天ノ恋慕(改稿版)

ねこかもめ

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第6章:墜下

本物の君と

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◇◇◇

 ──真っ白な神殿、巫女の間

 セレーネはだらしなく玉座に片膝を立てて座り、己の過去を回想した。

 目的はジュアンを思い出して愉悦に浸る事ではない。もう間もなく遣いの者が持ち帰るであろう石を用いて力を取り戻す方法と、その際に生じる苦痛を詳細に思い出しているのだ。

「……やるしか、ないよね」

 息が詰まり、喉の内側が切れる。月長石を飲むことによってそんな苦しみが生じるであろう事は、容易に想像できたはずだ。

 しかし、当時のセレーネにはその余裕さえ無かった。愛おしき少年の消えゆく命を取り戻さんと、必死だったのだ。

「お、帰ってきた」

 入口付近の置物が光を放つ。それは、ジュアンの帰還を意味する輝きだ。

《ただいま戻りました、セレーネ様》

「おかえり。待ってたよ、ジュアン」

《こちらが、例の物です》

 異形と化した左手で握っていた石を、主に差し出す。セレーネは礼も言わずにそれを取り、深呼吸をした。

──大丈夫、死にはしないよ

──こんなんで死ねるなら、苦労しなかったし

《セレーネ様。これを、どのようにお使いになるのですか?》

 わざわざ鎖を犠牲にしてまで回収した月長石。月を留めておく事よりも重要な役割がこの石にあるのかと、ジュアンは問うた。

「……飲む」

《え?》

 そう宣言した彼女は、自身の拳と同程度の月長石を口へ放った。飴玉のように溶け出すことはなく、ただ無機質な味が広がる。

「うぐっ!」

《セレーネ様!》

 苦しみに耐えながら、彼女は石を喉の奥へ奥へと押し込む。指で押し、舌で押し……。床に這い蹲って悶えていると、鏡写しになった自身の顔が反射して見えた。

──酷い顔

 石は喉を通り過ぎ、ゆっくりと腹に向かって落ちていく。ジュアンの肩を借りながら起き上がって数回跳ぶと、石は彼女の物と化した。

「ゴホッ、ゴホッ……はぁ、はぁ、はぁ」

《ご無事ですか、セレーネ様》

「うん、大丈夫。それより、ほら」

 心配するジュアンから手を離し、不敵に笑いながら絞り出すように全身に力を込める。月長石のオーラが溢れ出す。あまりの力強さに、ジュアンは一歩下がった。

《す、素晴らしい……! これが、セレーネ様の本来のお力。やはり……なんと、なんと美しい!》

 その間にも、オーラは強くなる一方である。輝きはやがて光の柱となり、渦となり、遂には神殿全体を震わせるほどの炸裂を起こした。

《どわぁ?!》

 衝撃を受けたジュアンが尻もちを着く。数秒経って見えたセレーネの姿は、彼とて太古の時代以来目にしていなかったものであった。

「……取り戻した。やっぱ、最初からこうするべきだったんだね」

 髪は紫檀色や黒紫色に無作為に変色し、全身からオーラを放つ。そのオーラが風のように働き、白く傷一つ無い肌を広く露出した羽衣が、バタバタと音を立ててなびく。しかしセレーネは、そんな力を得てもなお満足しなかった。

「でもまだ足りない」

《足りない……?》

「日の巫女の遣いを倒すには、まだ」

 彼女はかつて、今と同等の力を持っていた。だが、日の巫女の遣いはそんな彼女を容易に相殺したのであった。すなわち、打ち消し合ってもなお勝るほどの莫大な力が必要なのだと、セレーネは考えたのだ。

「そういう訳だから、私が本気を出すにはまだちょっとだけ時間が必要なの。その間、私のためにお仕事してくれる?」

《はい、もちろんでございます!》

「ありがと。じゃ、受け取って」

 そう言い、セレーネは右掌をジュアンの胸に当てた。強くオーラを放ち、無尽蔵に湧き出す力を彼に注いだ。

《おお……おお!》

 それを受けた彼もまた、月長石の絶大な力を実感した。己の内から溢れ出るようなそれは、彼に自信を与えた。今なら、姿を変えたあのユウキとも渡り合えるかもしれないと。セレーネに歯向かう旅の御一行を返り討ちにし、彼女の役に立てるだろうと。そういった自己への信頼である。

《必ず奴らを葬ってご覧に入れます》

「うん、お願いね。あのゴミ共は次に、クライヤマに来るハズ。そこで迎え撃ってくれる?」

《かしこまりました!》

 次の指示を受けたジュアンは強く返事をし、巫女の間を後にした。セレーネは彼を見送り、姿を元に戻す。大きな椅子へと戻り、座面上であぐらをかいた。

「もっと……さっきくらいの石がもっと必要だよね」

 鎖を五本も創るという悪手は、彼女をいつまでも後悔させた。拳大の月長石を五個も飲み込めば、セレーネは今頃目的を完遂していたかもしれないからである。

「残りのおっきい石は、クライヤマの鎖ともう一つ……いや、でもアレは……」

 ああでもない、こうでもないと次の手を考えながらセレーネは唸った。同時に、耐え難い眠気に襲われる。久方ぶりに姿を変える程の力を行使したためである。

「ねえ、ジュアン……また君に会いたいよ。たくさんお話ししたい。たくさん遊びたい。君と二人っきりでいたい。優しくて、素敵な……本物の君と」

 姿勢はそのまま、体重を背もたれに預けて、セレーネは眠りにつくのであった。
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