらなかったのかもしれない。
  それでも、背後で燃え盛る宮の中、炎に捲かれて死ぬことを選択したザイ=サイードの最後を後押ししてしまったのは、自分だという思いは消えなかった。

  気遣うように見上げてくるアル=ラシードには、ザイ=サイードがこうして死ぬことを選んだ理由――後世では凶行と表される行動をした理由は、言えない。ザイ=サイードは誰に話すことも選ばずに、死を選択したのだから。

  だからただ、リルは謝罪を口にするしかできない。ザイ=サイードの凶行を知っていたのに止められなかったことに。そして、アル=ラシードを――置いていくことに。

  のろのろと、腕に抱えた箱に目を落とす。そこに納まっているのは、見慣れない――けれど見たことのある、飾り石の嵌められた装飾具だった。
  指輪、足飾り、首飾り、耳飾り……リルがこの『過去』へと飛ぶ原因となった、焔曰くの『移空石』。恐らくは『魔術封じ』になり得るものを集める過程でザイ=サイードの元へと来たのだろうと思われた。

  この時代に来る原因であったそれを彼の宮で見つけたことに、何らかの因果関係があるのかもしれないとは思うが、それを知るための時間はリルにはないようだった。
  手の中の『移空石』には何の変化も見られないが、そう時間が残されていないのだろうことは何故かわかった。
  来るときも前触れもなく突然だったのだ。いつ『移空石』が発動――この言い方が正しいかはわからないが――してもおかしくはない。

  リルは少し迷って、アル=ラシードに幾つかの事情を開示することに決めた。このままリルがいなくなれば、アル=ラシードを何も知らない状態で放り出すことになると思ったからだ。

  ザイ=サイードの特質については伏せて、自分がここからすれば未来と言われる時代から来たこと、ザイ=サイードがこのようなことをすると聞き知っていたのに止められなかったこと、恐らく幾ばくもしないうちに元の時代に戻るだろうということを告げる。
  アル=ラシードは突拍子もない――と思われても仕方ないリルの話を、要所要所で驚きを見せながらも神妙に聞いてくれた。

 「……兄上は、亡くなったのか…………」

  宮の惨状に予想はしていたのだろう、アル=ラシードは噛みしめるようにそれだけ呟く。
  ザイ=サイードの言っていた結界は未だ機能しているようだったが、きっとそれもそう経たないうちに消えるのだろう。そうすればアル=ラシードは嫌でも渦中に放り込まれることになる。
  余計な嫌疑を避けるためにも自分の宮に戻るべきだとリルが言えば、アル=ラシードは「今更だろう」と首を振った。

 「兄上がどのような工作をしたのかはわからないが、私が宮からいなくなって、正規の道を使わずに戻ってきた――不可抗力だが――のは、いずれ明らかになることだろう。不審ととられる動きが一つ二つ増えたところで、大勢に変わりはない。不測の王位継承だ、疑惑を生むのは避けられないことだろう」

  それでもザイ=サイードの宮の周辺にいるよりは疑いが薄くなるだろうと思ったが、リルが言い募る前にアル=ラシードが口を開いた。

 「――……十年、か。……遠いな」

  それが何についての言及かは、明確に言われずともわかった。
  特に訝る様子もなくリルの言を受け入れたのには多少戸惑ったが――顔に出ていたのか、「ここでそんな騙りをする理由がないだろう。嘘なのだとしてもすぐにばれるのだし、そもそもお前は言動からして常識外れなのだから、そういうこともあるかという気持ちにもなる」と、些か遺憾な言葉をもらってしまった。そんなふうに思われていたなんて、と少しばかりショックを受けるリル。
  そんなリルの胸の内は知らぬげに、アル=ラシードは確認するように問うてきた。

 「このままお前が元の時代に戻るのなら、十年後のお前は、私と出会ったお前ということになる――そういう理解で間違っていないか?」
 「わたしのいた時代での『過去』が、今いるこの時代と全く同じかはわからない以上、はっきりとは言えないけど――その可能性はあると思う」

  リルが口にできるのは、肯定というには弱い推測だけだ。けれどアル=ラシードは、それを聞いてぽつりと呟くように言った。

 「……もし、」
 「……?」
 「会いに行ったのなら、――会ってくれるか?」

  予想外の問いに目を見開いて――そうして何かを答えなければと口を開いた瞬間。



 「…………」

  景色が一変していた。
  リルの祖国、『古国イースヒャンデ』の、見慣れた私室がそこに在った。

 「…………焔」

  半ば呆然としたまま、焔を呼ぶ。

 「はいよ、姫さん」

  常と変わりのない声音がそう軽く返事をするのに、周囲へと視線を一巡させたリルは、返される言葉を予想しながら問いかけた。

 「わたしたち、――帰って、来たの?」
 「みたいだな」

  その肯定は、即ちアル=ラシードとの会話がこの上なく半端なままに帰還してしまったというのと同義だった。
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