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本編1

エピローグ

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「はい、フィー。あーん」


 蕩けるような笑みとともに、粥の乗ったスプーンが差し出される。
 もう尽きるほど吐いた溜息が、また口から漏れ出た。


「……ルカ。何度も、何度も何度も言っているが、食事くらい一人でできる」

「でも、動かすと体が痛むんだろう?」

「多少の痛みで動かさないでいると、本当に動かせなくなる。幸い、腕そのものにケガはないんだ。お前がそんな真似をする必要はない。……つい最近同じ台詞を言った気がするが、そのにやけきった顔をどうにかしろ。『氷の美貌の騎士さま』の通り名が泣くぞ」

「だって、嬉しくて」


 そう言うルカは本当に嬉しそうににこにこしている。
 若干にこにこを通り越しているので『にやけきった』なんて表現になってしまうのだが、それでも顔の造形のよさは失われないのですごい。


「……その『嬉しい』は何にかかっているんだ」

「もちろん、フィーの体が元に戻ったことだよ」


 そう、フィオラの体は子どものものから、元の成長した姿に戻っている。それなのに給餌めいた真似をされているのは、子どもの体の時に受けた暴力(というには踏みつけられたくらいなのでかわいいものだが)の影響が思ったよりも大きかったからだ。


 結局、事件現場で気を失ったフィオラが次に目を覚ますまで丸一晩。その間に、体は元に戻っていた。
 しかし、子どもの体になった時とは逆に、子どもの姿で受けた傷がそのまま保持されて元の姿になっていた。それゆえ、大人の姿で受ければ軽傷程度の痛みであっただろう女性の踏みつけの影響も、内臓にまで影響はないが少しでも動かすと痛む、というものになったのだった。

 「『暴発』からの収束現象なんだから、本来は逆の魔法が作用するだけだと思うんだけど、なんで違う方法(ルート)で戻ったんだろうね? ちょっと研究したいから傷治すの待ってくれない?」というちょっとばかり人でなしな魔法士長の言葉によって、魔法で治癒するという選択肢は消えた。
 一応これでもフィオラは勤め人なので、上のお願い(命令)には逆らえないのである。

 ともあれ、体が元に戻ったのはフィオラも嬉しい。
 が、結局人の世話になっていたらその喜びも半減だ。安静に、とは言われたものの絶対安静とまではいかないので、多少体が痛もうが、自分のことは自分でしたいのだが、それを阻むのがルカだ。目を覚ましてからこっち、着替え以外のすべての世話を見ると言わんばかりの張り付きっぷりである。


(もしかして、ルカは人の世話をするのが好きなのか……?)


 もう子どもの姿ではないので、何くれと世話を焼かれないと生活もままならない、ということはないのにこの態度。そもそも世話好きだったということだろうか。
 あれやこれやと理由をつけて食事に誘いに来ていた以前の様子もあわせて、フィオラはそう思った。

 攫われたことで心配をかけただろうことも、迷惑をかけたことも自覚しているので、いろいろ思うところを抑えて状況に甘んじているが、食事くらい自分で食べたい。
 というかせめて『あーん』は回避したい。ちなみに一度説得に失敗しているので、これは起きてから二度目の食事である。


「というか、お前は恥ずかしくないのか?」

「? 何が?」

「同年代の人間に対して『あーん』だなんてふつうしないだろう」

「でも、フィーだし……。フィーが俺の手からご飯を食べてくれると、嬉しいし安心するんだ」


(それはいったいどういう感情なんだ?)


 さっぱりわからない。
 とりあえずルカの親愛によってとる行動が、自分のものとは違うことだけはわかった。


「だが、私は恥ずかしい。正直この年齢になって『あーん』とか口に出すだけで恥ずかしい」

「お昼は食べてくれたのに……」

「あの時は寝起きだったし、お前に押し切られたんだ。ただ寝ているだけだと体が鈍るし、自分で食事くらいとる」

「せっかくフィーが大人しく世話を焼かれてくれそうな機会なのに……」


(子どもの姿のときあれだけ世話を焼いておいて、まだ物足りなかったのか……?)


 あいにくとフィオラは他人に世話を焼きたくてたまらない人間の感覚はわからないので、名残惜しそうに椀と匙をフィオラに返すルカの気持ちはわからない。

 少しの動作で痛む体を宥めながらゆっくりと食事を始めたフィオラを、ルカは横でにこにこと見守っている。


「仕事は大丈夫なのか」

「フィーのことについては俺の担当だからね」

「……もしや、それは私の世話を焼くことまで含むのか?」

「そういうわけじゃないけど。一応聴取の名目で来てるよ」

「だったらあれこれ世話をしてないで先に聴取をすればよかったんじゃないか」


 フィオラはてっきりルカは休みをとったのかと思っていた。それはそれでどうかと思うが、今のこれが勤務時間内の、さらに勤務扱いの方がどうかと思う。


「そうしたらすぐに戻らないといけなくなるから」


 いやそこは戻ればいいんじゃないか、とは言えなかった。

 目を覚ました時、自分の手を握って、顔を覗き込んでいたルカを見て、安心した自分を覚えていたので。


(結局のところ、私もルカに相当気を許しているということか)


 『自称一番の友人』が、とっくに本当に『一番の友人』になっていたのは薄々わかっていた。
 フィオラの両親は死んでいないが、縁はもう切れたようなもので、それに近しい人間もいない。
 自分を気にかけてくれる人間が一人でもいるというのはいいものだ。フィオラは特に、生まれた時から一緒だった片割れがいたから、実は完全な一人というのが苦手だったりする。

 つまり、ここにいてくれることは嬉しいのだ。過剰に世話を焼かれるのが気恥ずかしいだけで。

 そういう自分の気持ちをルカに伝えられるのはいつになるだろうか、と、見守り体制から補助体制に移行しようとし始めたルカを見ながら思う。

 これはたぶん、親愛と呼ぶのだろう。
 親愛を持ち寄って形作る関係性の名前には興味がないけれど、どうかそれが長く続くようにと祈った。

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