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◇ 闇に沈む天才
来客たち
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正也にとっては、心の底から待ち遠しくなかった月曜日がやってくる。
すべての授業が終わって放課後を迎えた閃葉高校では、正也がひとり、三階の廊下の窓から外の校門付近を見ている。
そんな正也に、クラスメートの男子が声をかける。
「弓友、帰らないのか?」
「ああ、ちょっと用事があるんだ」
早弥香が来るのを待っているのである。
ほどなくして、二台のタクシーが校門をくぐり、校舎の敷地内に入ってきた。
「あれか?」
たぶん、そうだと思う正也だが、タクシーが二台も来たのが気になる。
車が校舎の近くに止まると、車内から他校の制服を着た女の子が降りてくる。緑色のブレザーの制服が、正也の目に鮮やかに映る。
あのマッシュの頭はやはり目立つようで、彼女が早弥香であることが、正也にはすぐにわかった。
そしてもう一人、ふくよかな体格をした中年の女性が車外に出てくる。栗色のひし形の髪形に、細いメガネが特徴的だ。
紺色のスーツをビシッと着こんだその姿は、自分にも他人にも、とても厳しい性格のように見える。
条万学園ピアノ科の教師、須藤である。
──来たか
正也がそう思ったときだった。突然、正也の横から女の子の声が響いた。
「あ、お姉ちゃんだ」
正也はビクッとして、声のする方をふり向いた。知らない間に、自分のとなりに世梨香がいる。
「なんでおまえが、こんな所にいるんだよ」
正也の問いかけを、世梨香は無視する。窓の外からタクシーを見ていた世梨香が「ん?」と、つぶやいた。
正也がつられたように、タクシーの方に目を向ける。
早弥香たちが乗っていた車とは別の車から、人が降りてくる。
その車から姿を見せたのは、白髪をオールバックにしてメガネをかけた、細身の紳士だ。グレーのスーツが恰好よく決まっている彼は、条万学園の久川教頭である。
彼に続いて、早弥香と同じ制服を着ている三人の女の子たちが、ぞろぞろと出てくる。
──おい……
正也は「ちょっと待て」と、いいたくなった。早弥香と、彼女の付き添いであろう女性教師が来るのはわかる。
だが、もう一人の教師と思われる紳士と、他に三人もの女子生徒が同伴することは、まったくきいていないのだ。
──ご大層なことだ
正也は彼らから目を離し、職員室に足を向ける。あまりのんびりしていると、校内放送で名前を呼ばれかねない。
そうなるまえに、さっさと職員室へ行こうとする正也のあとを、なぜか世梨香がついてくる。
「なんでついてくる?」
正也の問いに、世梨香が答える。
「お姉ちゃんに会いに」
正也は、世梨香のことは気にしないようにしようと思い、職員室に向かって歩いて行くのだった。
職員室に到着した正也は、ドアを開ける。正也の目の前に山坂教頭がいて、そのとなりにどういうわけか萌美がいる。
──なぜ、仲田が?
そう思った正也は、萌美に声をかけた。
「仲田、まさかおまえも」
山坂教頭が、萌美に代わって説明する。
「ああ、仲田さんはね」
条万学園ピアノ科の生徒と教師が来るということで、わが校もピアノを弾ける生徒を同行させようと考えたようだ。
それなら、コンクールで準優勝した萌美がもっとも適任だということで、急遽呼び出されたのだ。いわば、親善大使のようなものである。
なにか、事がどんどん大きくなっていく気がする正也である。
正也が職員室で呆然としていると、音楽教師の五十嵐が、条万学園の一行を連れてくる。
山坂教頭の指示により、みんなは職員室のとなりにある教頭室に入ると、そこでおのおの自己紹介を交わすことになった。
条万学園の女子生徒は、早弥香以外は下級生である。
二年生が二人に、一年生が一人。才能ある有望な生徒を、須藤が連れてきたのだ。
正也が心の中で、ため息をついた。
──ご苦労なことだねえ
そう思う正也を、条万学園のみんなは唖然とした目で見ているのだった。
──ぬ、ぬぼーっとしてる!
条万学園の女子生徒たちは、一様に驚いている。
彼女たちが正也に会うまえに抱いていたイメージと、実際に彼女たちが目にする正也は、あまりにもかけ離れているのだ。
なにせ、あの厳しい須藤が、学園の授業を犠牲にしてまで自分たちを連れてくるほどである。
早弥香は、正也のことをかなりの実力者だと予想していた。しかし、現実の正也を見た彼女は頭の中が真っ白になり、すべての思考が抜け落ちる。
教師の須藤は、驚いたどころではない。彼女は、いままでに感じたことのない大きな不安が顔に出るのを、隠すことができない。
須藤は、正也と電話で話したときに思った。彼は、大人の事情をも知り尽くしているような、そんな鋭い知性を有していると。
しかし、いま須藤の前に立つ正也からは、そういうものがまるっきり感じられない。
全体的に締まりがなく、頭も良くなさそうで、授業中は先生の話をまったくきいてなさそうな印象をうける。
ピアノとは全然かかわりがないといいきれるぐらいに、須藤の目に映る正也は、なかなかピアノと結びつかない。
条万学園の宝といえる教え子の早弥香は、まだ名前さえ知らなかった正也の幻影に、どれほど苦しめられたことか。
未だ復活の兆しが見えない彼女は、もはや再起することが非常に困難な状態に陥っている。
早弥香を奈落の底に叩き落とした幻影の正体が、いま、確かにここに存在しているのだが……。
──ほ、本当に、この子なのか?
須藤には信じられない。
──大丈夫だろうか?
あまりのショックに、めまいがしそうになる。
だが、正也の横に立つ萌美の存在が、須藤の抱く不安をそれ以上ふくらませることなく、やわらげているのだった。
世梨香が自己紹介したときだった。すかさず、正也の言葉があとを追う。
「部外者は、もう家に……」
いい終わらないうちに、世梨香は早弥香に抱きついて、部外者ではないことを見せつける。
「わたしのお姉ちゃんだもん」
萌美が、まさかと思いながら世梨香にたずねた。
「皆崎さんて、もしかして本当に」
「姉妹よ」
彼女たち二人が、声をそろえて答えた。
──に、似てない!
誰もがそう思うと同時に、びっくりする。
みんなの驚く様子は、この姉妹には見慣れているようだ。そんななかで正也だけが、この姉妹を冷めた目で見ているのだった。
全員の自己紹介が終わると、山坂教頭がひと声かける。
「では、参りますか。五十嵐先生、音楽室までの案内をお願いします」
五十嵐は「はい」と返事をしたあと、緊張した面持ちで教頭室のドアを開ける。
彼女はみんなの先頭に立って、音楽室に向かって歩を進める。
最後尾を歩くのは、山坂と久川の二人の教頭であり、正也がその前を歩いている。
すると、世梨香が正也の横にきて話しかけてきた。
「先輩、わたしたち姉妹、全然似てないでしょ」
正也は真面目な声で答えた。
「いや、そっくりだ」
正也の言葉に、世梨香は唖然となる。世梨香は目を見開き、はしゃぐように声をあげた。
「本当ですか、先輩っ。わたしたち、似てるっていわれたこと、めったにないんですよ!」
「いや、本当にそっくりだ」
どこがそっくりなのか、心で想っていることまでは、口には出さない正也だった。
──執念深いところが、な……
ふと、正也は妙な気配を背中に感じた。すかさず足を止めてふり向くと、教頭先生たちの後ろに、いつの間にかルミがいる。
「ルミ、なにしてんだよ。おまえは帰れっ」
「やだっ。ルミも行くう!」
ルミがダダをこねる。条万学園のみんなは、正也の妹であるルミの出現に、呆然となった。
──彼には、妹がいたのか?
すごく小柄で、ツインテールのかわいい女の子だ。見た目に、正也とつりあわない。
世梨香はルミの存在を知っているが、姉の早弥香には関係ないだろうと思い、早弥香には教えていない。
山坂教頭が正也とルミの間に入り、二人をなだめる。
「まあまあ、無理に帰さなくても良いでしょう」
そして、ルミに告げるのだった。
「君も来なさい」
ルミは「はいっ」と笑顔で返事をして、一行の列に加わるのだった。
ルミが加わり、総勢十二人が音楽室へ向かう。
正也は心の中でため息をついた。
──なんで、こんな大人数になるんだよ
五十嵐が案内人として先頭を歩き、その後ろを早弥香と世梨香の姉妹が、二人ならんで歩く。
歩く姿がまったく同じである。二人とも、背筋がシャキッとのびている。
右手を後ろにふるとき、外側に払うようにして歩く。
また、腰のふり方がいっしょなのは、彼女たちの足の運びが同じだからだろう。
──本当に、姉妹なんだ
二人の歩く姿を見たときに、この二人は本当の姉妹なのだと、みんなははじめて理解するのである。
世梨香がもう一度、正也のとなりにやってくる。
そして、正也に問いかけた。
「先輩、いまどんな気分ですか?」
「家に帰りたい」
正也の返答を耳にした女子生徒たちは、ぷっと吹き出す。
世梨香が声をあげて笑った。
「あははは! 先輩、いまの冗談、とってもおもしろいですっ」
正也は無言で訴える。
──いや、冗談じゃないんだが
正也が本心を口に出したとは、誰も思っていなかった。
やがて、一行は音楽室の前にたどり着く。
すべての授業が終わって放課後を迎えた閃葉高校では、正也がひとり、三階の廊下の窓から外の校門付近を見ている。
そんな正也に、クラスメートの男子が声をかける。
「弓友、帰らないのか?」
「ああ、ちょっと用事があるんだ」
早弥香が来るのを待っているのである。
ほどなくして、二台のタクシーが校門をくぐり、校舎の敷地内に入ってきた。
「あれか?」
たぶん、そうだと思う正也だが、タクシーが二台も来たのが気になる。
車が校舎の近くに止まると、車内から他校の制服を着た女の子が降りてくる。緑色のブレザーの制服が、正也の目に鮮やかに映る。
あのマッシュの頭はやはり目立つようで、彼女が早弥香であることが、正也にはすぐにわかった。
そしてもう一人、ふくよかな体格をした中年の女性が車外に出てくる。栗色のひし形の髪形に、細いメガネが特徴的だ。
紺色のスーツをビシッと着こんだその姿は、自分にも他人にも、とても厳しい性格のように見える。
条万学園ピアノ科の教師、須藤である。
──来たか
正也がそう思ったときだった。突然、正也の横から女の子の声が響いた。
「あ、お姉ちゃんだ」
正也はビクッとして、声のする方をふり向いた。知らない間に、自分のとなりに世梨香がいる。
「なんでおまえが、こんな所にいるんだよ」
正也の問いかけを、世梨香は無視する。窓の外からタクシーを見ていた世梨香が「ん?」と、つぶやいた。
正也がつられたように、タクシーの方に目を向ける。
早弥香たちが乗っていた車とは別の車から、人が降りてくる。
その車から姿を見せたのは、白髪をオールバックにしてメガネをかけた、細身の紳士だ。グレーのスーツが恰好よく決まっている彼は、条万学園の久川教頭である。
彼に続いて、早弥香と同じ制服を着ている三人の女の子たちが、ぞろぞろと出てくる。
──おい……
正也は「ちょっと待て」と、いいたくなった。早弥香と、彼女の付き添いであろう女性教師が来るのはわかる。
だが、もう一人の教師と思われる紳士と、他に三人もの女子生徒が同伴することは、まったくきいていないのだ。
──ご大層なことだ
正也は彼らから目を離し、職員室に足を向ける。あまりのんびりしていると、校内放送で名前を呼ばれかねない。
そうなるまえに、さっさと職員室へ行こうとする正也のあとを、なぜか世梨香がついてくる。
「なんでついてくる?」
正也の問いに、世梨香が答える。
「お姉ちゃんに会いに」
正也は、世梨香のことは気にしないようにしようと思い、職員室に向かって歩いて行くのだった。
職員室に到着した正也は、ドアを開ける。正也の目の前に山坂教頭がいて、そのとなりにどういうわけか萌美がいる。
──なぜ、仲田が?
そう思った正也は、萌美に声をかけた。
「仲田、まさかおまえも」
山坂教頭が、萌美に代わって説明する。
「ああ、仲田さんはね」
条万学園ピアノ科の生徒と教師が来るということで、わが校もピアノを弾ける生徒を同行させようと考えたようだ。
それなら、コンクールで準優勝した萌美がもっとも適任だということで、急遽呼び出されたのだ。いわば、親善大使のようなものである。
なにか、事がどんどん大きくなっていく気がする正也である。
正也が職員室で呆然としていると、音楽教師の五十嵐が、条万学園の一行を連れてくる。
山坂教頭の指示により、みんなは職員室のとなりにある教頭室に入ると、そこでおのおの自己紹介を交わすことになった。
条万学園の女子生徒は、早弥香以外は下級生である。
二年生が二人に、一年生が一人。才能ある有望な生徒を、須藤が連れてきたのだ。
正也が心の中で、ため息をついた。
──ご苦労なことだねえ
そう思う正也を、条万学園のみんなは唖然とした目で見ているのだった。
──ぬ、ぬぼーっとしてる!
条万学園の女子生徒たちは、一様に驚いている。
彼女たちが正也に会うまえに抱いていたイメージと、実際に彼女たちが目にする正也は、あまりにもかけ離れているのだ。
なにせ、あの厳しい須藤が、学園の授業を犠牲にしてまで自分たちを連れてくるほどである。
早弥香は、正也のことをかなりの実力者だと予想していた。しかし、現実の正也を見た彼女は頭の中が真っ白になり、すべての思考が抜け落ちる。
教師の須藤は、驚いたどころではない。彼女は、いままでに感じたことのない大きな不安が顔に出るのを、隠すことができない。
須藤は、正也と電話で話したときに思った。彼は、大人の事情をも知り尽くしているような、そんな鋭い知性を有していると。
しかし、いま須藤の前に立つ正也からは、そういうものがまるっきり感じられない。
全体的に締まりがなく、頭も良くなさそうで、授業中は先生の話をまったくきいてなさそうな印象をうける。
ピアノとは全然かかわりがないといいきれるぐらいに、須藤の目に映る正也は、なかなかピアノと結びつかない。
条万学園の宝といえる教え子の早弥香は、まだ名前さえ知らなかった正也の幻影に、どれほど苦しめられたことか。
未だ復活の兆しが見えない彼女は、もはや再起することが非常に困難な状態に陥っている。
早弥香を奈落の底に叩き落とした幻影の正体が、いま、確かにここに存在しているのだが……。
──ほ、本当に、この子なのか?
須藤には信じられない。
──大丈夫だろうか?
あまりのショックに、めまいがしそうになる。
だが、正也の横に立つ萌美の存在が、須藤の抱く不安をそれ以上ふくらませることなく、やわらげているのだった。
世梨香が自己紹介したときだった。すかさず、正也の言葉があとを追う。
「部外者は、もう家に……」
いい終わらないうちに、世梨香は早弥香に抱きついて、部外者ではないことを見せつける。
「わたしのお姉ちゃんだもん」
萌美が、まさかと思いながら世梨香にたずねた。
「皆崎さんて、もしかして本当に」
「姉妹よ」
彼女たち二人が、声をそろえて答えた。
──に、似てない!
誰もがそう思うと同時に、びっくりする。
みんなの驚く様子は、この姉妹には見慣れているようだ。そんななかで正也だけが、この姉妹を冷めた目で見ているのだった。
全員の自己紹介が終わると、山坂教頭がひと声かける。
「では、参りますか。五十嵐先生、音楽室までの案内をお願いします」
五十嵐は「はい」と返事をしたあと、緊張した面持ちで教頭室のドアを開ける。
彼女はみんなの先頭に立って、音楽室に向かって歩を進める。
最後尾を歩くのは、山坂と久川の二人の教頭であり、正也がその前を歩いている。
すると、世梨香が正也の横にきて話しかけてきた。
「先輩、わたしたち姉妹、全然似てないでしょ」
正也は真面目な声で答えた。
「いや、そっくりだ」
正也の言葉に、世梨香は唖然となる。世梨香は目を見開き、はしゃぐように声をあげた。
「本当ですか、先輩っ。わたしたち、似てるっていわれたこと、めったにないんですよ!」
「いや、本当にそっくりだ」
どこがそっくりなのか、心で想っていることまでは、口には出さない正也だった。
──執念深いところが、な……
ふと、正也は妙な気配を背中に感じた。すかさず足を止めてふり向くと、教頭先生たちの後ろに、いつの間にかルミがいる。
「ルミ、なにしてんだよ。おまえは帰れっ」
「やだっ。ルミも行くう!」
ルミがダダをこねる。条万学園のみんなは、正也の妹であるルミの出現に、呆然となった。
──彼には、妹がいたのか?
すごく小柄で、ツインテールのかわいい女の子だ。見た目に、正也とつりあわない。
世梨香はルミの存在を知っているが、姉の早弥香には関係ないだろうと思い、早弥香には教えていない。
山坂教頭が正也とルミの間に入り、二人をなだめる。
「まあまあ、無理に帰さなくても良いでしょう」
そして、ルミに告げるのだった。
「君も来なさい」
ルミは「はいっ」と笑顔で返事をして、一行の列に加わるのだった。
ルミが加わり、総勢十二人が音楽室へ向かう。
正也は心の中でため息をついた。
──なんで、こんな大人数になるんだよ
五十嵐が案内人として先頭を歩き、その後ろを早弥香と世梨香の姉妹が、二人ならんで歩く。
歩く姿がまったく同じである。二人とも、背筋がシャキッとのびている。
右手を後ろにふるとき、外側に払うようにして歩く。
また、腰のふり方がいっしょなのは、彼女たちの足の運びが同じだからだろう。
──本当に、姉妹なんだ
二人の歩く姿を見たときに、この二人は本当の姉妹なのだと、みんなははじめて理解するのである。
世梨香がもう一度、正也のとなりにやってくる。
そして、正也に問いかけた。
「先輩、いまどんな気分ですか?」
「家に帰りたい」
正也の返答を耳にした女子生徒たちは、ぷっと吹き出す。
世梨香が声をあげて笑った。
「あははは! 先輩、いまの冗談、とってもおもしろいですっ」
正也は無言で訴える。
──いや、冗談じゃないんだが
正也が本心を口に出したとは、誰も思っていなかった。
やがて、一行は音楽室の前にたどり着く。
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