エデルファーレの〈姫〉と〈騎士〉

空月

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17話

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 様々な〈姫〉の手記があった。
 初期の〈姫〉のものと思われる手記には、このエデルファーレでの日々の試行錯誤がつぶさに綴られていたし、子どもの絵日記の方がまだ情報量があるだろうと思われるほど簡素な手記もあった。
 その中には、今のシアと同じように、他の〈姫〉が〈神子〉になるものを宿して焦る気持ちを綴ったものもあった。確かにリクの言う通り、その〈姫〉も焦りから行為の回数を増やそうとして、『優先されるのは〈姫〉の心身だから』と言い含められていた。


(……でもそれって、変じゃないかしら……)


 リクから聞いた時にひっかかったのはそこだった。
 〈姫〉と〈騎士〉の存在は、〈神子〉を生み降ろすためのものだ。
 普通に考えれば、〈姫〉も〈騎士〉も、〈神子〉を生み降ろすために、もっと必死にならなければいけないのではないだろうか。
 責務として捉えてはいるものの、〈神子〉を生み降ろすのに関わる行為――性行為を、〈騎士〉側は積極的に行おうとはしない。シアやロゼッタの場合は〈姫〉が望まなければ、行為に至ることはなかった。アーシェットがどうだったかはわからないが、恐らくは同じだろう。
 しかも、〈姫〉が望めばいつでもどれだけでも、というわけではなく、〈姫〉の心身が優先されるのだ。


(あの口ぶりだと、過去の知識の蓄積で『そうした方がいい』って判断したっていうより、そういう『決まり』みたいだった……)


 思いながら、次の〈姫〉の手記に手を伸ばした時だった。


「こんにちは、シア。ここエデルファーレでの日々はどう? 不自由はしていない?」


 突然、声がした。幼い、鈴が鳴るような、と形容したくなるようなかわいらしい声。
 いつかと同じように忽然と、〈神子〉はシアの目の前に現れ、にこりとシアに笑いかけた。


「……〈神子〉様……」


 驚きに跳ねた心臓を押さえて、シアはその存在を呼ぶ。


「驚かせてしまったかな。ごめんね」

「いえ……確かに驚きはしましたが、お会いできて嬉しいです」

「ボクも嬉しいよ、シア。〈姫〉にはここエデルファーレに来た日にしか会えていないからね」

(……ということは、〈騎士〉には会っていたということ……?)


 そんな疑問が頭を過ぎる。


「それで、ここでの日々はどうかな? 不自由はない?」


 向かいの席に座った〈神子〉に、最初に投げかけられた質問を繰り返されて、シアは慌てて口を開く。


「不自由はありません。とても快適に過ごさせていただいています」

「そう? 少しでも不自由を感じたら言って。そうやってここエデルファーレは整えられてきたんだから」

「……そうなのですか?」

「手記を読んだでしょう? ここエデルファーレも、最初は〈姫〉が過ごせるような環境を作っていなかった。ただの〈楽園〉だった。それを〈姫〉に不自由がないように、改良していったんだよ」

「確かに、そのようなことが書かれた手記もありましたが……」


 それでも最初から最低限過ごせるような設備は整っていたように書かれていたはずだ。それよりも――。


(〈姫〉にしか言及していない……)


 不自然なくらい、〈姫〉にしか言及していない。〈騎士〉の住環境はどうでもいいとでも言わんばかりに。


(〈騎士〉は人ではないから? それでも〈姫〉と同じ、エデルファーレで過ごす者なのに……)


 その思いが顔に出てしまったのだろうか。〈神子〉は僅かに首を傾げた。


「何か言いたげな顔だ。思うところがあるなら、遠慮なく言って、訊いていいんだよ。君は〈姫〉なんだから」


 心の内を見透かすように促されて、シアは少し迷ったものの、疑問を口にすることに決めた。


(こんな機会、そうそうないかもしれないし……)


「……どうして、〈姫〉のことばかり気にされるのですか? 〈騎士〉だって、エデルファーレに住まうものですのに」

「〈騎士〉からは別に話を聞いているし、そもそも人ほど脆くないから――という理由では、納得できないって顔だね」

「……〈姫〉ばかりが優先されるのが不可解なのです。責務についてだって……」

「『〈姫〉の心身が優先される』こと? シアは気にしていたものね」

「……。……〈神子〉様は、このエデルファーレで起こっていることはすべて把握されていたりするのですか?」


 リクとの会話の場にはもちろん〈神子〉はいなかった。それなのにその会話を知っているかのような言葉を口にする〈神子〉に疑惑を抱き、訊ねると、〈神子〉は柔らかい笑みを浮かべたまま答えた。


「そうだね。そう言ってもいいかもしれない。ここはボクが作った、ボクの体内にも等しい場所だから。自然と聞こえてくることもある。……基本的にはプライバシーを尊重して、聞かないようにしているけれどね。過去の〈姫〉と〈騎士〉の要望で、屋敷の中は特に聞こえにくく作っているし」


 言われて、すべてが筒抜けだった場合、閨事の様子すら知られてしまうことに気付く。顔を赤くしたシアに、察したらしい〈神子〉は優しく告げた。


「屋敷の中でも、あの部屋は特に、ボクに聞こえない、見えないようになっているから安心して。過去の〈姫〉と〈騎士〉の強い要望があったからね」

「そう、なのですか……」


 その言葉にほっとするのと同時、察されてしまったことに気恥ずかしくなる。
 なんとか恥ずかしさを振り払って、話を元に戻す。


「何事にも〈姫〉を優先するのは何故ですか? 責務こそ優先されるべきだと思うのですが……」


 シアの問いに、〈神子〉は悪戯気に目を細めた。


「シアは真面目だね。いい子に育って……リクはいい保護者役をやってたみたいだ」

「……は、話を逸らさないでください」

「照れてるね。かわいいな。本当にいい子に育ったね。リクをつけてよかった」


 慈しみをたたえた瞳で見つめられて、居心地が悪くなる。
 そわそわと視線を外したシアに、〈神子〉は変わらぬ様子で続ける。


「シアの問いに、答えてしまってもいいのだけど――それじゃあちょっとつまらないかな」

「つまら……ない?」


 〈神子〉の口から「つまらない」なんて俗な感想が出てくると思わずに、つい復唱してしまう。


「そう、つまらない。だから、ヒントをあげるよ」

「ヒント……?」

「シアはきっともう、いくつもヒントを得ているから、とても簡単なヒントだけ。……この図書館のもう一つの蔵書にそれはあるよ」

「もう一つの蔵書……〈神子〉様の趣味だという?」

「ボクの趣味? リクはそう説明したんだ。でも、そうだね、間違ってはいないかな。……そこにヒントがあるよ」


 そう言って、〈神子〉は笑みを深めた。


「答え合わせは――せっかくだ。リクとするといい。きっとシアなら、答えに辿り着ける。楽しみにしているよ」


 その言葉を最後に、現れた時と同じように、忽然と〈神子〉は消えたのだった。


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