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幽霊探偵 畳から生え出る手
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伊田裕美(いだ ひろみ):幽霊探偵で本業は旅行ルポライター
伝兵衛(でんべい):旅行雑誌編集長
村田蔵六(むらた ぞうろく):陰陽師で裕美の相談役
小田伸二(おだ しんじ):貧乏サラリーマン
第1証:怪奇現象
小田伸二は、春日部の格安アパートに引っ越したばかりだった。家賃は破格の月3万円。築年数は不明だが、駅から徒歩十五分の立地でこの値段なら文句は言えない。
しかし、新生活は恐怖とともに幕を開けた。
最初の夜、寝入りばな、妙な気配を感じ、目を開けた。部屋の隅にぼんやりとした影が揺れている。最初は目の錯覚かと思ったが、それはじわじわと形を変え、床に溶け込むように消えていった。
翌朝、体が鉛のように重く、微熱があることに気づいた。耳鳴りもひどい。しかし、会社は休まない。「仕事はできないが、会社は休まない」が信条の伸二は、無理やり這うようにして出社した。
それから数日、怪奇現象はエスカレートしていく。
ある夜、布団の中で寝返りを打った瞬間、畳の下から何かが這い出してくる感触がした。恐る恐る顔を上げると、畳の隙間から白い指がにゅっと伸びてきたのだ。
心臓が跳ね上がる。
その手はゆっくりと動き、爪を立てて畳を引っ掻いた。ギシギシと耳障りな音が響く。
伸二は反射的に近くにあったゴミ袋を畳の上に置いた。
それ以降、手は出てこなくなった。
しかし、次の夜には畳の下から土気色の足がにゅるりと現れた。足の指がゆっくりと蠢きながら畳を押し上げ、膝のあたりまで露わになった。ひび割れた皮膚から、かすかに湿った音が立ち、伸二の呼吸が止まる。伸二は震えながら、同じようにゴミ袋を置いた。
それでも終わりではなかった。
数日後の深夜、畳の隙間からゆっくりと老婆の首が現れた。白髪が乱れ、血の気のない顔がぎょろりとこちらを見ていた。
かすれた声が耳の奥に響く。
伸二は咄嗟にゴミ袋を掴み、その首の上に押し付けた。何も見えなければ存在しない。そう自分に言い聞かせながら。
だが、それで解決するわけがなかった。
翌日、恐る恐る大家に相談したが、「気のせいだろう」と笑われて終わった。管理会社に電話しても、まともに取り合ってもらえない。
疲労と恐怖がじわじわと心を侵食していく。部屋はゴミ袋の山と化し、足の踏み場もないほどだった。
そんなある日、インスタントコーヒーを淹れ、机に座ってひと息つこうとした。
スプーンで粉をかき混ぜ、ゆっくりとコーヒーを口に運ぶ。しかし、カップの中の液体が揺らめき、微細な泡がいくつも浮かび上がってきた。
次の瞬間、泡の中から皺だらけの顔が浮かび上がった。
声にならない悲鳴が喉でつかえ、全身が硬直する。震える手でカップを机に置き、顔を逸らした。
しかし、そこにあったのは確かに顔だった。
その日以来、伸二の精神は急速に摩耗していった。
コーヒーカップや茶碗には紙くずがぎっしりと詰め込まれている。
しかし、まだ幽霊探偵の元を訪れる決断には至らなかった。
第2章:進む怪奇現象
小田伸二は、藁にもすがる思いで、近所の心霊スポットに足を運んだ。薄暗い参道を抜けた先にある、朽ちかけた神社。その境内の隅、雑草に覆われた石畳の上に、お札が無造作に置かれていた。
それは誰かが捨てたものなのか、それとも神社の守り札として置かれたものなのか。
伸二は深く考えずに、それを拾い上げた。背後で風がざわめき、木々が不気味に揺れた。耳鳴りがする、気のせいだと思い込むことにした。
これで何かが変わるかもしれない。
そう信じて、彼はお札を部屋の入口に貼り付けた。しかし、翌朝目を覚ますと、そのお札は漆黒に変色していた。まるで、何かがそれを内側から浸食したかのように、じっとりと湿り、奇妙な模様が浮かび上がっていた。
悪寒が背筋を駆け抜ける。
いてもたってもいられず、伸二は実家の母にSNSのビデオ通話をかけた。だが、母の声は明らかに普段と違い、震えていた。
「お前……最近顔が変だ。目が……誰かに乗っ取られてるみたいだよ……」
画面の向こうの母は、最初は普通だった。しかし、じっと伸二の顔を見つめると、急に顔色を変えた。次の瞬間、映像が乱れ、母の顔が歪んで見えたかと思うと、通話が途切れた。
伸二は呆然とスマホを見つめる。ふと鏡を覗き込むと、そこには見慣れたはずの自分の顔。しかし、目だけが妙にどす黒く沈み、虚ろに揺れていた。
その夜。
異様な気配を感じ、伸二は目を覚ました。暗闇の中、部屋の隅に何かが立っている。寝ぼけた頭で目を凝らすが、闇に紛れてはっきりしない。
震える手でスマホを取り出し、カメラを向けた。
シャッター音が響く。
画面には、畳の間から這い出る無数の指が写っていた。それは人間のものに見えたが、関節が異様に長く、指先がかすかに蠢いている。
喉の奥からかすれた悲鳴が漏れる。
思わずスマホを落とし、後ずさる。
その瞬間、部屋全体が不気味に軋み、まるで古びた建物が崩れる前触れのような異音が響いた。
何かが迫ってくる。
恐る恐る見上げると、天井の隙間から、ゆっくりと首が出てきた。
それは白髪混じりの老婆の首だった。ぎょろりと開かれた目が、じっと伸二を見据えている。
口元がかすかに震え、何かを呟こうとしている。しかし、声は発せられず、代わりに天井の隙間から細い手足が次々と生えてきた。
ぶらぶらと揺れる手足。その隙間から、また別の首が覗いている。
これは夢なのか? それとも現実なのか?
伸二は、もう動けなかった。
第3章:幽霊探偵・伊田裕美登場!
伸二は、藁にもすがる思いで、テレビで有名な霊能者・石川霊奈(いしかわ れいな)を訪ねた。数々の心霊事件を解決してきたと評判の霊奈なら何か手を打てるかもしれない。
だが、霊奈は伸二の前に立つと、突然後退りした。
「ちょ、ちょっと……あなた、どこに住んでるの?」
その問いに、伸二がアパートの住所を告げると、霊奈の顔がみるみる青ざめた。
「……その場所はヤバい。普通の霊じゃないわ。行きたくない。」
それでも何とか頼み込み、霊奈は渋々アパートへ足を踏み入れる。しかし、玄関を越えた途端、彼女の顔がこわばり、肩が小刻みに震え始めた。
「……これは……ダメ……。あたしには無理!」
霊視を始めるどころか、霊奈は悲鳴を上げるようにして玄関を飛び出し、そのまま逃げ去ってしまった。
呆然とする伸二。
絶望感が募るなか、彼は藁にもすがる思いで、SNSを検索した。ありとあらゆる心霊関連のキーワードを打ち込み、投稿を漁る。
そして、目に留まったのが『幽霊探偵・伊田裕美』の名前だった。
幽霊探偵……?
半信半疑のまま、彼はそのオフィスを訪れた。
「お願いします! 俺のアパートを見てください!」
伸二が探偵事務所に入り、幽霊探偵・伊田裕美と話していると、横から雑誌編集長の伝兵衛が口を挟んできた。
「裕美は忙しいんだ。いちいち怪しい依頼なんか受けられるか!」
必死に頼み込む伸二だったが、伝兵衛は聞く耳を持たない。
「帰れ!帰れ!」
しかし、その様子を見ていた伊田裕美は、静かに席を立ち、伝兵衛を押しのけた。
「……面白そうね。行ってみるわ。」
伸二は安堵し、裕美とともにアパートへ向かうのだった。
幽霊探偵・伊田裕美は、小田伸二のアパートに足を踏み入れるなり、異様な気配を感じ取った。空気はどんよりと重く、冷たい。まるで霊そのものが空間を支配しているかのようだった。
部屋の中央で裕美は目を閉じ、ゆっくりと指先を宙にかざした。すると、畳が不自然に歪み、隙間から黒い手が這い出してきた。
「出てきたわね……」
次の瞬間、部屋全体が軋み始めた。壁には無数のひびが入り、天井からは細い手が何本も垂れ下がってくる。その中のひとつが裕美の肩を掴んだ。
「……ふん、やる気なのね」
裕美はポケットから紙札を取り出し、空中に投げる。瞬時に札が発光し、空間に神秘的な紋様が刻まれる。だが、それだけで霊は消えなかった。むしろ、さらに凶暴化し、畳の下から這い出る首がうめき声をあげる。
「おまえも……ここへ……」
呻き声が響く中、裕美は奥の手を出すことを決めた。
「仕方ないわね……」
彼女は懐から古びた鏡を取り出した。
「たむならの鏡……」
鏡の表面が怪しく光ると、その光が霊を焼くかのように弾き飛ばした。部屋全体に響き渡る悲鳴。手足が引きちぎれるように消え、最後に老婆の首が苦しげに歪み、薄い霧となって消えていった。
静寂が戻った。
裕美はゆっくりと畳をどけ、板の間を開ける。すると、そこには白骨死体が一体、膝を抱えるような姿勢で横たわっていた。
「……やっぱりね」
後日、警察の調べにより、その遺体はアパートが建てられたばかりの頃のものだと判明した。さらに、大家はそれを聞いて思い出した。
「ああ……最初に住んでいた老婆が、突然いなくなったんだ。強盗に襲われて殺されたんだった……」
こうして、老婆の無念は晴らされ、アパートに漂っていた霊の呪縛は解かれたのだった。
【エピローグ】
数日後、裕美はお気に入りのカフェでラテを飲んでいた。窓際の席に腰掛け、スマホを開くと、SNSニュースの速報が目に飛び込んできた。
「例のアパートで殺人を犯した男、ついに逮捕」
記事を開くと、かつての住人だった男が犯人として逮捕されたことが書かれていた。警察の捜査で、老婆の遺体が発見された直後に、その男の足取りが途絶えていたことも判明したらしい。
裕美はスマホの画面を閉じ、ふっと微笑んだ。
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