翔んだディスコード

左門正利

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◇ パーティー

二人きりの部屋で

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 正也たちの演奏が終わると、会場がふたたび賑やかになってくる。 

 セレナはもう少し早弥香と話をしたかったのだが、父親に呼ばれたため早弥香のもとを離れて行った。 
 その際、早弥香に「アイマショ、フタタビ、マタネ」といいのこし、二人は再会を誓うのだった。 

 早弥香の方は、正也に会いたいと思っているのだが、その正也はグロスとともに多くの人たちに囲まれている。 
 正也と二人で話がしたい早弥香だが、この様子ではさすがに無理のようだ。 

 早弥香はテーブルの料理をつつきながら、正也がひとりになるのを待っている。
 だが、そんな早弥香にも、外国の音楽関係者たちが次々と立ちよってくる。そういうときに自分のそばに須藤がいることを、とても心強く感じる早弥香である。 

 音楽関係者の彼らと話を終えた早弥香は、ちょっと落ち着いたところで正也がいた場所へ視線を移す。 
 そこは、すでに人の集まりはなく、正也の姿も忽然こつぜんと消えていた。 

 ──弓友くん、どこへ?

 早弥香は、自分の母親と須藤に告げる。 

「弓友くんと話をしてきます」

 早弥香は焦ったように正也を探そうとする。キョロキョロしながらウロウロと歩き回る早弥香は、前をよく見ないままドンッと人にぶつかった。 

「ご、ごめんなさいっ」 

 あわててあやまる早弥香が顔を上げると、ぶつかった人と目が合った。日本人である。長髪を真ん中から分けた、中年の紳士だ。
 名前も知らないはじめて会う人なのだが、なぜか早弥香は、はじめて会うという気がしない。

 その男性が、彼女に話しかけてくる。

「お嬢さん、誰かお探しですか?」

 彼の優しそうな言葉と笑顔に、早弥香は一瞬、胸がキュンとなる。 

「あ、あの、先ほどバイオリンを演奏していた彼を」

 男性は笑顔を崩すことなく、早弥香に丁寧に教える。 

「たぶん、会場を出て右側の、ドアの開いた部屋にいると思いますよ」 
「ありがとうございます」

 礼を述べた早弥香は、足早にその部屋に向かって行くのだった。 
 その後ろ姿を優しい目で見送っている紳士に、グロスが背後から声をかける。 

「マサト、なにかあったのか?」 
「ああ、グロス」

 早弥香とぶつかった紳士は、正也の父親である正人だった。 

「さっき、かわいい女の子とぶつかってね」
「ほう、羨ましいな」
「その子はどうやら、正也の恋人らしい」 
「なに、本当か?」
「そうみたいだね」

 正人とグロスの二人は、正也と早弥香の関係を勘違いするのだが、勘違いしたまま話が大いに盛り上がる。 

 グロスは十年ぶりに正也と再会したのだが、久しぶりに会った正也の成長がうれしくてたまらないのだ。 

 今回のパーティにおいて、主催者側は正人とグロスを招待することを、はやい段階で決めていた。 
 スケジュールが厳しいのではないかと懸念された彼らだが、二人ともパーティに出席しても特に不都合はなく、招待を受け入れる。

 グロスは、正人から「息子は、ずっと音楽を続けているよ」と聞くと、ぜひとも正也といっしょに演奏してみたいと思うのだった。 それを正人に打ち明けてみる。

 ──やらせてみるか

 そう思った正人は、主催者側に息子の正也も招待してくれないかと頼み、話を聞いた主催者側は快く承諾したのである。
 このあと、正人は息子にパーティに出席するよう連絡するのだが、正也は父親からグロスと演奏すること以外は、くわしいことは聞かされていなかった。
 
 二人とも、どういうパーティーなのかといった細かいことは気にしない。そういう性格ゆえに、早弥香たちも同じパーティに招待されていることを知らないままに、出席することになったのである。


 いま、正人とグロスの間で正也の話が進んでいるなかで、早弥香は会場を出て通路を右にまがる。少し歩くと、正人がいったとおりドアの開いた部屋があり、早弥香はその入口まで足を進める。

 部屋のなかをのぞくと、正也がひとりで窓際から夜の街を見下ろしていた。 

 ドアの開いたその部屋は、学校の教室ほどの広さがある。数個の丸いテーブルと椅子があり、テーブルごとに灰皿が置かれている。
 招待客がパーティで気疲れしたときに、この部屋でちょっと休めるようにという主催者側の配慮らしい。

 部屋には正也以外に誰もいない。室内に足をふみ入れた早弥香は、そのまま窓の外を見ている正也のところまで近づき、彼に声をかける。 

「弓友くん」

 早弥香の声に、正也がふり向く。 

「ああ、君か」

 その顔は、なにか嬉しそうな様子だ。グロスとの共演が上出来に終わった正也は、この部屋でひとり悦に入っていたのだ。 

 正也にたずねたいことがたくさんある早弥香は、頭の中でその順番を瞬時にととのえる。
 それが終わると、彼女は正也に問いかけた。 

「弓友くんはバイオリンも弾くとは聞いていたけど、あんなに上手だとは思わなかったわ」
「父さんが弾いていたからね」
「いっしょに演奏した人は、すごく有名らしいけど、知り合いだったの?」
「ああ、グロスのおっちゃんは、十年ぐらい前に会ってるんだ」

 超一流のバイオリニストをつかまえて「おっちゃん」呼ばわりする正也である。 

 早弥香は、正也の知られざる部分をもっと知りたくて、訊きたいことがいっぱいある。それを頭の中でまとめたはずなのに、訊くべきことを上手く引き出せず、言葉にできない。 

 さほど会話が進まない二人は、窓の外に目を移す。 
 早弥香は横目で正也を見た。自分のそばにいる正也が、とても魅力的に映る。思いのほかタキシードが似合う正也に、なんとなく大人のムードが漂う。 

 そんな雰囲気に当てられた早弥香は、あるひとつの想いにとらわれてゆく。だが、その想いは口には出さない。 
 しかし、早弥香は窓越しに夜景を見ている正也に、自分の想いを目で訴える。 

 ──キスして……

 すると、いきなり正也がふり向いた。 

「え、なに?」

 正也の言葉に、飛び上がらんばかりに驚いた早弥香は、顔をひきつらせてうろたえる。早弥香は顔の前で両手を左右にふり、頭も同じく左右にふって、あわてたように言葉を返した。 

「な、なな、なんでもないっ」

 なにがどうしたのか、まったくわからない正也は、早弥香のあわてふためく様子に唖然としている。 

 心臓バクバク状態の早弥香は、ショックがおさまらない。

 ──ま、まさか、口に出た?

 激しく波打つ心臓の鼓動を聞きながら、全身が恥ずかしさ一色に染まってゆく早弥香である。 

 正也はふと腕時計に目を移すと、早弥香の方へ顔を向ける。 

「そろそろ会場にもどろうか」
「ええ、そうね……」

 まだ動揺がおさまらない早弥香だが、正也の後ろを歩きながら部屋の出入口に向かって行くと、少しづつ落ち着きをとりもどしてゆく。
 しかし、このドアの開いている部屋で自分はいったいなにを考えていたのだろうと、己をさいなむ早弥香であった。 

 二人はパーティの会場にもどり、賑やかな空間のなかにまぎれ込んで行く。 
 やがて、宴もたけなわとなったパーティも、最後は主催者のあいさつで締めくくられ、幕を閉じるのであった。 

 早弥香にとって、このパーティは素晴らしい思い出となるだろう。 
 だが早弥香は、正也と二人きりだったあのドアの開いた部屋で、なにか最大のチャンスを自ら逃してしまったような気がする。それはパーティが終わった後も、心の中でずっと引っかかっている。 


 翌朝、早弥香はできれば正也に会いたいと思った。しかし、その願いが叶うことはなく、母親や須藤とともに自分の住む街に帰りゆくのだった。 

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