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第6章:墜下
巫女の失墜
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◇◇◇
──大雨が降りしきる、数ヶ月前のクライヤマ
日の巫女を信仰し、彼女が放つ言葉に重きを置く。そんな人々が平穏に暮らしていたはずの集落に、喧騒が響き渡る。神聖な巫女の社には、まるで似つかわしくない様相であった。
「巫女様! どうか、どうか太陽のお恵みを!」
「今日は晴れますか? 明日は? 明後日は?」
「どうして救ってくださらないのですか? 巫女様!」
「我々はこんなにも、困っているのですよ?!」
雨が止まず、作物は育たず、土地は荒れ、薪は湿る。厄災とも呼べる、悪夢に相違ない出来事に襲われた人々の不満が、怒号となって溢れ出した。
その矢面に立たされた僅か十八歳の少女リオは、心の底から絶望した。
占っても、祈っても……いくら頼んでも、太陽は応えなかった。まるで、彼女の中から太陽の加護が消え失せたかのようであった。
晴れていれば白い月が見えるであろう方角からは、なおも嫌な気配を感じ続ける。
「巫女様! どうか、どうか救済を!」
「いつになれば、太陽は顔を出すのですか、巫女様!」
不定期に襲い来る不快感。それはもはや、吸い取られるという感覚よりも、搾り取られると表現した方が適切であろう域に達していた。
しかし、苦しみを己の内に封じ込め、彼女は人々の疑問に答えようと必死になる。
──お願い、お願い、お願い!
──ダ、ダメ……!
「しばらくは……悪天候が、続きます」
なぜ晴れない。なぜ止まない。そんな疑問の荒波に襲われ、リオはいくつもの苦しみを一遍に味わう。
民の声はやがて、女神が如く巨大な彼女の包容力さえ決壊させた。
「分からないよ! そんな事を訊かれても、私にだって分かんないよ!」
クライヤマの象徴たる日の巫女は、ただ一人の少女へと凝華したのである。社は静まり返り、雨音だけが変わらず喚き続ける。
しばらく立ち尽くしていると、一人が呟いた。集落の土地を整備する、樵の男である。
「俺たちを……だましていたのか?」
自分を。民を。クライヤマ集落その物を。嘘をついて欺いていたのか、と。疑念の正誤を問う声であった。
「……え?」
天より墜下する水を受け、巫女服はすっかりずぶ濡れになった。白く美しい肌が一部透けて見えるも、今この状況では、そういった感情を抱く者は少ない。
「本当は、太陽の加護など無い、という事なのですか?」
ただ疑問符を返すことしか出来なかったリオに、人々は更に問い続ける──否。もはや問いではなく、ただ不安や怒りを投げ付けているのみだ。
「う、嘘じゃないよ! 太陽の加護は、本当に——」
そんなことは無いのだと、弁明を試みる巫女。だがそんな彼女も、半信半疑になっていた。巫女の力──即ち太陽の加護は、クライヤマに恩恵をもたらすはずだ。日輪に祈る事で晴れを賜り、進み方を提案し、安寧を与え……。
加護があると言うのなら、ではこの惨状は何なのだ、と。日の巫女という約儀を継承したリオでさえ、不思議に感じていた。
「ならば何故、晴れないのですか!」
上がりきった人々の熱は、下がることを知らない。
「そ、それは……っ!」
そしてついに、一人の男がこう言い始めたのである。
「う、裏切者!」
「……っ!」
──裏切りなんて
──私は裏切りなんて、してない!
彼女はクライヤマの為に尽した。己の気持ちを抑えて、一人社に佇んだ。愛おしい少年との面会は、彼から接触があった場合のみに控えた。
そうやって、クライヤマの象徴で在り続けたリオ。
「こ、これは巫女なんかじゃない! 俺たちを——クライヤマを滅ぼす邪神だ!」
そんな彼女が、裏切り者だと。邪神だと。非情な評価を受けた。巫女の力を発現できなくなったリオに対する信頼や信仰心が、失墜したのである。
「み、皆、落ちつい——」
暴徒と化した人らは、つい先日まで神聖だとしてきた場所を泥足で踏み荒らした。
「捕らえろ!」
鬼の形相をした複数の人間に、十八の少女が抗えるはずがなかった。
「きゃあ! や、やめ——うぐっ⁈」
言葉という形で存在した暴力は、ついに具現化して拳となった。顔面に打撃を受けたリオは、後ろに飛ばされる。そのままの勢いで倒れ、床に後頭部を強打した。
朦朧とする意識を必死につなぎ止めながら立とうとするも、再び大男に捕まった。
邪神の分際で神聖な服に身を包むな。男はそんな心持ちで、掛けえりに手をかけて巫女服を引っ張った。
胸のサラシが露になるも、雨に濡れていることもあって、巫女服はそう簡単に脱衣させられるものではない。その事で更に気が立ったのか、拳による暴力は加速していく。
自制の効かなくなった彼らは、相手が少女だろうと容赦なく痛めつけた。
──ああ。私はもう、死んでしまうのね
──最期にもう一度、顔が見たいな
──でも……こんな私を見たら悲しむかな
──ねえ、ユウキ
──ねえ、私の大好きな人
◇◇◇
痛みと悲しみの次に彼女が感じたのは、揺れであった。まるでゴミのように籠に放り込まれ、数人の男らによって運ばれているのだ。
リオにはもう、声を上げる体力さえ残っていなかった。もう目を瞑って楽になろうか。
そんな事を考えていた時──
「リ、リオ……⁈」
彼女を運ぶ行進の進路に割り込んだ存在。少年ユウキが、自分の名を呼ぶのが聞こえた。
「ユウ……キ……?」
何処にも、誰にも届かぬ掠れた返事をしながら、声のした方向を見た。
「リオ! な、なんで、こんな! 放せ! リオを放せよ!」
そんな抵抗も虚しく、少年は男に蹴り飛ばされてしまった。うっすらと開けた目で、ユウキが籠の進路上に倒れているのが見えた。
「リオ! リオ!」
──ユウキ、私はもうすぐ旅立ってしまうけど
──せめて、この子だけでもあなたと共に居させて
少年と籠がすれ違う一瞬。リオはとっさに胸のさらしを少し剥いだ。胸の間から日長石の首飾りを出し、落とす。少年はそれを広い、自身の懐へ入れた。
◇◇◇
リオが最期に感じたのは、湿った地面の冷たさである。服が濡れている事もあって、彼女は凍えた。事切れる直前のことである。
「なあ、リオ。僕はまた、君の姿を見られるかな?」
岩で隔てられた先から、愛おしい少年の声が聞こえた。
「ああ。僕ももうすぐ、君のもとへ行くから」
──ダメ。まだ、来てはダメ
「そうしたらさ、僕が君を幸せにするよ」
その独り言に混じって、悲鳴も聞こえている。月から感じていた嫌な気配が、それまでよりも近くで感じられた。
──お願い、ユウキ。まだ死なないで
──どうか、生きて
そう祈り続けた。太陽の加護を行使したのではない。ただただ、一人の少女が祈願しただけである。
「君、無事? ケガは無い?」
ふと、ユウキを助ける声がリオの耳に入った。
──よかった。祈り、通じたな
そう安心したリオは、腫れた容姿と相反する可憐な笑みを浮かべる。
ユウキが岩戸から離れて行くのと同時に、リオの魂も肉体から離脱して行くのであった。
──大雨が降りしきる、数ヶ月前のクライヤマ
日の巫女を信仰し、彼女が放つ言葉に重きを置く。そんな人々が平穏に暮らしていたはずの集落に、喧騒が響き渡る。神聖な巫女の社には、まるで似つかわしくない様相であった。
「巫女様! どうか、どうか太陽のお恵みを!」
「今日は晴れますか? 明日は? 明後日は?」
「どうして救ってくださらないのですか? 巫女様!」
「我々はこんなにも、困っているのですよ?!」
雨が止まず、作物は育たず、土地は荒れ、薪は湿る。厄災とも呼べる、悪夢に相違ない出来事に襲われた人々の不満が、怒号となって溢れ出した。
その矢面に立たされた僅か十八歳の少女リオは、心の底から絶望した。
占っても、祈っても……いくら頼んでも、太陽は応えなかった。まるで、彼女の中から太陽の加護が消え失せたかのようであった。
晴れていれば白い月が見えるであろう方角からは、なおも嫌な気配を感じ続ける。
「巫女様! どうか、どうか救済を!」
「いつになれば、太陽は顔を出すのですか、巫女様!」
不定期に襲い来る不快感。それはもはや、吸い取られるという感覚よりも、搾り取られると表現した方が適切であろう域に達していた。
しかし、苦しみを己の内に封じ込め、彼女は人々の疑問に答えようと必死になる。
──お願い、お願い、お願い!
──ダ、ダメ……!
「しばらくは……悪天候が、続きます」
なぜ晴れない。なぜ止まない。そんな疑問の荒波に襲われ、リオはいくつもの苦しみを一遍に味わう。
民の声はやがて、女神が如く巨大な彼女の包容力さえ決壊させた。
「分からないよ! そんな事を訊かれても、私にだって分かんないよ!」
クライヤマの象徴たる日の巫女は、ただ一人の少女へと凝華したのである。社は静まり返り、雨音だけが変わらず喚き続ける。
しばらく立ち尽くしていると、一人が呟いた。集落の土地を整備する、樵の男である。
「俺たちを……だましていたのか?」
自分を。民を。クライヤマ集落その物を。嘘をついて欺いていたのか、と。疑念の正誤を問う声であった。
「……え?」
天より墜下する水を受け、巫女服はすっかりずぶ濡れになった。白く美しい肌が一部透けて見えるも、今この状況では、そういった感情を抱く者は少ない。
「本当は、太陽の加護など無い、という事なのですか?」
ただ疑問符を返すことしか出来なかったリオに、人々は更に問い続ける──否。もはや問いではなく、ただ不安や怒りを投げ付けているのみだ。
「う、嘘じゃないよ! 太陽の加護は、本当に——」
そんなことは無いのだと、弁明を試みる巫女。だがそんな彼女も、半信半疑になっていた。巫女の力──即ち太陽の加護は、クライヤマに恩恵をもたらすはずだ。日輪に祈る事で晴れを賜り、進み方を提案し、安寧を与え……。
加護があると言うのなら、ではこの惨状は何なのだ、と。日の巫女という約儀を継承したリオでさえ、不思議に感じていた。
「ならば何故、晴れないのですか!」
上がりきった人々の熱は、下がることを知らない。
「そ、それは……っ!」
そしてついに、一人の男がこう言い始めたのである。
「う、裏切者!」
「……っ!」
──裏切りなんて
──私は裏切りなんて、してない!
彼女はクライヤマの為に尽した。己の気持ちを抑えて、一人社に佇んだ。愛おしい少年との面会は、彼から接触があった場合のみに控えた。
そうやって、クライヤマの象徴で在り続けたリオ。
「こ、これは巫女なんかじゃない! 俺たちを——クライヤマを滅ぼす邪神だ!」
そんな彼女が、裏切り者だと。邪神だと。非情な評価を受けた。巫女の力を発現できなくなったリオに対する信頼や信仰心が、失墜したのである。
「み、皆、落ちつい——」
暴徒と化した人らは、つい先日まで神聖だとしてきた場所を泥足で踏み荒らした。
「捕らえろ!」
鬼の形相をした複数の人間に、十八の少女が抗えるはずがなかった。
「きゃあ! や、やめ——うぐっ⁈」
言葉という形で存在した暴力は、ついに具現化して拳となった。顔面に打撃を受けたリオは、後ろに飛ばされる。そのままの勢いで倒れ、床に後頭部を強打した。
朦朧とする意識を必死につなぎ止めながら立とうとするも、再び大男に捕まった。
邪神の分際で神聖な服に身を包むな。男はそんな心持ちで、掛けえりに手をかけて巫女服を引っ張った。
胸のサラシが露になるも、雨に濡れていることもあって、巫女服はそう簡単に脱衣させられるものではない。その事で更に気が立ったのか、拳による暴力は加速していく。
自制の効かなくなった彼らは、相手が少女だろうと容赦なく痛めつけた。
──ああ。私はもう、死んでしまうのね
──最期にもう一度、顔が見たいな
──でも……こんな私を見たら悲しむかな
──ねえ、ユウキ
──ねえ、私の大好きな人
◇◇◇
痛みと悲しみの次に彼女が感じたのは、揺れであった。まるでゴミのように籠に放り込まれ、数人の男らによって運ばれているのだ。
リオにはもう、声を上げる体力さえ残っていなかった。もう目を瞑って楽になろうか。
そんな事を考えていた時──
「リ、リオ……⁈」
彼女を運ぶ行進の進路に割り込んだ存在。少年ユウキが、自分の名を呼ぶのが聞こえた。
「ユウ……キ……?」
何処にも、誰にも届かぬ掠れた返事をしながら、声のした方向を見た。
「リオ! な、なんで、こんな! 放せ! リオを放せよ!」
そんな抵抗も虚しく、少年は男に蹴り飛ばされてしまった。うっすらと開けた目で、ユウキが籠の進路上に倒れているのが見えた。
「リオ! リオ!」
──ユウキ、私はもうすぐ旅立ってしまうけど
──せめて、この子だけでもあなたと共に居させて
少年と籠がすれ違う一瞬。リオはとっさに胸のさらしを少し剥いだ。胸の間から日長石の首飾りを出し、落とす。少年はそれを広い、自身の懐へ入れた。
◇◇◇
リオが最期に感じたのは、湿った地面の冷たさである。服が濡れている事もあって、彼女は凍えた。事切れる直前のことである。
「なあ、リオ。僕はまた、君の姿を見られるかな?」
岩で隔てられた先から、愛おしい少年の声が聞こえた。
「ああ。僕ももうすぐ、君のもとへ行くから」
──ダメ。まだ、来てはダメ
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──お願い、ユウキ。まだ死なないで
──どうか、生きて
そう祈り続けた。太陽の加護を行使したのではない。ただただ、一人の少女が祈願しただけである。
「君、無事? ケガは無い?」
ふと、ユウキを助ける声がリオの耳に入った。
──よかった。祈り、通じたな
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