青春エクスプレス

左門正利

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 友理奈の泣き声が小さくなる。いつまでも、ここにいるわけにはいかない。 

 浩一は、友理奈に声をかけた。 

「吉野、帰ろう」

 友理奈は、なにも言わない。浩一は手離した鞄をひろうと、ふたたび彼女にいった。 

「行こう、吉野」

 友理奈は、黙ったままうなずいた。二人が横にならんで公園を出る。 

 当然、相合い傘になる。彼氏や彼女のいない者たちから見れば、うらやましがられるシチュエーションだ。しかし、これほど気の重い相合い傘もないだろう。 

 傘をにぎる浩一は、友理奈が雨に濡れないようにすると、自分の肩に雨が降りかかってしまう。 

 だが

 ──これでいい 

 浩一は友理奈のために、雨の犠牲になる自分を受け入れた。 


 友理奈の自宅を浩一は知らない。ゆえに、彼女の歩くのにまかせた。 

 ふと、気づいたことがあった。いままで、気にもとめていなかった。 

「吉野、鞄は?」

 その言葉に、友理奈は首を横にふる。 

 ──学校に行こうとしてたんじゃなかったのか? 

 浩一は「だったら、なぜ学生服に?」と考えたが、重い空気がますます重くなりそうだったので、それ以上は詮索せんさくするのを止めた。もちろん、友理奈にはなにも言わない。 

 妙に気まずい状態のまま歩き続けていると、しばらくして前方から叫ぶような声が浩一たちに伝わってくる。 

「ユリちゃん!」

 その声にハッとした二人は、足を止める。紺色のレインコートを着た体格のよい中年の女性が、傘を手にして彼らの方へ駆けよってくる。 
 友理奈の親族だろうと浩一は思った。やはり、友理奈を探している人がいたのだ。 

 友理奈の前で立ち止まったその人は、ホッとして目元をゆるませると、友理奈に言葉をかける。 

「見つかって良かったわ。みんな心配してたのよ」

 慈愛じあいにあふれた声だった。浩一はあとで知ったが、彼女は友理奈の叔母だった。

 朝、学校へ行ったはずの友理奈の鞄が玄関にあり、母親が気になって学校に問い合わせたところ、友理奈は学校へは来ていないという。 

 友理奈の携帯電話は自分の部屋の机に置きっぱなしであり、母親は娘と連絡をとることができない。彼女は親戚中に電話したが、娘の所在がわからず、親族の人たちは友理奈を探しまわることとなった。

 実は、事情を知った学校側もたいへんあわてて、現在はそのことで職員会議の真っ最中である。

 友理奈は、話しかけてくる叔母の言葉にはなにも返さず、うつむいたままでいる。

 浩一は、友理奈の親族に言っておくべきだと思い、口をひらいた。 

「あ、あの……」

 なんとも頼りない響きのする声が、浩一の口から出てくる。 まったく関係のない部外者が割り込もうとすると、こんな感じになるのだろうか。

 それでも浩一は、友理奈のために言葉を続ける。

「吉野を怒らないであげてください」

 友理奈の叔母は、おだやかに微笑んで答えた。

「ええ、わかってるわ」

 彼女の返答に、浩一は思った。 

 ──これが、大人なのだ

 なにかと感情的になる学生の自分たちとは、ちがう。人間が成長すると、こういう大人になるのだろう。 
 友理奈が家族のもとへ帰り、誰かから怒鳴られそうになっても、この人がいさめてくれそうだ。

 彼女たちが二人で話をしているあいだに──といっても、話しているのは叔母だけで、友理奈は黙りこくったままなのだが──浩一は、じゃま者はさっさと消えるべきだと思い、静かにその場を離れてゆく。

 だんだんと雨が強くなる。自宅に帰り着いたときには、どしゃ降りになっていた。 

「吉野は、ぶじに帰れたかな」 

 保護者ともいえる人がいっしょなので大丈夫とは思うのだが、やっぱり気になる浩一であった。 


 自分の部屋に入った浩一はジャージに着替えると、ベッドに仰向けに寝そべった。
 当分、着ることのない学生服のズボンとシャツは、すぐさま洗濯機に放りこんだ。

 両親は、二人とも仕事に出かけている。ぼんやりと部屋の天井を眺めていると、公園での記憶がよみがえってくる。 

 ──あのとき

 胸に渦巻く欲望を、抑えることができなかった。不幸の最中にある友理奈に、心の中で襲いかかった。

「最低だっ」

 自己嫌悪におちいる。欲望のままに友理奈を襲っていれば、自分は犯罪者になっていた。
 考えてみれば、ゾッとする。しかし、実際には犯罪者にならずにすんだ。

「これで良かったんだ」

 浩一は、強引にそう思うようにした。

「今日のことは、もう忘れよう」

 忘れたかった。だが、できなかった。この日の出来事は、浩一の心に、いままでにない強烈な衝撃をもたらした。

 するどい爪痕つめあとをのこすかのような、心の奥深くまでえぐり込まれた記憶は、簡単には忘れられない。 

 これ以降、浩一の日常が崩れてゆくことを、浩一自身は知るよしもない。いまはまだ、その序章にすぎなかった。


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