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森川家での夕食時、母親が浩一に声をかけた。
「浩一」
「え?」
「おまえ、大丈夫かい」
勉強のことかと思ったが、そうではなかった。
「顔色が悪いよ」
今日も残業でまだ帰っていない父親も、同じことを気にかけていた。
浩一は、家族が心配するほど顔がどす黒くなっているが、自分ではわからない。
「どこか具合でもわるいのかい?」
「いや、別にわるくないよ」
「あんまり食べなくなっただろ」
「そんなことないよ」
「おかわり、しなくなったじゃないか」
言われて、はじめて気がついた。母親を見ると、息子を心配する想いが隠すことなく、その顔にあらわれている。
口をひらけば「勉強しなさいっ」としか言わない母親が、こんな表情をするとは。
──ぼくは、それほど重症なのか?
このままでは、すべてを失うのではないか。自分の命までも。
問題解決の糸口は、まったく見えない。苦悩の闇を脱出するための出口は、かたく閉ざされたまま、開く気配などこれっぽっちも感じない。
大学受験はおろか、学校を卒業することさえ危ういのではないかと、悩みはふくらんでゆく。
それをどうすることもできないまま、秋の季節が終わりを迎えようとしている。
浩一は、顔色はさえなくても学校を休むことはなかった。
ある日の放課後、浩一はまっすぐに自宅へは帰らず、川のある土手の方へ向かう。
歩いていた道路から右に逸れ、芝のひろがる斜面に足をはこぶ。少し降りたところで座って鞄を置くと、流れる川をぼーっと見ていた。
肌寒さを感じる気温だが、浩一はそこから動こうとはしない。
しばらくすると、浩一はがっくりとうなだれる。思ったとおりになってしまった。
もはや友理奈を意識しなくても、獣に豹変する衝動に駆り立てられる。己のなかに居座っている存在に、心がとらわれっぱなしの状態が続いている。
このままでは、自分は本当に獣になり、その本性を爆発させるのではないか。
以前、外山がいった「気にするな」というアドバイスが、まったく実践できていない。
浩一の心に棲まう何者かが、執拗に浩一を苦しめる。
──どうすればいいんだ
上手くまわらない頭を強引にはたらかせていると、いきなり背後から声が響いた。
「森川くん」
聞き覚えのある声に、浩一は目を見開きながらふり向いた。
自分の右側後ろに、友理奈がたたずんでいる。浩一のあとを追ってきたのだ。
思考が停止した浩一のとなりに、友理奈が腰をおろす。友理奈は、浩一をじっと見つめる。
彼女が話しかける言葉が、目が点になっている浩一をさらに驚かせた。
「外山くんから聞いたよ」
「え?」
「わたしのことで悩んでいるんでしょ?」
浩一の顔が、血の気を失ったように青くなる。
──外山……誰にも言わないんじゃなかったのか、刑事の息子
浩一がそう思っているころ、外山は
「森川、すまねえ 」
空をあおぎながら、浩一にあやまっていた。
外山に相談して以降、元気になるどころかますます具合が悪くなっていくような浩一を見た友理奈は、外山に説明をもとめた。
「いったい、どうなっているのよ。森川くんに、なにを言ったの? なにをしたのっ。ねえ、ねえったら!」
「ま、待て、吉野。お、落ち着け」
放課後、友理奈が誰もいない校舎の裏へ外山をひっぱってくると、強引に話を聞き出そうとする。
外山よりずっと小柄な友理奈が、外山の胸ぐらを両手でつかんで前後にゆさぶり、無理やり彼の口を割らせる様子は、見ものだったにちがいない。
「わ、わかった、吉野。話す、話すから」
観念した外山は、浩一との会話のすべてを友理奈に告げることを決意する。
話を聞いた友理奈は、外山が思ったとおりの反応を示した。ショックをうけて愕然となり、絶句したまま動かぬ石像と化した友理奈は、見るからに忍びなかった。
──このままで済ますわけには、いかない
そう考えた外山は、友理奈に理解させるように自分の思ったことを彼女に述べる。
「吉野、おまえが関わっているのは確かだが」
ショックをうけた友理奈に、追い打ちをかけて傷つけないよう、外山は慎重に言葉をつないでゆく。
「これは、森川自身の問題なんだ」
浩一が自分の心に居座る存在を、己の力でねじ伏せることができるかどうか。
浩一のなかで巻き起こる戦いに、誰も立ち入ることはできない。それは、外山とて例外ではない。
決着をつけるのは、外山でも他の誰でもなく、浩一自身なのだ。友理奈にこれ以上のショックを与えないように神経をつかいながら、外山は説明していった。
──吉野は、俺の話をわかってくれただろうか?
外山はそう思いながら、不安そうな目で彼女を見る。
ひととおり話を聞いた友理奈は、外山に背を向けて歩き出した。ちょっと心配になった外山は、あわてて彼女を呼び止める。
「吉野!」
外山の呼びかけに、友理奈はふり返る。
「森川くんは、獣にはならないわ」
きっぱりと言いきった。
彼女の言葉に外山は思った。
──なぜ、断言できる?
それを口に出すのは控えた。友理奈が浩一を信頼しているのであれば、それでいい。外山はなにもいわず、黙ったまま友理奈を見送る。
そして、新たに誓いを立てるのだった。
──森川、おまえのことは、もう誰にも話さねえ! 吉野以外には
気持ちの切り替えが、すこぶるはやい外山だった。
「浩一」
「え?」
「おまえ、大丈夫かい」
勉強のことかと思ったが、そうではなかった。
「顔色が悪いよ」
今日も残業でまだ帰っていない父親も、同じことを気にかけていた。
浩一は、家族が心配するほど顔がどす黒くなっているが、自分ではわからない。
「どこか具合でもわるいのかい?」
「いや、別にわるくないよ」
「あんまり食べなくなっただろ」
「そんなことないよ」
「おかわり、しなくなったじゃないか」
言われて、はじめて気がついた。母親を見ると、息子を心配する想いが隠すことなく、その顔にあらわれている。
口をひらけば「勉強しなさいっ」としか言わない母親が、こんな表情をするとは。
──ぼくは、それほど重症なのか?
このままでは、すべてを失うのではないか。自分の命までも。
問題解決の糸口は、まったく見えない。苦悩の闇を脱出するための出口は、かたく閉ざされたまま、開く気配などこれっぽっちも感じない。
大学受験はおろか、学校を卒業することさえ危ういのではないかと、悩みはふくらんでゆく。
それをどうすることもできないまま、秋の季節が終わりを迎えようとしている。
浩一は、顔色はさえなくても学校を休むことはなかった。
ある日の放課後、浩一はまっすぐに自宅へは帰らず、川のある土手の方へ向かう。
歩いていた道路から右に逸れ、芝のひろがる斜面に足をはこぶ。少し降りたところで座って鞄を置くと、流れる川をぼーっと見ていた。
肌寒さを感じる気温だが、浩一はそこから動こうとはしない。
しばらくすると、浩一はがっくりとうなだれる。思ったとおりになってしまった。
もはや友理奈を意識しなくても、獣に豹変する衝動に駆り立てられる。己のなかに居座っている存在に、心がとらわれっぱなしの状態が続いている。
このままでは、自分は本当に獣になり、その本性を爆発させるのではないか。
以前、外山がいった「気にするな」というアドバイスが、まったく実践できていない。
浩一の心に棲まう何者かが、執拗に浩一を苦しめる。
──どうすればいいんだ
上手くまわらない頭を強引にはたらかせていると、いきなり背後から声が響いた。
「森川くん」
聞き覚えのある声に、浩一は目を見開きながらふり向いた。
自分の右側後ろに、友理奈がたたずんでいる。浩一のあとを追ってきたのだ。
思考が停止した浩一のとなりに、友理奈が腰をおろす。友理奈は、浩一をじっと見つめる。
彼女が話しかける言葉が、目が点になっている浩一をさらに驚かせた。
「外山くんから聞いたよ」
「え?」
「わたしのことで悩んでいるんでしょ?」
浩一の顔が、血の気を失ったように青くなる。
──外山……誰にも言わないんじゃなかったのか、刑事の息子
浩一がそう思っているころ、外山は
「森川、すまねえ 」
空をあおぎながら、浩一にあやまっていた。
外山に相談して以降、元気になるどころかますます具合が悪くなっていくような浩一を見た友理奈は、外山に説明をもとめた。
「いったい、どうなっているのよ。森川くんに、なにを言ったの? なにをしたのっ。ねえ、ねえったら!」
「ま、待て、吉野。お、落ち着け」
放課後、友理奈が誰もいない校舎の裏へ外山をひっぱってくると、強引に話を聞き出そうとする。
外山よりずっと小柄な友理奈が、外山の胸ぐらを両手でつかんで前後にゆさぶり、無理やり彼の口を割らせる様子は、見ものだったにちがいない。
「わ、わかった、吉野。話す、話すから」
観念した外山は、浩一との会話のすべてを友理奈に告げることを決意する。
話を聞いた友理奈は、外山が思ったとおりの反応を示した。ショックをうけて愕然となり、絶句したまま動かぬ石像と化した友理奈は、見るからに忍びなかった。
──このままで済ますわけには、いかない
そう考えた外山は、友理奈に理解させるように自分の思ったことを彼女に述べる。
「吉野、おまえが関わっているのは確かだが」
ショックをうけた友理奈に、追い打ちをかけて傷つけないよう、外山は慎重に言葉をつないでゆく。
「これは、森川自身の問題なんだ」
浩一が自分の心に居座る存在を、己の力でねじ伏せることができるかどうか。
浩一のなかで巻き起こる戦いに、誰も立ち入ることはできない。それは、外山とて例外ではない。
決着をつけるのは、外山でも他の誰でもなく、浩一自身なのだ。友理奈にこれ以上のショックを与えないように神経をつかいながら、外山は説明していった。
──吉野は、俺の話をわかってくれただろうか?
外山はそう思いながら、不安そうな目で彼女を見る。
ひととおり話を聞いた友理奈は、外山に背を向けて歩き出した。ちょっと心配になった外山は、あわてて彼女を呼び止める。
「吉野!」
外山の呼びかけに、友理奈はふり返る。
「森川くんは、獣にはならないわ」
きっぱりと言いきった。
彼女の言葉に外山は思った。
──なぜ、断言できる?
それを口に出すのは控えた。友理奈が浩一を信頼しているのであれば、それでいい。外山はなにもいわず、黙ったまま友理奈を見送る。
そして、新たに誓いを立てるのだった。
──森川、おまえのことは、もう誰にも話さねえ! 吉野以外には
気持ちの切り替えが、すこぶるはやい外山だった。
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