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9話

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 【赤】の屋敷との連絡はすぐに済んだようだった。戻ってきたリクは、「いつでもどうぞ、だそうです」とシアをまた〈神子〉の宿り木のある空間へと連れて行く。
 先程来た時と変わらないそこに、今度は違う一対がいた。


「貴女が【緑】の〈姫〉ね。わたくしは【赤】の〈姫〉のロゼッタ。そしてこっちはわたくしの〈騎士〉、【赤】の〈騎士〉のガーディよ」

「ご紹介に預かりました、【赤】の〈騎士〉のガーディです。どうぞよろしく、【緑】の〈姫〉さま?」


 ……なんというか、華やかな二人だった。アーシェットとユークレースも容姿は端正だったが、こちらは雰囲気からして華やかだ。生命力にあふれている、と言い換えてもいい。
 巻き髪がそういう印象を与えるんだろうか、と思いながら、シアも自己紹介する。


「【緑】の〈姫〉、シアよ。よろしく……」

「【緑】の〈騎士〉のリクです。よろしくしてもしなくてもいいです」


 リクは【青】の二人と相対したときと変わりないいつも通りの様子だが、シアはちょっと腰が引けていた。


「そちらから挨拶に出向いてくださるなんて嬉しいわ。わたくしも他の〈姫〉と〈騎士〉には興味があったの。ぜひお話をしましょう」


 ぐいぐいくる【赤】の〈姫〉――ロゼッタの言葉によって、早々に【赤】の屋敷へと向かう。


「シアと呼んでも?」

「ええ」

「わたくしのことはロゼッタと呼んでちょうだい。シアはスパイスのきいた飲み物はお好き?」

「飲んだことがないからわからないわ」

「わたくしの祖国ではよく飲まれていたの。こちらにもスパイスを持ってきたから、ぜひ飲んでみてちょうだい」

「楽しみにしているわ。……ロゼッタは暑い地域に住んでいたのよね?」

「そうね。【赤】の〈姫〉はそういう地域から選ばれると決まっているから――シアは温暖な気候の地域の出身よね? 【緑】の領域も温暖だと聞いたわ。【赤】の領域はそれに比べると少し暑いかもしれないけれど、屋敷の中は快適な温度に保たれているから安心してちょうだい」

「それは、安心したわ。暑いのは苦手なの」

「ふふ、そんな顔をしていたわ」


 他愛ない会話をしながら客間に通される。リクはと言えばガーディに何故か肩を組まれてちょっと迷惑そうな顔をしていた。何があったのだろう。
 リクとガーディはそのまま別室に向かった。男同士積もる話がある――というのはガーディの言だが、そういうことらしいので。

 ロゼッタ自慢のスパイスのきいた飲み物は、独特の味わいだったがおいしかった。ちびちびと飲んでいると、ロゼッタが口を開く。


「それで、シアはもうリクとしたの?」


 一拍の後に意味を理解して、シアはあやうく飲み物を吹き出すところだった。


「な、なっ、何を……」

「その反応、まだね。ということは【青】の〈姫〉から相手の交換を持ち掛けられたのではない?」


 まだ衝撃が覚めやらぬ中、なんとかシアは返答する。


「持ち掛けられたわ。……断った、けれど」

「リクとそういう仲でないなら、一考の余地はあったと思うけれど――リクのこと、好きなの?」

「……それが、よくわからなくて……」


 直球でぐいぐい来るが、何故かそれが嫌な感じではない。気付けばシアは自分の思いを口にしていた。


「恋愛的な意味で好きなわけではないけれど、……好き、だとは思うわ。ずっと一緒にいたから、独占欲のようなものもある。でも、そういうことをする相手として考えたことがなくて……」


 それも、少しずつ変わっているような気はしている。エデルファーレに来てから、否応なくそのことについて考えさせられる機会が巡ってきている。――想像をすると思考が止まるだけで。


「そういうのは考えてもどうにもならないと思うわ。わたくしも、ガーディをそういう対象として見ているかと言われたら首を傾げるけれど、それとこれとは別だもの。ひとまずやってしまえばいいのではないかしら? わたくしはそうしたわ」

「やってしまうって……その……」

「生殖行為。性交。閨事。言葉はどれでもいいけれど、〈姫〉が為すべきとされていること。どうせやらなければならないことなんだもの、とりあえずやってしまえばいいのよ。それから相手に抱く感情を考えてもいいのではなくて? どうしても嫌というわけではないのでしょう?」

「ロゼッタは、ガーディを好きで……そういう行為をしたのではないの?」

「他の誰かよりはガーディがいいと思ったからよ。恋愛感情を抱いているかと言われたらわたくしもわからない。でも、生殖行為は〈姫〉の義務でしょう? どうしてもしなくてはならないのなら、相手はよく知らない他の〈騎士〉よりガーディがいいと思ったのよ」


 ロゼッタの答えを聞いて、考えてみる。
 リクとそういうことをする――それ自体がどうしても嫌だと感じるわけではない。恥ずかしさが湧きおこるけれど、これは誰でもそうだろう。
 恋愛感情がないとそういう行為をできないと考えてしまっていたが、リクも口にしていた。『体から始まる関係もある』と。
 そういう関係を持ってから、抱く感情に名前をつけるのでもいいのだろうか。


「アーシェットは、あなたとガーディがとても仲がいいと言っていたけれど……」

「ああ、それは……誤解というわけではないけれど、正確でもないわね。わたくしはガーディしか相手として考えられないし、ガーディはわたくしが望む限りわたくしとだけ関係を持つから、お互いしかいない――というのをそう解釈したのね。気が合う、というのかしら。考え方が同じなのは確かよ。わたくしは、ガーディに育てられたようなものだから」

「……あなたも?」


 自分もだが、アーシェットに続いて、ロゼッタもとは。


「その言い方、貴女もなのかしら? ……わたくしの家は、両親が他界して、意地の悪い親戚に乗っ取られていたの。召使以下の扱いを受けていたところに、わたくしが〈姫〉に選ばれた。そしてガーディが〈騎士〉として来て、環境が改善されて――わたくしはその頃には人間不信になっていて相当面倒な子どもだったのだけど、ガーディが根気強く面倒を見てくれて。今のわたくしになったの」


 まただ。妙な符号というか、不遇な環境からの脱出、という流れが同じで、シアは引っかかりを覚えた。〈姫〉はそういう人間から選ばれると決まっているのかもしれないが。


「あなたが人間不信だったなんて、信じられない」

「ガーディのおかげね。ガーディは人のガードを崩すのが本当に上手なの。今頃貴女の〈騎士〉も、酒盛りの約束でも取り付けられているのではないかしら」

「リクが酒盛り……」


 想像してみようとしたが、できなかった。リクはそういった嗜好品を口にするところを見せたことがない。無論、酔ったところなど見たこともなかった。


「ガーディは人とお酒を飲むのが好きなの。本人はいくら飲んでも酔わないくせにね」


 肩を竦めて、ロゼッタは声を潜めた。


「……それで、貴女がリクとそういうことをするなら、言っておきたいことがあるの」


 まだリクとそういうことをするかどうかは心が決まっていない。けれど、そう言われると気になる。
 少し身を乗り出してしまったシアに笑みを浮かべて、ロゼッタは続けた。


「たぶん、どの屋敷にもあると思うのだけど、閨事をするための部屋があるでしょう。初めては絶対にそこでした方がいいわ。でも、そこでなんだか自分が違うものになったように感じても、それは大体部屋の作用だから気に病まないで」

「……?」

「今はわからなくても、きっとその時になればわかるわ」


 達観したような顔でロゼッタが言うのに、シアはよくわからないまま頷くしかない。

 その後はいろいろな話をして過ごした。
 ロゼッタはシアたちより早くエデルファーレに来たらしく、いくつか知らない場所を教えてくれた。
 その中で最もシアの関心を惹いたのは図書館の話だった。


「図書館があるの?」

「露骨に目が輝いたわね。そんなに大きなものではなかったけれど……貴女、本が好きなの?」

「大好き。愛してる。人類の叡智の結晶だもの。魅了されないわけがないわ」

「それくらい明確な感情を、〈騎士〉に抱けるといいわね」

「そこのところは……努力してみるけれど……」

「冗談よ。自分の速度で自覚すればいいわ。――責務の方は、待ってはくれないけれど」


 ロゼッタの言葉に、シアは眉尻を下げる。


「リクは今日明日にどうにかなるってものでもないからって言ってくれたけど、やっぱり早い方がいいわよね……」

「宿り木のシステム的に足並みを揃える必要はないけれど、いつ奇跡の力を大きく使うことがあるかわからないでしょう? 早いに越したことはないと思うの」


 災害を回避するときなど、奇跡の力は大きく消費されるのだという。そういうことを想定すれば、悠長にはしていられないはずだとロゼッタは言う。


「だからわたくしはここエデルファーレに来てすぐに、ガーディとしたのだし。でも、孕むかどうかは別問題なのよね」

「やっぱり……そうなの?」

「〈神子〉になるものが宿れば〈騎士〉はすぐわかるのですって。だからわたくしにはまだ宿っていないということは確かね。……毎日しているのだけど、うまくいかないものだわ」


 毎日しているとの言葉に思わず赤面したシアを笑って、ロゼッタは続ける。


「でも、貴女は貴女に合ったやり方があるはずだから。わたくしが毎日しているからといって、無理をしてはだめよ? わたくし、こう見えても体力はあるの。だからできていることなのよ」


 諭すように言われて、シアはそういうものなのかと頷いた。確かに書物の中でも、体力を消耗することのように描かれていた気がする。


 と、そこに別室に行っていた〈騎士〉二人が戻ってきた。


「そろそろそっちも一段落したと思って来たが、どうだ? ロゼッタ」

「ギリギリ及第点かしら、ガーディ。少し早いわ。もっと二人だけでお話ししたかったのに」

「そりゃ悪かった。だが、【緑】の〈姫〉さんのことも考えてやりな。【青】の姫さんに会った後にこっちにまで来てくれたんだ、切り上げ時を見極めてやるのも優しさだ」

「わかってるわよ、意地悪ね。……長く付き合わせてごめんなさいね、シア。とても楽しかったわ。またお話ししてくださる?」

「ええ、もちろん」


 頷くと、ロゼッタはシアの両手をぎゅっと握った。


「嬉しいわ。……名残惜しいけれど、まだまだ機会はあるものね。今度は〈姫〉三人で会えるといいわね」


 手を離され、「また次の機会に」とひらひらと振られる。手を振り返して、いつの間にか斜め後ろに立っていたリクを見遣ると、「じゃ、帰りますよ」と肩を抱かれた。唐突な出来事に驚いているうちにすたすたとリクは足を進め、【赤】の屋敷を辞去する。


「リ、リク? どうしたの?」

「何がですか?」

「その、か、肩……」

「だってお嬢、ちょっと疲れてたでしょう。ふらつかないようにと思って」


 確かに二連続で知らない人の知らない屋敷に行ったので疲れてはいた。だが、足元が危ういほどではなかったはずだ。


(変なリク……)


 内心で首を傾げながら、結局【緑】の屋敷に戻るまでそのままでいたのだった。


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