7 / 15
7
しおりを挟む
友理奈の泣き声が小さくなる。いつまでも、ここにいるわけにはいかない。
浩一は、友理奈に声をかけた。
「吉野、帰ろう」
友理奈は、なにも言わない。浩一は手離した鞄をひろうと、ふたたび彼女にいった。
「行こう、吉野」
友理奈は、黙ったままうなずいた。二人が横にならんで公園を出る。
当然、相合い傘になる。彼氏や彼女のいない者たちから見れば、うらやましがられるシチュエーションだ。しかし、これほど気の重い相合い傘もないだろう。
傘をにぎる浩一は、友理奈が雨に濡れないようにすると、自分の肩に雨が降りかかってしまう。
だが
──これでいい
浩一は友理奈のために、雨の犠牲になる自分を受け入れた。
友理奈の自宅を浩一は知らない。ゆえに、彼女の歩くのにまかせた。
ふと、気づいたことがあった。いままで、気にもとめていなかった。
「吉野、鞄は?」
その言葉に、友理奈は首を横にふる。
──学校に行こうとしてたんじゃなかったのか?
浩一は「だったら、なぜ学生服に?」と考えたが、重い空気がますます重くなりそうだったので、それ以上は詮索するのを止めた。もちろん、友理奈にはなにも言わない。
妙に気まずい状態のまま歩き続けていると、しばらくして前方から叫ぶような声が浩一たちに伝わってくる。
「ユリちゃん!」
その声にハッとした二人は、足を止める。紺色のレインコートを着た体格のよい中年の女性が、傘を手にして彼らの方へ駆けよってくる。
友理奈の親族だろうと浩一は思った。やはり、友理奈を探している人がいたのだ。
友理奈の前で立ち止まったその人は、ホッとして目元をゆるませると、友理奈に言葉をかける。
「見つかって良かったわ。みんな心配してたのよ」
慈愛にあふれた声だった。浩一はあとで知ったが、彼女は友理奈の叔母だった。
朝、学校へ行ったはずの友理奈の鞄が玄関にあり、母親が気になって学校に問い合わせたところ、友理奈は学校へは来ていないという。
友理奈の携帯電話は自分の部屋の机に置きっぱなしであり、母親は娘と連絡をとることができない。彼女は親戚中に電話したが、娘の所在がわからず、親族の人たちは友理奈を探しまわることとなった。
実は、事情を知った学校側もたいへんあわてて、現在はそのことで職員会議の真っ最中である。
友理奈は、話しかけてくる叔母の言葉にはなにも返さず、うつむいたままでいる。
浩一は、友理奈の親族に言っておくべきだと思い、口をひらいた。
「あ、あの……」
なんとも頼りない響きのする声が、浩一の口から出てくる。 まったく関係のない部外者が割り込もうとすると、こんな感じになるのだろうか。
それでも浩一は、友理奈のために言葉を続ける。
「吉野を怒らないであげてください」
友理奈の叔母は、穏やかに微笑んで答えた。
「ええ、わかってるわ」
彼女の返答に、浩一は思った。
──これが、大人なのだ
なにかと感情的になる学生の自分たちとは、ちがう。人間が成長すると、こういう大人になるのだろう。
友理奈が家族のもとへ帰り、誰かから怒鳴られそうになっても、この人が諌めてくれそうだ。
彼女たちが二人で話をしているあいだに──といっても、話しているのは叔母だけで、友理奈は黙りこくったままなのだが──浩一は、じゃま者はさっさと消えるべきだと思い、静かにその場を離れてゆく。
だんだんと雨が強くなる。自宅に帰り着いたときには、どしゃ降りになっていた。
「吉野は、ぶじに帰れたかな」
保護者ともいえる人がいっしょなので大丈夫とは思うのだが、やっぱり気になる浩一であった。
自分の部屋に入った浩一はジャージに着替えると、ベッドに仰向けに寝そべった。
当分、着ることのない学生服のズボンとシャツは、すぐさま洗濯機に放りこんだ。
両親は、二人とも仕事に出かけている。ぼんやりと部屋の天井を眺めていると、公園での記憶がよみがえってくる。
──あのとき
胸に渦巻く欲望を、抑えることができなかった。不幸の最中にある友理奈に、心の中で襲いかかった。
「最低だっ」
自己嫌悪におちいる。欲望のままに友理奈を襲っていれば、自分は犯罪者になっていた。
考えてみれば、ゾッとする。しかし、実際には犯罪者にならずにすんだ。
「これで良かったんだ」
浩一は、強引にそう思うようにした。
「今日のことは、もう忘れよう」
忘れたかった。だが、できなかった。この日の出来事は、浩一の心に、いままでにない強烈な衝撃をもたらした。
するどい爪痕をのこすかのような、心の奥深くまでえぐり込まれた記憶は、簡単には忘れられない。
これ以降、浩一の日常が崩れてゆくことを、浩一自身は知るよしもない。いまはまだ、その序章にすぎなかった。
浩一は、友理奈に声をかけた。
「吉野、帰ろう」
友理奈は、なにも言わない。浩一は手離した鞄をひろうと、ふたたび彼女にいった。
「行こう、吉野」
友理奈は、黙ったままうなずいた。二人が横にならんで公園を出る。
当然、相合い傘になる。彼氏や彼女のいない者たちから見れば、うらやましがられるシチュエーションだ。しかし、これほど気の重い相合い傘もないだろう。
傘をにぎる浩一は、友理奈が雨に濡れないようにすると、自分の肩に雨が降りかかってしまう。
だが
──これでいい
浩一は友理奈のために、雨の犠牲になる自分を受け入れた。
友理奈の自宅を浩一は知らない。ゆえに、彼女の歩くのにまかせた。
ふと、気づいたことがあった。いままで、気にもとめていなかった。
「吉野、鞄は?」
その言葉に、友理奈は首を横にふる。
──学校に行こうとしてたんじゃなかったのか?
浩一は「だったら、なぜ学生服に?」と考えたが、重い空気がますます重くなりそうだったので、それ以上は詮索するのを止めた。もちろん、友理奈にはなにも言わない。
妙に気まずい状態のまま歩き続けていると、しばらくして前方から叫ぶような声が浩一たちに伝わってくる。
「ユリちゃん!」
その声にハッとした二人は、足を止める。紺色のレインコートを着た体格のよい中年の女性が、傘を手にして彼らの方へ駆けよってくる。
友理奈の親族だろうと浩一は思った。やはり、友理奈を探している人がいたのだ。
友理奈の前で立ち止まったその人は、ホッとして目元をゆるませると、友理奈に言葉をかける。
「見つかって良かったわ。みんな心配してたのよ」
慈愛にあふれた声だった。浩一はあとで知ったが、彼女は友理奈の叔母だった。
朝、学校へ行ったはずの友理奈の鞄が玄関にあり、母親が気になって学校に問い合わせたところ、友理奈は学校へは来ていないという。
友理奈の携帯電話は自分の部屋の机に置きっぱなしであり、母親は娘と連絡をとることができない。彼女は親戚中に電話したが、娘の所在がわからず、親族の人たちは友理奈を探しまわることとなった。
実は、事情を知った学校側もたいへんあわてて、現在はそのことで職員会議の真っ最中である。
友理奈は、話しかけてくる叔母の言葉にはなにも返さず、うつむいたままでいる。
浩一は、友理奈の親族に言っておくべきだと思い、口をひらいた。
「あ、あの……」
なんとも頼りない響きのする声が、浩一の口から出てくる。 まったく関係のない部外者が割り込もうとすると、こんな感じになるのだろうか。
それでも浩一は、友理奈のために言葉を続ける。
「吉野を怒らないであげてください」
友理奈の叔母は、穏やかに微笑んで答えた。
「ええ、わかってるわ」
彼女の返答に、浩一は思った。
──これが、大人なのだ
なにかと感情的になる学生の自分たちとは、ちがう。人間が成長すると、こういう大人になるのだろう。
友理奈が家族のもとへ帰り、誰かから怒鳴られそうになっても、この人が諌めてくれそうだ。
彼女たちが二人で話をしているあいだに──といっても、話しているのは叔母だけで、友理奈は黙りこくったままなのだが──浩一は、じゃま者はさっさと消えるべきだと思い、静かにその場を離れてゆく。
だんだんと雨が強くなる。自宅に帰り着いたときには、どしゃ降りになっていた。
「吉野は、ぶじに帰れたかな」
保護者ともいえる人がいっしょなので大丈夫とは思うのだが、やっぱり気になる浩一であった。
自分の部屋に入った浩一はジャージに着替えると、ベッドに仰向けに寝そべった。
当分、着ることのない学生服のズボンとシャツは、すぐさま洗濯機に放りこんだ。
両親は、二人とも仕事に出かけている。ぼんやりと部屋の天井を眺めていると、公園での記憶がよみがえってくる。
──あのとき
胸に渦巻く欲望を、抑えることができなかった。不幸の最中にある友理奈に、心の中で襲いかかった。
「最低だっ」
自己嫌悪におちいる。欲望のままに友理奈を襲っていれば、自分は犯罪者になっていた。
考えてみれば、ゾッとする。しかし、実際には犯罪者にならずにすんだ。
「これで良かったんだ」
浩一は、強引にそう思うようにした。
「今日のことは、もう忘れよう」
忘れたかった。だが、できなかった。この日の出来事は、浩一の心に、いままでにない強烈な衝撃をもたらした。
するどい爪痕をのこすかのような、心の奥深くまでえぐり込まれた記憶は、簡単には忘れられない。
これ以降、浩一の日常が崩れてゆくことを、浩一自身は知るよしもない。いまはまだ、その序章にすぎなかった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
真夏の温泉物語
矢木羽研
青春
山奥の温泉にのんびり浸かっていた俺の前に現れた謎の少女は何者……?ちょっとエッチ(R15)で切ない、真夏の白昼夢。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる