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1巻

1-2

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 子供でも踏みつければ倒せるほど貧弱なスライムを相手に、いくら多かったとしてもここまで手こずるだろうか?
 エリックと同じように聞き耳を立てていた数人の冒険者が、鼻で笑いながらその場を後にした。
 同じく粘液まみれになったもう一人の冒険者が、涙ながらに訴える。

「うぇ……ホントに。ぐすっ。あいつら、いつもの五倍……いえ十倍くらいはいたんです。見渡す限りスライムが……ねばねばが……あああああ……」
「わ、分かりました分かりました! 頭を振らないで!」

 受付嬢は粘液を飛ばす冒険者から身体を離しつつ、必死でなだめた。
 ――魔物の大量増殖。
 その日、討伐依頼に出かけた冒険者たちは全員同じ目に遭った、とのことだった。
 ゴブリンを狩りに行った冒険者パーティも、大量のゴブリンを前に為すすべなく武器や防具を根こそぎ奪われていた。
 魔物の数は時期や気候によって多少増減する。しかし、増えると言っても誤差の範囲に収まるものだ。すべての魔物が一斉に数を増やすなんて、これまで起きたことがない。

「なんだか気味が悪いわね。天変地異の前触れかしら?」

 宿に戻ったピアが、不安そうな顔で自らを抱きしめる。

「たまにはこういうことだってあるんじゃねえの?」

 深く考えず、エリックは部屋の明かりを消した。


 ――この日を境に、これまで当たり前だった日常は終わりを告げた。


   ▼


 聖女という職業は基本的に暇である。
 朝と夜の祈りの他には月に数回、教会が行う式典に参加する程度。あとは指定された相手を聖女の力のひとつである『癒しのうた』で治療するくらいだ。
 それ以外は教会を出なければ、何をしていても文句は言われない。
 先代が存命だった頃は毎日のように街へ繰り出し、医者がさじを投げた病人を治療して回っていたが……ルイーゼの代になった途端、ぱったりとなくなった。
 もともと教会は癒しのうたを多用することに反対していたらしい。
 祈りの負荷は確かに大きいが、うたはそれに比べれば遙かにましだ。
 病気で苦しむ人を助ける仕事くらいはやりたいとルイーゼ自身は常々思っているが、他ならぬ教主の決定だ。無下にすることはできない。
 ――そんな訳で、とにかく聖女は暇である。
 もちろん祈りを捧げるという大事な仕事があるにはあるが、それも一度につき十分。朝と夜に祈るので合わせて二十分だ。
 今はそれすらもしなくなったのだから、それはそれは暇を持て余してしまう。
 普段のルイーゼがしていることは、三つに集約される。
 その一、掃除。これは彼女が綺麗好きという訳ではなく、雑巾ぞうきんを使って暇を潰しているだけだ。
 その二、読書。小難しい哲学書などではなく、市井しせいの人間が読む恋物語などを好んで読んでいる。
 その三、瞑想めいそう。これも言ってしまえば暇つぶしだ。
 雑巾ぞうきんも書物もないとなれば、することはもう決まっていた。

瞑想めいそうしよ……」

 瞑想めいそうは精神を律し、心の疲れを和らげる効果があると言われている。
 姿勢は自然体であればなんでもいい。ベッドの上で寝そべるもよし、肩の力を抜いて立つもよし。ルイーゼの場合、部屋の角で膝を抱えて座るのがお気に入りの瞑想めいそうポーズだ。
 あえて角を選ぶ理由は――壁だ。壁がすぐ横にあるほうがなんだか落ち着く。
 そして部屋の角はなんと二ヶ所も壁に接している。つまり安心感が二倍という、ルイーゼにとっては最強の瞑想めいそう場所だ。
 部屋の角に座り、膝の上に頭を乗せて静かに目を閉じる。
 息を吸って、吐く。吸って、吐く。

「すぅ……」

 規則正しく呼吸を繰り返していると、周辺の音が少しずつ消えていく。いや、気にならなくなる。
 これが集中できている状態だ。そして今度は、意識を自分の内面に潜り込ませ……

「入るぞ」
「え?」

 部屋の扉が、いきなり跳ねるように開けられた。
 無遠慮に入ってきたのは、腰に剣を携えた男と、バスケットを持った中年の女性だった。
 女性が部屋の角で膝を抱えるルイーゼを見つけて眉を上げる。

「そんなところで何をやっているんだい」
「……瞑想めいそうです」
「メソメソといじけてるんじゃなくて?」
「違います。瞑想めいそうです」
「分かった分かった。そういうことにしておいてやるよ」
「……というかどなたでしょうか、あなたたちは」

 説明しても一向に信じてくれないので、ルイーゼは説得を諦めた。
 ノックすらなく入り込んできて居座る二人。もちろん初対面だ。
 半眼でルイーゼが尋ねると、二人はようやく名乗った。

「俺はアーヴィング。一週間、お前の世話係に任命された。欲しいものがあれば俺に言え」
「アタシはミランダ。一週間、食事係をさせてもらうよ。食べたいものがあれば言って頂戴」
「……どうも」

 二人とも、敵愾心てきがいしんを隠そうともしない。
 特にアーヴィングだ。鋭く睨み付けるような目線に、思わずルイーゼは萎縮いしゅくしてしまう。
 あえて言うまでもないが、彼らを遣わしたのはニックだ。当然のように聖女反対派だろう。

「まずは朝食を用意したよ」

 中年の女性――ミランダが、持っていたバスケットの上から布を取ると、先ほどから漂っていた胃を刺激する匂いがより強くなった。
 焼きたての香ばしそうなパン、小さめのウッドボウルに野菜が詰め込まれたサラダ、まだ湯気が立っているゆで卵――どれもおいしそうだ。
 それをそのまま、でん、とテーブルに置き、腕を組みながらルイーゼを睥睨へいげいする。

「さ、お食べ」

 ルイーゼは即座に首を横に振った。

「いりません」
「……はっ。さすがは聖女様だ。こんな庶民のメシは食えないってのかい!」
「わっ」

 ミランダの、女性にしては発達しすぎている筋肉が躍動し、ルイーゼの胸ぐらを掴む。小さな身体が宙に浮いた。
 ただ、ルイーゼを傷付けてはならないという制約でもあるのか、荒々しく胸ぐらを掴まれた割に全く痛みや苦しさを感じなかった。

「落ち着いてください。誤解です」
「何が誤解なんだい。アンタ今、こんな粗末なモノは食べられませんって言っただろう!」
(言ってない言ってない)

 ルイーゼは胸中で頭を振った。敵愾心てきがいしんとは恐ろしいもので、何をどう繕っても気に入らない人間の言葉は否定的に処理されてしまう。
 先に理由を説明しておくべきだったか、とルイーゼは反省した。

「あの、私、朝は食べないんです」
「普段高級なものばかり食べてるからコレが食事に見えな……………………え?」
「ですから。朝、食べないんです」
「……」
「……」

 しばし、見つめ合ったあと。
 ミランダは無言のままゆっくりとルイーゼを下ろし、掴んだ際に乱れたえりを直した。バツが悪そうにそっぽを向きつつ、頬をく。

「……そいつは、悪かったね。アタシの早とちりだったよ」
「いえ。私が人と違う時間帯に食べるんで、仕方ないですよ」
「だったら食べる時間を聞いておこうか。次はそれに合わせて作らせてもらうよ」

 少し乱暴だが、ミランダはしっかりと勘違いを認め、謝った。
 その姿勢で彼女本来の人柄がなんとなく見える。敵意で隠れているが、決して悪い人物ではないとルイーゼは確信する。会話を重ねれば、聖女に対する偏見もなくなり仲良くなれるはずだ。

「私の食事の時間は十時と十六時の二回です」
「十六時以降は食べないのかい?」
「はい」

 ルイーゼの変則的な食事時間は、祈りが大きく関係している。
 胃を空にしておかないと、負荷によって吐いてしまうためだ。それを説明すると、静かに成り行きを見守っていたアーヴィングが口を開いた。

「祈っていないのなら、今食べても問題はないはずだが?」
「いえ。ここで生活を乱しすぎると、復帰した時に大変なので」
「……復帰できると思っているのか」

 アーヴィングは目を細め、ルイーゼをめつけた。
 聖女否定派の二人に、祈らないことで聖女の必要性を説くと言っても『おかしなことを企んでいる』と勘繰られるだけだ。ルイーゼは曖昧あいまいに微笑んで誤魔化した。
 ミランダは大きな肩をすくめながら、バスケットに再び布を被せる。

「――なんにせよ、分かったよ。十時にもう一度作り直そう」
「いえ、これでいいですよ?」

 パンは焼きたて、卵は茹でたて、野菜はもぎたて。数時間経ってもそこまで味は落ちないはずだ。しかし、ミランダは頑なに首を横に振る。

「冷めた食事を出すなんて、アタシの矜持きょうじが許さないよ」
「せっかく作ってくださったのに勿体ないですよ」
「だったらこうしよう。こいつはアタシの朝メシにして、アンタ用に新しいものを作る。これなら文句ないだろ」
「分かりました」

 食材を捨てるならさすがに譲れないものがあったが、ちゃんと食べるというなら構わない。
 厨房に戻ると言い、ミランダは部屋を後にした。
 それを見送ると、部屋の中はルイーゼとアーヴィングの二人きりになった。彼はずっと、難しい顔をしながらルイーゼを監視している。

「……聞いていた聖女と随分話が違うな」

 アーヴィングは独り言のように漏らし、窓際に腰を下ろした。

(それって私が聖女っぽくないってこと? これでも七年間、聖女をやってるんだけど⁉)

 言い返したい気持ちをぐっと堪え――顔が怖くて何も言い返せない――、ルイーゼは定位置である部屋の角に座り込んだ。

「また瞑想めいそうか?」
「いえ、今はいじけてます」
「……違いが分からん」


 アーヴィングとの気まずい沈黙を乗り越え、ようやく食事の時間がやってきた。
 この間、無言を貫いた訳ではない。
 ミランダのように話せば分かってくれる人かもしれないという希望を持って、ルイーゼにしては珍しく積極的に話しかけた。
 しかし彼からの反応はかんばしくなく、大半が「あぁ」とか「そうか」だけで会話が終わり、余計に気まずくなるということを繰り返していた。
 ミランダが戻ってきたことで、ようやくルイーゼは肩の力を抜いた。

「ほら、今度こそおあがり」
「ありがとうございます」

 さっきと全く同じパンとサラダとゆで卵――全部しっかりと作り直してある――を出され、お腹がきゅうと鳴き声をあげる。

「ごちそうですね」
「はんっ。聖女様の口に合えばいいんだけどね」

 鼻を鳴らしながら、彼女は腕を組む。
 ほんの少し会話した程度で打ち解けられるはずもなく、未だに刺々しさを感じる。
 この騒動が終わる頃には普通に話せるようになっているだろうか。

(いや、なれるように頑張ろう)

 そんな気持ちを胸に抱きつつ、ルイーゼは両手を合わせて食事前の祈りを捧げた――――――――

「アンタねぇ……祈る時間が長すぎるよ」
「そうですか? 神様と、食材と、農家の人と、作ってくれた人に祈っていたらこれくらいはかかりますよ」
「……毎回そんなに祈っていたら時間がなくなるだろう?」
「朝はいつもバナナしか食べないんで、もっと早いですよ」

 一本のバナナなら祈る時間は最小で済む。
 かつては普通に食事を取っていたが、食べている最中に呼び出されることが度々あったので、そこからは手軽に食べられるものに切り替えたという経緯がある。
 朝はバナナ。それがルイーゼなりの時短術だ。

「それしか食べてないのかい?」
「はい」
「二回目の食事は? いつも何を食べてる?」
「具なしのリゾットか、塩茹でのスパゲティですけど」
「……ちょっと腕見せな」

 ミランダはルイーゼの手を取り、袖をまくり上げた。

「どうかしましたか?」
「……アンタ、肌が荒れやすいんじゃないかい?」

 唐突にそんなことを聞かれ、ルイーゼは目を見開いた。
 全くその通りだからだ。直射日光の下を歩いたらすぐ赤くなり、何もしていないのに発疹ほっしんが出る。

「立ちくらみや冷えもあるね?」
「どうして分かるんですか?」

 ミランダはまぶたの裏や舌を見ながら、ルイーゼの身体の不調を次々に言い当てた。
 特別な魔法を使うような素振りはなく、ミランダはただ見ているだけだ。なのに、なぜこうも正確に言い当てられるのだろう――ルイーゼは不思議そうに首を傾げた。

「なんでこんなことになっているんだい」

 ルイーゼの身体に触れるたび、ミランダの顔がどんどん険しくなっていく。

「アンタ……本当に聖女かい?」
「えっ」

 アーヴィングに続いて、ミランダにまで聖女を疑われてしまった。

(私ってそんなに聖女らしくないの? 結構、頑張ってるんだけど……)

 内心ショックを受けるルイーゼなど露知らず、ミランダは神妙な顔で腕を組んだ。

「……まあいい。アンタが何者だろうと、こんな状態になっている子を見逃す訳にはいかないね」
「こんな状態……って?」
「なんでもないよ。ほら、冷めちまう前にさっさと食べな」

 詳しい理由は説明されず、促されるままに食事を頬張った。
 匂いから分かっていたことだが――出された食事はどれもおいしかった。


「あの」

 食事が終わり、再びアーヴィングと二人きりになった。
 同性ということもあり、ミランダとは打ち解けられる予感がするが……アーヴィングにはどうにもそういう気配がない。
 それでも、あと六日間このままというのは拷問に等しい。少しでも打ち解けられるようにと話しかけてみる。粘り強く言葉を交わせば、少しくらいは刺々しい雰囲気が薄れるはずだ。

「欲しいものを用意してくれるって言いましたよね?」
「ああ」
「でしたら、雑巾ぞうきんを頂けないでしょうか」
「……なんだって?」

 むすっとしたアーヴィングの表情に困惑が混ざり込んだ。
 何か変なことを言ってしまっただろうかとルイーゼは自分の言動を振り返るが、別段おかしなところは発見できなかった。

「ほら。丈夫な布を重ねたもので、水に濡らして――」
雑巾ぞうきんが何かと聞いたんじゃない。どうしてそれが必要なのかと聞いたんだ」
「その……掃除がしたくて。テーブルとか拭いてたら、いい暇つぶしになると思いません?」
「……」

 アーヴィングの目が鋭さを増す。それに比例して、部屋の空気までもが重くなったようにルイーゼは錯覚した。

「……分かった。すぐに用意しよう」

 ルイーゼを監視する姿勢を解除して、アーヴィングが立ち上がる。
 短いが会話ができたことに内心で小さな喜びを噛みしめていると、彼のほうから声がかかった。

「それから」
「は、はいっ」

 アーヴィングは部屋の扉を開けながら、肩越しにルイーゼを睨んだ。

「俺に敬語は不要だ」
「……え」

 彼も仲良くなろうという意思があるのか……? 朗報であるが、敬語を取れというのは今のルイーゼには難易度が高すぎる。

「いやいや、目上の方に砕けた言葉遣いなんて――」
「十九」
「え?」
「俺は十九だ。そんなに変わらんだろ」

 それだけを言い残し、アーヴィングは扉を閉めた。
 ルイーゼは魂が抜けたように、ぽつりと呟く。

「嘘……年下?」


 アーヴィングが年下という事実は、ルイーゼに多大なショックを与えていた。
 性別の差はあれど、あれほど背が高くて大人びた容姿をしている人物が一つ下だとは、にわかには信じがたい。

「ほら。雑巾ぞうきんだ」
「ありがとうございます」

 三十分もしないうちに戻ってきたアーヴィングから雑巾ぞうきん(と、バケツに入った水)をもらい、テーブル拭きを開始する。持て余した暇を処理するために自分から頼んだのに、彼が気になってしきりに目を向けてしまう。

「何か用か」
「あの、本当に十九ですか? てっきり二十五くらいかと」

 それが失礼なことだと気付いたのは、言った後だ。アーヴィングはあからさまに眉間に皺を寄せた。

「……悪かったな、老け顔で」
「い、いえいえ! そういう意味じゃなくて……羨ましいなと思って」
「何?」

 ルイーゼは雑巾ぞうきんを持ったまま、ちょうど目の前にあった鏡の前に立った。
 平均以下の身長と、実年齢を言い当てられたことのない童顔。
 大人の女性に憧れていろいろ試行錯誤しているが、あらゆる部分の成長は五年ほど前からピタリと止まっている。鏡の自分を指さしながら、ルイーゼはしょんぼりと肩を落とした。

「見てくださいよ、この子供っぽい顔。未だに十五とか言われるんですよ?」
「下に見られる方がいいだろ。上に見られたっていいことないぞ」
「上に見られる方がいいです。下に見られてもいいことないですよ」
「下に見られる方が男にモテるだろ」
「上に見られる方が女性から声かけてもらえますよね?」

 年上に見られすぎる男と、年下に見られすぎる女。ここまで何もかも逆だと、話がとことんかみ合わない。これも嫌がらせの一環かと思うと、余計ニックへの恨みが募った。
 ――結局、『上か下か』論争は平行線のまま、二度目の食事を迎えた。


   ▼


「ほら、おあがり。あと、お祈りは手短にしときな」

 夕食――と呼ぶには早すぎる時間だが――のメニューは大きな鶏肉を焼いたものと、色とりどりの野菜がたっぷり入ったスープ。さらにはデザートに果物まである。

「あの」
「なんだい。好き嫌いがあるなんて言ったら承知しないよ」
「じゃなくて。こんなに頂いてもいいんですか?」

 普段の食事を思えば、あまりに豪華すぎる。
 誕生日でもないのにこんなものを用意してもらえるなんて……と、ルイーゼは思わず及び腰になった。

「頂いてもいいじゃない。頂かないといけないんだよ。今、アンタに必要なものを詰め込んである。全部残さず食べな」
「……はぁ。じゃあ、いただきます」

 両手を合わせ、スプーンを手に持った。
 申し訳ない気持ちを抑えつつ、言われた通り最小限の相手に感謝を捧げ、すぐに食べ始める。

「んっ……」

 スープをひとさじすくい、息を吹きかけて冷ましてから口を付ける。
 一見すると透明のスープは香辛料などで下味が付けられていて、とても味わい深い。飲んだものが今どこを通っているか分かるほど熱を帯びていて、冷えた身体が一気に温かくなる。

「おいしい……おいしいです!」
「当たり前だよ。誰が作ったと思ってるんだい」

 ミランダは腕を組み、得意げに鼻を鳴らした。
 鶏肉の上にはドロドロしたソースが掛けられていて、これが驚くほど合う。旨味を増し、臭みを消し、さらに鶏肉によくあるパサパサ感を上手に中和し、するりと胃の中に入っていく。
 夢中で食べていると、あっという間に目の前のお皿は空になっていた。

「ご馳走様でした」
「はいよ。いい食べっぷりだったよ」

 乱暴に頭をくしゃくしゃとされる。
 ――こんな風に誰かと触れ合うのはいつぶりだろうか。
 教会の神官たちが聖女に近付くことはあまりない。
 雲上人――というより、腫れ物のような扱いだ。唯一の例外は教主だが、彼はとても多忙でルイーゼと会う機会は月に数回程度しかない。

「風呂は十八時でいいんだね?」

 贅沢なことに、この牢屋ろうやは地下に風呂まで備え付けられている。
 窓の鉄格子にさえ目をつむれば、ろうというより別荘と呼称したほうが正しいかもしれない。
 手早く皿を片付けたミランダは「時間になったら呼ぶよ」とだけ言い残し、部屋を出た。


 雑巾ぞうきんで部屋を掃除している間に、風呂の時間になった。
 浴室への入り口は外にあるため、一度部屋を出なければならない。
 入浴中に逃げ出さないよう入り口を分けているらしいが……こっちのほうが逃げられる危険性があるのでは、と思わずにはいられない。
 もっとも、四方を囲うように配置されている見張りの騎士を退けることができれば、の話だが。
 階段を下りた先には大きな岩をくり抜いた湯船が、地面に埋まるような形で置いてある。
 お湯がどこからともなく流れてくる天然の温泉だ。

「服はこの中に入れておきな。新しいものは私が用意してやるよ」
「ありがとうございます」


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