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10話
しおりを挟む【緑】の屋敷に戻ったシアは、思考に沈んでいた。
何を考えているのかといえば、リクと『そういう』関係になることについてである。
『どうせやらなければならないことなんだもの、とりあえずやってしまえばいいのよ。それから相手に抱く感情を考えてもいいのではなくて?』
ロゼッタの口にした言葉を何度も思い返す。
〈姫〉として義務を、責務を果たさなければ、という気持ちは、エデルファーレに来る前からシアの中にある。
その内容が予想もしていなかったものだとしても、それは変わらない。
ロゼッタの言葉に後押しされて、シアは覚悟を決めることにした。……が、一歩目で躓いた。
(私が、リクと……その、『そういう』ことをするとして。どうやって誘えばいいのかしら)
責務を果たそうとするからには、リクにもそれを伝えなければならない。一般的な閨事とは違うけれど、つまり誘わなければならないということだ。
しかし、シアにはそういった知識があまりにも欠けていた。
(私の読んだ本にそういったことは載っていなかったし……)
もっと幅広く読書をしておけばよかったと今更に思う。ここにある図書館にそういった本がある可能性もなくはないが、今すぐに読めない以上意味がない。
……そう、シアは半ば勢いで事に及ぼうとしていた。ロゼッタの言葉に背中を押してもらえるうちにどうにかしたいと考えてのことだ。
(冷静になったら終わり、冷静になったら終わり……)
シアは自分がまともな状態でリクを誘える気も、責務を果たせる気もしなかった。リクはゆっくり覚悟を決めればいいようなことを言っていたけれど、時間を取ったって覚悟が完了しきる気はしなかった。だって事が事なのだ。どんとこい、みたいな気持ちになれるわけがない。少なくともシアは自分には無理だとわかっていた。
(こうなったら、行き当たりばったりでも何でもいいからとにかくリクと話さないと)
すっくと立ちあがり、リクの部屋へと続く扉の前に立つ。
一度深呼吸して、コンコン、と扉を叩く。
「はい? どうしました、お嬢」
少しの間をおいて、リクはそう訊ねてきた。扉は開かれていない。リクの気遣いだろうと察せられた。
「は、話が、あるの」
「……俺がそっちに行っても大丈夫ですか?」
「う、うん」
ガチャリとドアノブが回って、リクが姿を現した。いつもの無表情にほっとする。
リクはシアを座らせたあと、自分もその向かいに腰を下ろして「さて、」と言った。
「改まってお嬢からお話しとなると、なんですか? 【赤】の屋敷で去り際に言ってた〈姫〉全員で集まりたいとかいうのの段取りでも組みますか?」
「そういうのじゃなくて……いえそれもそのうち頼むかもしれないんだけど……その……」
「はい」
「…………〈姫〉としての責務を、果たしたいと思って……」
「はぁ……はい?」
一度生返事しかけたリクは、珍しく目を見開いて固まった。
「……その、〈姫〉としての責務ってのは、〈神子〉が説明したやつですか?」
「ええ、そうよ」
「【赤】の〈姫〉になんか言われました? いい感じに打ち解けてると思ったけど実は苛められたりとか」
「してないわ。……ロゼッタに言われたことがきっかけなのは確かだけれど」
「あー……ちょっと処理する時間をください」
言って、リクはこめかみに手を当てて顔を伏せた。唇が引き結ばれて、途端に不機嫌そうな雰囲気になる。けれどそれが深い考え事をするときのリクの常態なのでシアは焦らず『ちょっと』を待った。
しばらくの後、はー……と大きく溜息をついて、リクは顔を上げた。またいつもの無表情に戻っている。
「わかりました。お嬢が望むなら俺に否やはないです。……お嬢は、相手、俺でいいんですか?」
「他の〈騎士〉とは尚更考えられないから――なんて、消極的に選んだわけじゃないわ。リクがいい。リクとが、いいの」
まだリクに抱く感情の名前はよくわからない。子どもじみた独占欲があることだけが確かで。
それでも、他の誰かを抱くリクというのを考えたくなかった。だから自分と関係を結んでしまいたいと思った。それもまた、何か順番を間違えているのかもしれないけれど。
リクは口元を覆って、空を仰いだ。
「……お嬢、それ、殺し文句ですよ」
「?」
「わかってないのが末恐ろしいですねぇ。……お嬢が覚悟決めたって言うなら、俺は従うだけですよ。――失礼」
突然抱き上げられて、シアは目を瞬いた。
「雰囲気って大事でしょう? ……あの部屋に行きますけど、――本当にいいですか?」
それが最後の問いだとわかったから、シアは自分の気持ちを再確認して、こくりと頷いた。
覚悟が完全に決まっているとは言い難い。そもそも閨事の知識だってあやふやなところがあるのだ。決めようがない。それでも、〈姫〉としてやるべきことをやると決めた。
それをリクも感じ取ったのだろう、ふっと笑って、リクはシアを抱えなおした。
「それじゃあ行きますよ、お嬢。お嬢が読んできた本みたいにロマンチックに、は無理かもしれないですけど、そこは勘弁してくださいね」
「最初から、期待してないわ」
「それはそれでなんだかなぁって感じですねぇ……」
そんな会話を交わしながら、リクの足の進むまま、一度だけ見た部屋――閨事をするための部屋へと向かったのだった。
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