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8話

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 また〈神子〉の宿り木のある場所を通って【緑】の屋敷に戻る。
 「疲れましたか?」とリクに聞かれて、少しの間の後に頷く。初めての人と話すのは知らず緊張するものだ。知らない場所ならなおのこと。


「まさか、あそこに【青】の〈姫〉と〈騎士〉も来るとは思いませんでしたね」

「あちらもそう思っていたみたいね」

「まあ、ふつう用事がなければあそこには行きませんから。でも他の屋敷に行くのには便利ですね。一応他にも他の領域にすぐ行ける手段はあるんですが、〈門〉と同じ仕組みなので。それに直接屋敷には行けませんし」


 初日に休んだのと同じ長椅子に腰かけると、リクも向かいの椅子に腰を下ろした。


「……で、そっちも聞いたんでしょう。〈騎士〉交換の話。なんて返答したんです?」


 何事もなく戻ってきたことでわかっているだろうに、リクはわざわざ蒸し返してきた。


「リクはなんて答えたの」


 正直に告げるのはなんとなく躊躇って、シアはリクに問い返した。


「お嬢次第ですって答えました。俺はお嬢の〈騎士〉なんで、お嬢がやれと言えばやりますよ、何でも」


 その返答は、少なからずシアの心にさざなみを立てた。


(リクは、私が他の人とそういうことをしてもいいの? ……ああ、最初から、そう言ってたわ)


 相手について、「別に俺じゃなくても別の〈騎士〉でもいいっちゃいいですけど。お嬢がそれがいいって言うなら」と既に聞いていた。なのにどうして、その言葉がこんなに痛いのか。


(自覚してしまったから、なのかしら……)


 リクを、恋愛的なものかどうかはともかく、好きであること。独占欲を持っているということ。
 それを自覚してしまったから、リクが言っていることは変わらないのにこちらだけ動揺してしまう。


「あっちもそうです。【青】の騎士も【青】の〈姫〉が望むのならそうする、って感じでした。だからお嬢たちの話し合いの方が大事だったんですけど――あの様子だと、現状維持になったっぽいですね」

「……そうね。私がよく知らない相手とは、もっと考えられないと言ったから」

「それ、裏を返せばよく知り合えば考えなくもない、ってことですよね」

「だって、そうでしょう……ふつうは、そういうものではないの?」

「――ああ、なるほど。ふつうの男女交際と同じに考えたわけですね。まあ、お嬢の知識は書物からのものに偏ってますけど」

「書物の内容を参考にして何かまずいの?」


 シアはむっとした。愛する書物に含むことがあるような物言いをされては看過できない。


「現実は小説よりも奇なり、って場合もあるってことですよ。……要するに、体から始まる関係もあるわけで」


 リクの言った意味を理解して、かっと頬に熱さが宿る。……そういう事例もあることは知識として知っていたけれど、シアの読む書物では主流ではなかった。知り合って、互いに認め合って、そうして関係に至るような、真っ当な恋愛ものばかりだった。


「リクは……私に、そういう関係を始めてほしかったの?」

「言ったでしょう。お嬢次第だって。お嬢の気持ちが一番です。お嬢がそういう気持ちになれないなら、誰相手だってしなくていいんですよ。今はまだ、ですけどね」


 いつもの淡々とした口調ながら、どこか優しい響きを滲ませて言われて、シアは押し黙る。
 ここに来てからリクは妙に優しい。衝撃の事実に適応しきれていないシアを気遣ってのことなのはわかっているが、なんだかこう……むずがゆい。

 そして、『今はまだ』という言葉に気を引き締める。そう、いつかはそういうことをしなくてはならないのだ。それが〈姫〉の役割、責務なのだから。


(その相手が、問題なわけで……)


 リクとそういうことをする、と考えると、思考が止まる。嫌悪感からではない。恥ずかしさでだ。
 長い間一緒にいたのだ。互いのいいところも悪いところも知っている。気心知れた仲と言ってもいい。だからこそ、そういうことを自分とリクがすると考えると、とてつもない恥ずかしさに襲われる。

 共に暮らしていたけれど、リクは露出の高い格好をしたことがなかった。「人間じゃないんで暑さ寒さはそれほど感じないんです」といつも同じ騎士服を着ていた。きっちりと着こまれた姿しか見たことがない。シアは人間なので夏場は薄手の服を着ていたが、露出は低くしていた。育った地域の文化が、女性の露出をあまり良いものとしていなかったからだ。
 だが、そういうことをするとなると、服は脱ぐわけで。いや、ほとんど脱がないで致すこともあるのは知っているが――。


(――って、何考えてるの、私!)


 しかもリクを目の前にして。恥ずかしさに赤くなったシアを、リクは不思議そうに見遣った。


「もしかして、暑いですか? 【緑】の領域は季節としては常春の陽気のはずですけど……」

「ち、違うの。ちょっと考え事をしてたら頭に血が上っただけ」

「? よくわかりませんが、冷たい飲み物でも用意しましょうか」

「飲み物はさっき【青】の屋敷で頂いたからいいわ。本当に、何でもないの」


 まさか本人を目の前に裸になることを想像して恥ずかしくなりました、とは言えない。
 必死にごまかすシアをリクはしばらく観察するように眺めていたが、「それならいいですけど」と矛を収めた。


「……アーシェットから、少しだけ【赤】の〈姫〉と〈騎士〉のことも聞いたわ。とても仲がいいんですって」

「俺も【青】のから聞きましたが、たぶん、仲がいいっていうより……いや仲がいいのも間違いじゃないでしょうが……」

「え?」

「ま、憶測で話す内容でもないですね。……どうします? お嬢が大丈夫なら、【赤】の屋敷にも行ってみます?」


 シアは少し考えた。せっかく【青】の〈姫〉と〈騎士〉にも会えたのだ。この勢いで【赤】の〈姫〉と〈騎士〉に会っておくのもいいかもしれない。


「そうね。そうしようかしら。……さっきは偶然会えたからよかったけど、本来はどうするの? 先触れとか出せないわよね?」

「各屋敷に連絡用の道具があります。それで今から行くって伝えればいいでしょう。ついでに〈神子〉の宿り木のところから行ってもいいかも聞いておきます。……あ、それとも散歩したいですか? 【赤】の領域は暑いらしいですけど」


 シアが暑いのは苦手なのを知っていて、そんなことを問いかけて来る。シアは「散歩は今度の機会にするわ」と答えた。予想通りの答えだったのだろう、満足そうに口端に笑みを浮かべて、リクは連絡のために部屋を出て行った。


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