勇者は秘密を共有する同士の仲に嫉妬する

空月

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後編

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(とはいえ、本当にどうしたらいいのかしら……)


 リウ・フェンが帰って一人になった部屋で、ユーリカは思い悩む。
 このままアレクの気持ちの整理がつくまで諾々と待つか、リウ・フェンとはそういう仲では絶対にないのだと前世の記憶のことを話してしまうか。

 危ない橋を渡らないのであれば格段に前者だ。けれどそれは、身から出た錆を無視してアレクに甘えるということに他ならない。


(そもそも、話していないことはずっと引っかかっていたのだし)


 罪の濯がれていない人間だとアレクに思われるのが怖くて、話せないまま来ていた。何事も話せなければ恋人同士ではないとまでは思わないが、やはり不誠実ではあるだろう。
 話した結果、アレクがユーリカとの結婚を思いとどまるどころか別れを切り出す可能性だってなくはない。それでも、こういう機会が巡ってきたということは、話すべきときが来たということだろう。


(うん、話そう)


 そう決意したのと、コンコンとドアが叩かれたのは同時だった。


「アレクだけど……」

「っ、アレク?」


 慌ててドアを開けに行く。開けた先には、どことなく悄然としたアレクが立っていた。
 不思議に思いつつ、家の中に招く。けれどアレクは、数歩入ったところで立ち止まった。


「? どうしたの?」

「……ここに、彼も招いた?」


 アレクの澄んだ湖のような瞳が昏い光を湛えているのに、そこでやっとユーリカは気づいた。
 アレクが信じられないような乱暴さでユーリカの腕を掴む。痛みに顔をしかめるユーリカに、それでもアレクは力を緩めず、そのまま壁に押し付けられた。


「やっぱりだめだ、君が他の誰かと、男と、親しくしているのに平静でなんていられない――ねえ、僕が嫌いになった? 長く一人にしたから、置いていったから、本当は僕から心が離れてしまった?」

「そんなことないわ。落ち着いて、アレク」

「だったらどうして二人きりで会ったりなんかするんだ!」


 ユーリカは目を見開いた。怒鳴られたことにもだけれど――何よりもその内容に。
 リウ・フェンは伝達魔術で伺いを立ててきたあと、直接家にやってきた。他人に見られているはずがない。もしそれを知ることができた人間がいるとしたら――この家は覗き見られていたことになる。


「誰に聞いたの?」

「……否定しないんだね」


 低く、昏い声だった。ユーリカの知らないアレクだった。それに一瞬怯んだのを察したのだろう、アレクは自嘲するように小さく笑った。


「僕が怖い?」

 吐息がかかるような距離まで近づいて、アレクは囁いた。ユーリカは否定も肯定もできなかった。見つめるアレクの視線の強さに気圧されて、身動きが取れない。


「それでも僕は君を手放せない。君を支えに世界を救ったんだ。君がいるから世界を救ったんだ。今更僕を要らないなんて言っても、聞いてあげない」

「そ――」


 そんなこと思ったこともない、と否定しよう何とか開いたユーリカの口を、けれど聞きたくないというようにアレクが塞いだ――唇で。


「んっ」

「何も言わないで。何も聞きたくない。僕を拒絶する君の声なんて聞きたくないんだ」


 キスの合間に懇願するようにアレクが言う。息を乱されながら、ユーリカは衝撃に呆然としていた。


(本当に、アレク? だってアレクは、旅に出る時だって不安になるくらいあっさり出て行ってしまったのに――こんな、)


 「無事帰ってきたら結婚してほしい」とは言われた。
 だけどそれだけだった。抱きしめられたことすら数えるほどで、本当に好かれているのかと思い悩んだことは両手の数では足りなかった。会えない間の手紙だって、近況報告ばかりで。

 それなのに今は、まるでユーリカがいなければ生きていけないとばかりに、縋りつくようにユーリカを抱きしめて唇を塞いでいる。
 まるで現実感がなかった。


「ま、って……アレ、ク」

「待たない。ずっと――ずっと我慢していたんだ。僕が君に相応しい心根を持っていないとしても、君を他の誰かに渡すなんて考えられない」


 力の入らない手でアレクの肩を押し返そうとしてみても、逆に捕らえられてより深い口づけを許す結果になってしまう。もはやユーリカは、ただただアレクに翻弄されるしか許されていなかった。


* * *


「――ごめん!」


 数分後。
 ユーリカはアレクの土下座を受けていた。
 突然我に返ったように唇を離しユーリカを解放したかと思うとこれだ。正直ユーリカは事態についていけてなかった。


「……それは、何に対しての謝罪?」

「君に、……その……無理矢理に、迫ったことへの」


 頬を赤らめたアレクが言いづらそうに口にする。まるで乙女の反応だ。襲って来た側なのだが。


「……それは……その、今は置いておきましょう。――それより、アレク。もしかして、何か我を忘れるような魔術でもかけられていたのではない?」

 ユーリカは魔術師ではない。けれど、魔術師の素質が少しある、らしい。リウ・フェンと過ごす中で、なんとなく魔術の気配を感じることができるようになった。そして、その気配が、先程の――我に返ったようになるまでのアレクから感じ取れたのだ。


「……わからない。君と懇意にしているという魔術師と会って……それから、記憶が曖昧で」


(……リウ……余計な気を回したわね)


 ユーリカと別れたあと、余計なちょっかいをかけに行ったに違いない。本人はユーリカの背を押す一助のつもりだったのだろうが。


「こんなことをするつもりじゃなかった。……いや、言い訳だ。口にしたのは、僕の本心に違いないんだから」

「……そう、なの?」


 アレクは恥ずかしげに目尻を染めた。


「嫉妬する気持ちを、必死に抑えてた。結婚まで時間が欲しいと言ったあの時の言葉も本当だけど……嫉妬で君にひどいことをしそうになる自分を抑えきれる自信がなかった。だから少し、距離を置きたかった」


 その言葉に、乱暴に口づけられたことを思い出して頬が熱くなる。そんなユーリカを見て、アレクもまた赤くなった。微妙な空気が流れる。


「そ、その……魔術師――リウとは本当にそういう仲じゃないのよ」

「……でも、家に招いたんだろう?」

「それは、その――人には聞かれたくない話があって、」


 言いかけて、これではますます誤解を助長するだけだと気づく。
 これはもう言うしかない、とユーリカは覚悟を決めた。


「――私、前世の記憶があるの!」

「……え?」


 またも昏い瞳になりかけていたアレクが、間抜けた声を漏らした。


「リウ・フェンも前世の記憶がある人で――私よりたくさんの記憶を持ってて。相談に乗ってもらっていたの、それだけ」


 一気に言って、ユーリカはアレクの反応を待った。
 しばらく放心したように瞬いていたアレクは、ゆっくりと口を開いて、「……それだけ?」と繰り返した。


「今日は、その、アレクが『結婚を待ってほしい』って言ったから――それについて相談していただけで。リウ・フェンは気兼ねなく話せる相手ってだけで、そういう……アレクが心配するようなことは何もないの」

「……前世の記憶がある?」

「……そう。この世界では、前世の記憶があるのは罪が濯がれていない証だと言うでしょう。だから……言えなくて」


 少しの沈黙。
 そののちにアレクは――「なんだ」と口にした。


「『なんだ』って……」


 あまりにもあまりな言葉に、ユーリカの口調に棘が混じる。
 それに気づいたのか、慌てたようにアレクが言い募った。


「いや、君が言えなかったのはわかるんだ。罪人の証だって言い伝えられてるんだから」

「アレクは、気にならないの……?」

「この世界がそうさだめてるだけだって、旅の中で知ったから。――ああ、なんだ、よかった……。いや、僕が割り入れない領域の話なのはよくないけど……僕から心が離れたわけじゃ、ないんだよね?」


 それはもちろんだ。頷くと、アレクはほっと肩の力を抜いた。


(あ、そうか、『嘘を見抜く瞳』……)


 やけにあっさりと納得したと思ったけれど、ユーリカが嘘をついていないことをアレクは間違いなく理解できるのだ。それならば納得がいく。


「……こんな、嫉妬で君にひどいことをしそうになるような男だけど。それでも、結婚してくれる?」

「……前世の記憶繫がりの同士がいる女だけど。それでもいいなら」


 ユーリカの言葉にアレクは少しだけ複雑そうな顔をしたけれど、今度は優しく引き寄せられ、ぎゅっと抱きしめられた。


「君という人に代わりはないから。どうか結婚してください」

「――はい」



* * *


 後日。


「俺なりに責任を感じてのことだったんだって」


 悪びれる様子もなく、リウ・フェンはあっけからんとそう言った。


「それであんな魔術をかけようってなるところが人の心をわかってないのよ」

「でも結果よければすべてよし、だろ? 丸く収まったわけだし」

「それとこれとは話が別。反省してちょうだい」

「へいへい」


 肩を竦めるリウ・フェンを睨む。と、やりとりを黙って見ていたアレクが、複雑そうに呟いた。


「やっぱりちょっと、嫉妬するな……」

「そりゃ、気の置けない友人同士と恋人同士は違うからな。どっちの立場も、ってできない以上、そういう感情とはうまく付き合うしかないだろ。――ガス抜きはさせたんだから、それくらい我慢しろって」


 リウ・フェンの言葉の意味を理解して、ユーリカとアレクは赤くなる。それを見て、リウ・フェンは満足そうに喉の奥で笑ったのだった。


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