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7話
しおりを挟む「あの……」
シアが声をかけると、アーシェットはびくっと、こちらが驚くほど過剰に肩を跳ね上げた。
まるでばね仕掛けの人形のように顔をあげて、シアを見る。
「あなたは、私と話したかった……のよね?」
もしかしたらその場の勢いだったのかもしれないと思い始めていたが、アーシェットはシアの質問に頷いた。
「他のお姫様と……会えたら、聞きたいことがあったの……」
ぼそぼそとした喋り方だが、通る声なので聞き取りづらくはない。
「何を聞きたいの?」
「〈騎士〉との関係に、ついて……」
どういうことだろう、とシアは内心首を傾げた。いまいち要領が掴めない。
シアの表情でそれがわかったのだろう、アーシェットは続けて言った。
「〈姫〉と〈騎士〉がここで為すべきこと……それを、自分の〈騎士〉とできるのか、聞きたかった」
〈姫〉と〈騎士〉がここで為すべきこと――と言ったらアレのことだろう。シアは予想外の質問に固まった。
そんなシアをよそに、アーシェットはさらに言葉を連ねる。
「わたしは、ユークに育てられたようなもの……なの。だから、そういう対象として……ユークを見たことがなかったんだけど、〈姫〉と〈騎士〉はそういうことをしなくちゃいけないのも教えられた。ただ、必ずしも同じ属性の〈姫〉と〈騎士〉じゃなくてもいいって聞いて……。わたしみたいに自分の〈騎士〉をそういう目で見られない人なら、相手を交換できるかもって思ったの」
リクをそういう目で見られるか見られないかと問われたら、考えたこともなかった、としか答えられない。
相手を交換、という発想もなかった。確かにリクは他の騎士でもいいのだと言っていたが、自然と各々の〈騎士〉と〈姫〉の組み合わせになるのだろうと思っていた。幼い頃から共にいる、気心知れた中なわけだし。
しかしアーシェットは逆にそれだからユークレースをそういう目で見られないと言う。シアもリクに面倒を見られてきたが、それよりも距離が近しかったのだろうか。例えば兄のように、親のように。
「……つまり、その……そういうことをする相手としての〈騎士〉を交換したい、ということ?」
「うん」
こくり、とアーシェットが頷く。シアは黙考した。
何故か真っ先に浮かんだのは、自分がユークレースとそういうことをする、という想像ではなく、リクがアーシェットとそういうことをする、という想像だった。
あの指が、あの瞳が、自分ではない誰かを慈しむように触れる、そういう場面。
――どうしてか、胸の奥がもやもやした。
(リクは私の〈騎士〉だけど、私の所有物ではないのに)
そう思っても、胸のもやもやは消えない。そういう関係ではないのに、束縛できる立場ではないのに、耐えられないと思ってしまう。
(私、思ってるよりリクのこと好き……なのかしら)
これは『好き』という分類でいいのだろうか。よくわからないが、自分以外の人間のところに行ってほしくないという感情は、一般的に独占欲と呼ばれるものだろう。
ただ、問題はそれが異性としての好き――性欲を伴うものではないということで。
たとえるならお気に入りのおもちゃを取られてしまう気持ちに似ている。幼い子どもの独占欲だ。
それも仕方ない、と思う。だってずっと一緒にいたのだ。シアが〈姫〉に選ばれてから、ずっと。
態度はそれほど敬う感じではなかったが、シアを第一に考え、動く〈騎士〉としてリクは立ち回ってきた。いつの間にかそれに慣らされていたのだと、シアは自覚する。
「……どう? 難しい?」
アーシェットが首を傾げて問うてくる。
シアは少し迷って、口を開いた。
「……その考えのこと、あなたの〈騎士〉は知っているの?」
「うん。今頃、貴女の〈騎士〉にも話を持ち掛けている、はず」
もてなしの準備にしては遅いと思っていたが、個々に話を持ち掛けるためだったらしい。
「……私も、正直、自分の〈騎士〉とそうなることを考えたことがなかったけれど……よく知らない他の〈騎士〉とそうなる方が、もっと考えられないわ。互いによく知り合った後なら、考えも変わるのかもしれないけれど」
「そう……」
アーシェットは視線を下げた。悄然とした風情に、シアは悪いことをした気になる。
「その、あなたがあなたの〈騎士〉とそういう気にならないっていうのは、やっぱり家族とそういうことになるような感覚だからなの?」
「家族……」
アーシェットはそう繰り返して、頼りなげに目線をうろうろさせた。
「家族、っていうものが、よくわからないの……。わたしは捨て子だったから」
「ごめんなさい……悪いことを聞いたわ」
「ううん。気にしないで。わたしにはユークがいたから。孤児院にいたわたしが〈姫〉に選ばれて、ユークが来て。たくさんの人がわたしを持ち上げた。善い人も悪い人もいたけど、ユークはそんな中でわたしを守ってくれた。何もわからないわたしを導いてくれた。大切な人なの」
語るアーシェットの言葉には紛れもない親愛が滲んでいて、シアは自分はこんなふうにリクのことを語れるだろうかと考えた。こんなに素直に親愛を表せるだろうか。――たぶん、無理だ。生来の性格が邪魔をする。
そこまで考えて、リクに親愛を感じているのは事実なのだとようやく認められた。
だからこそ、相手としての〈騎士〉の交換にも頷けなかったのだと。
「でも、貴女がダメなら、やっぱりわたしはユークとそういうことをしないといけないんだね……」
「【赤】の〈姫〉と〈騎士〉にはもう打診したの?」
「うん。【赤】のお姫様と〈騎士〉はとても仲が良かった。お互いにそういうことをするのも納得してた。入り込める感じじゃなかったの」
「そうなの……」
アーシェットの言い振りからすると、【赤】の〈姫〉と〈騎士〉はそういうことをするのに積極的なのかもしれない。少なくとも躊躇はしていないのだろう。
話が一段落したところで、ユークレースがリクを伴ってやってきた。
手にした銀盆から、香り高いお茶の淹れられたカップがシアとアーシェットの前に置かれる。
リクには出されないのだろうか、と視線をやると、「俺らは向こうで一服してきたんで」と手をひらひらされた。
「話はできましたか、アーシェ」
「うん。ありがとう、ユーク」
ユークレースの方は無表情だが、やりとりする二人の間には確かな信頼が垣間見えて、シアは少し居心地が悪くなる。真っ当な〈姫〉と〈騎士〉はこういうものなのだろうか、という気持ちに駆られるのだ。
そんな自分をごまかすためにカップを手に取る。少し吹いて冷ましてから口にしたそれは、芳醇な香りで口の中を満たした。ほっと息をつく。
その後は他愛ない話をいくらかして、お暇した。去り際にアーシェットが「また、お話ししてくれる?」と訊ねてきたので、「もちろんよ」と返した。思ったよりも心を開いてくれたのかもしれない。
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