幽霊探偵・伊田裕美参上!

羽柴吉高

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寒村温泉旅館の六日ごとの仏滅惨劇

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 【登場人物】
 伊田裕美:幽霊探偵、旅行ルポライター、ショートカットの黒髪を持ち、知的な印象を与える黒のスーツに身を包んでいた。端正な顔立ちと鋭い眼差しが特徴で、どこか探偵のような雰囲気を漂わせていた。
 大沢逸美(おおさわ いつみ):旅館女将
 田上雪江(たうえ ゆきえ):旅館仲居
 宮田国三(みやた くにぞう):村役場職員
 絶江和尚(ぜっこう おちょう):東圓寺住職

 第1章:ちょっとした事件
 長野県の閑散とした温泉地帯に広がる静かな谷。その谷の奥にある崖が、大雪による雪崩で大きく崩れ落ちた。崩れた土砂とともに、白く変色した骨が露出したのは、雪が止んだ翌朝だった。
 谷を見下ろしていた村の老人が異変に気づいた。崩れた土の中から、不自然に突き出た何かが目に入ったのだ。最初は木の根か石ころかと思ったが、よく見ればそれは人の指のようだった。驚いた老人はすぐさま村役場に連絡し、役場の職員が警察に通報した。ほどなくして、長野県警の捜査員たちが現場に到着した。
 警察は現場を封鎖し、慎重に掘削を開始。崩れた土を丁寧に取り除いていった。作業員たちは手作業で慎重に掘り進め、骨の全体像が次第に明らかになっていった。やがて、次々と白骨が姿を現した。長い年月を経て土に埋もれていた骨は風化していたものの、全身の骨格はある程度保たれていた。
 検死を担当した法医学の専門家が骨の状態を詳しく調査し、「女性ですね。年齢は30代から40代くらい。おそらく80年ほど前のものと思われます」と断言した。
 骨の劣化具合や周囲の土壌の堆積状況から、死亡推定時期はおよそ70~80年前と判断された。
 「損傷がほとんど見当たりません。暴行の跡も、明らかな骨折や打撃痕もないため、死因を特定するのは難しいですね」
 骨には明確な外傷の跡はなく、骨折もなく、刃物で切られた形跡もなかった。つまり、暴力による即死ではない可能性が高い。死因が自然死なのか、あるいは何らかの理由で衰弱死したのかは、骨からだけでは判断できなかった。
 現場の状況を踏まえ、警察は事件性の可能性は低いと判断した。すでに時効どころか、証拠となるものも残っていなかった。ただし、なぜこの谷の崖下に白骨が埋もれていたのか、その背景には不明な点が多かった。
 掘り返された遺骨の周囲には、何かを包んでいたらしき布の繊維がわずかに残っていた。しかし、その布はすでに朽ち果て、色や模様を判別することは困難であった。また、近くから小さな木製の櫛らしきものが見つかった。櫛は一部が欠け、表面は泥に覆われていたが、慎重に清掃するとかすかに彫刻が施されていることが分かった。
 村の歴史資料館に持ち込まれたところ、専門家の見立てでは昭和初期のものであると考えられるとのことだった。職人が手作りした装飾付きの櫛は、主に女性が使用していたものと推察された。
 さらに、骨とともに発見されたのは錆びついた金属片で、これはかつて着物を留めるために使われた帯留めの一部ではないかと推測された。しかし、持ち主の素性は不明で、遺骨の正体を示す決定的な証拠にはならなかった。
 警察の調査結果は「約80年前の遺骨で、事件性は低い」との結論に達し、身元の特定は不可能とされた。そのため、警察記録には「身元不明の女性の白骨死体」として登録されることとなった。
 しかし、この出来事は村にとってちょっとした騒ぎとなった。地元新聞にも「長野の山中で白骨発見」と小さく報じられ、温泉地に滞在していた伊田裕美も偶然この話を耳にした。
 裕美が訪れた温泉村は静まり返っており、観光客はまばらで、昼間から閉められた土産物店のシャッターが風に揺れていた。ひなびた旅館が立ち並ぶ通りも、かつては賑わっていたものの、今では時間が止まったような感覚を覚えさせる。
 足元の石畳はところどころ剥がれ、温泉の湯気だけが細い路地の隙間から立ち上っていた。数少ない観光客の話し声が、空気の冷たさに吸い込まれるように小さく響いた。
 裕美は通りの端の古びたベンチに腰を下ろし、小さくため息をついた。
 「責任重いね。こんな閑散としたところを記事にするなって、ボスにまた怒られちゃう」
 そう呟く彼女の視線の先には、誰もいない足湯があった。

 第2章:その夜、事件は突如として起こった
 長野県の山間にひっそりと佇む温泉村。かつては観光客で賑わったこともあったが、今では閑散とし、時折訪れる湯治客と地元の住民だけが行き交う静かな場所となっている。温泉街の入り口には、木製の古びた看板がかかっており、風雨に晒されて色あせた文字がかろうじて読める。
 石畳の通りには、昔ながらの旅館や土産物屋が並ぶものの、多くは営業を取りやめ、木製の引き戸が閉じられたままだった。時折、建物の隙間から湯気が立ち上り、その白い靄が冷たい山の空気に溶けていくのが見えた。
 裕美が泊まることになったのは、村でも数少ない営業中の旅館「かたくり荘」。大正時代に建てられたという三階建ての木造建築で、外観には歴史を感じさせるが、どこか寂れた雰囲気が漂っている。玄関の戸を開けると、古い木の香りが漂い、帳場には若い女将が待っていた。
 「いらっしゃいませ。お泊まりは伊田様ですね?」
 声をかけたのは、30代半ばの若女将・大沢逸美だった。きりっとした顔立ちに、控えめながら落ち着いた物腰。着物姿がよく似合い、穏やかな笑顔をたたえている。
 「はい、お世話になります」
 裕美は荷物を抱えたまま、一礼した。
 「この時期はお客様も少なく、静かにお過ごしいただけます」
 その夜、村の外れにある古い一軒家の寝室で、奥さんは突然目を覚ました。部屋の隅には黒い影が立っており、暗がりの中でその影がゆっくりと近づいてくると、彼女の目は虚ろになった。まるで意識が遠のくかのように、奥さんの体はゆっくりと動き出した。
 「あなた……」
 声は震えていたが、彼女の顔にはすでに普段の理性が感じられなかった。
 気づけば、彼女の手は夫の首へと伸びていた。目を覚ました夫は驚いた様子で彼女を見つめ、「おい……なにを……やめろ!」と叫んだ。
 しかし、彼女の手は緩まず、指先に宿った異様な力が夫の喉を締め上げた。息を詰まらせ、必死に抵抗する夫の目には恐怖が浮かんでいたが、奥さんの目は焦点を欠き、まるで別の何者かに操られているかのようだった。
 やがて、夫の抵抗が弱まり、完全に力を失った瞬間、奥さんの意識が戻った。
 「え……? なに……?」
 自分の手にあるものを見た彼女の顔は蒼白になり、手を放すと夫の体はぐったりと布団の上に崩れ落ちた。布団の上に横たわる男性の首には、はっきりと絞められた痕が残っていた。そして、その傍らに茫然と立ち尽くす女性は、まだ微かに震えているようだった。
 村の住人たちは、信じがたいという表情で囁き合っていた。
 「信じられないね。あの人がそんなことをするなんて……」
 地元では評判の良い夫婦で、村に長く住み穏やかな日々を送っていた二人には、これまで何の問題もなかった。しかし、警察の取り調べに対し、奥さんは何も覚えていないと答えた。
 「私……何も……どうして……?」
 ただ呆然としたまま、言葉を繰り返すばかりだった。
 その夜、裕美は夕食後、旅館を出て温泉街を散歩していた。静まり返った夜の村は、風の音だけが響き、湯けむりがぼんやりと浮かんでいた。
 歩きながら、昔ながらの木造の家々を眺めていると、遠くから女性の叫び声が響いた。
 「ぎゃああああ!」
 裕美は驚いて足を止めた。声の方向を見ると、村の外れにある古い一軒家からだった。何か異変が起きたのは明らかだ。
 「ぎゃああああ!」
 その声は、裕美の泊まる旅館のすぐ近くから聞こえていた。驚いて襖を開け、廊下へ出ると、数人の村人や旅館の従業員が、騒然とした様子で1つの部屋の前に集まっていた。
 「奥さんが……旦那さんの首を……!」
 誰かが息を呑むように呟いた。
 警察が駆けつけると、現場の状況は異様だった。

 第3章:湯けむり温泉
 裕美は、ひっそりとした湯殿の中に身を沈めた。湯気が立ちこめ、かすかに硫黄の香りが漂う。夜の静寂と湯のゆらめきだけが心を落ち着かせ、湯の温もりがじわりと体を包み、長旅の疲れを優しく溶かしていくようだった。
 しばらく目を閉じていると、静かに扉が開き、女将の大沢逸美が入ってきた。彼女は浴衣を肩まで下ろし、ゆっくりと湯船へと足を浸す。
 「夜の温泉は、また格別ですね」
 逸美がそう言いながら隣に腰を沈めると、裕美は目を開け、ちらりと彼女を見た。若女将としての凛とした雰囲気とは違い、どこか柔らかな表情を浮かべていた。
 「確かに。静かでいいですね……。でも、あの事件のことが気になって、なかなか落ち着けません」
 裕美は湯に浸かったまま、逸美の横顔を見つめると、彼女の表情がわずかに曇るのを感じた。
 「……信じられませんよね。あの奥さんが、ご主人を……」
 「ええ。私は事件のことを詳しく知りたいんです。警察の話では、彼女は何も覚えていないと言っていましたけど……」
 裕美の言葉に、逸美は少し間を置いてから小さく息を吐いた。
 「村の人たちは皆、動揺しています。あのご夫婦は本当に仲が良かったんですよ。特に奥さんは、夫に尽くす人だった。それが突然……まるで何かに憑かれたように……」
 裕美は湯の中で腕を組み、考え込むように視線を落とした。
 「……憑かれたように?」
 「ええ。普段の彼女とはまるで別人だった、と、目撃した村人たちは言っています」
 裕美の胸にざわりとした感覚が広がる。これはただの突発的な事件ではない——そんな予感がした。
 翌朝、裕美は村の人々から話を聞くことに決めた。

 第4章:村人の証言
 「夫婦仲は、村でも評判が良かったんです。何か悩みがあったようには見えませんでしたよ。」
 「でもね……事件の前日までは、奥さんの様子に特に変わりはなかったそうです。しかし、仏滅の日になった途端、まるで何かに取り憑かれたように変わってしまったと……」
 「何が起きたのか?」
 「ええ。仏滅の日の夜、突然家の中を落ち着かずに歩き回ったり、外に出たりしていたそうです。それまで普通の生活をしていたのに……」
 「それって、誰かに会っていたとか?」
 「いや、それがね……ただ、一人で突っ立っていたって……まるで誰かを待っているみたいに……」
 裕美は背筋に冷たいものが走るのを感じた。何か得体の知れないものが、この村に影を落としている——そんな考えが、頭から離れなかった。

 第5章:第2の犠牲者
 事件から6日が経過した。
 明日にはこの温泉を離れなければならない。裕美はPR記事のための取材を終え、温泉の魅力を十分に記録した。しかし、心の中には事件への興味が強く残っていた。このまま去るのは惜しい――もっとこの村に留まり、何が起こっているのかを調べたいという衝動が抑えきれなかった。
 夜、旅館の廊下を歩きながら思索にふけっていると、奥から騒がしい声が聞こえてきた。
 突然、女性の叫び声と悲鳴が響き渡った。
 「やめて! 何をするの!」
 裕美は驚いて、声のする方へ駆けつけた。場所は旅館の食堂。扉を開けた瞬間、広がる惨状に息を呑んだ。
 仲居の一人が包丁を手に持ち、狂気に満ちた目で客を襲っていたのだ。
 男の肩に深々と包丁が突き刺さり、鮮血が飛び散った。仲居の顔は普段の穏やかさとはまるで違い、焦点の合わない虚ろな瞳でなおも男に襲いかかろうとしていた。
 「くっ……!」
 男は抵抗しようとしたが、力は急速に抜け、数秒後にはその場に崩れ落ちた。
 その瞬間。
 仲居はまるで糸が切れたかのようにふらりと後退し、手にした包丁がカランと床に落ちた。血に染まった手を見つめ、次第に正気を取り戻したかのように青ざめた顔を上げた。
 「わ……わたし……なにを……」
 足元の血溜まりを見た瞬間、彼女はがくりと座り込んだ。
 「違う……違うの……! 私は、何も……」
 裕美と女将の逸美が駆けつけたとき、すでにその場は騒然となっていた。逸美は震える仲居を抱きしめるように支え、裕美は崩れ落ちた男の状態を確認した。
 「これは……」
 裕美の胸に、不吉な既視感が広がった。
 ――またしても、仏滅の日に。
 まるで何かに取り憑かれたかのように、人は豹変し、理性を失い、殺人が起きる。
 「……この村で、何が起こっているの?」
 裕美は、背筋が凍るような恐怖を覚えながら、血の匂いに満ちた空気の中で立ち尽くしていた。

 第6章:白骨死体との関係
 裕美は、仏滅の日に必ず起こるこの奇怪な事件に注目した。
 「もしかして、白骨死体と関係があるのかもしれない……」
 その直感を確かめるため、裕美は白骨死体が発見された谷へ向かった。谷の空気はひんやりとしており、木々のざわめきだけが響いている。雪解けの湿った土が靴にまとわりつく中、慎重に足を進めた。
 一見、新たな発見はないように思えた。しかし、ふと足元に目をやると、土の隙間に何かが埋もれていた。かがんでそれをそっと掘り出すと、古びた象牙製の三味線の駒が現れた。黄ばんだ色合いと多くの傷から、相当な年月を経たものであることがわかった。
 さらに谷の頂上へと歩みを進めると、石が崩れた塚に目が入った。倒壊した碑には、かろうじて「庚辰塚(かのえたつつか)」の文字が読み取れた。裕美はスマホで「庚辰」に該当する年を調べたところ、近年では昭和15年(1940年)と平成12年(2000年)しか該当しないことがわかった。
 「そういえば、約80年前の白骨だと言っていた……」
 ふと、裕美は気づいた。この村には寺がない。東京・港区三田のように寺が乱立する環境で育った彼女にとって、それは異様な光景だった。
 スマホで検索すると、最寄りの寺は隣町にしか存在しなかった。過去の記録が残る場所を探るため、裕美は村役場を訪れることにした。
 村役場は古びた木造の建物で、年季の入った柱が歴史を物語っていた。役場内は静かで、人影はまばらだった。事務机が並ぶ奥の部屋には、長老と呼ばれる男が座っていた。
 宮田国三(みやた くにぞう)――この村の歴史や伝承に詳しい役人である。
 彼の頭はすっかり禿げ、残るわずかな髪はほとんど白髪だ。特に目を引くのは、異様に長い眉毛で、それが老いた顔に陰影を作り出し、彼の言葉に重みを与えていた。
 「戦前の記録で行方不明事件……昭和15年の記録はありませんか?」
 裕美の問いに、宮田は快く頷き、古い村日誌を手に取った。ゆっくりとページをめくると、彼はある箇所で指を止めた。
 「ああ、ここだ。こんな記事が載っているね……」
 昭和15年――1940年
 ある女三味線芸人がこの村にたどり着いた。しかし、彼女は病と飢えに苦しみ、村人に助けを求めた。だが、村の女たちは彼女を冷たくあしらい、石を投げつけて追い払った。
 行き場を失った女芸人は、村を去ろうとするが、村の外れで力尽き、そのまま命を落とした。村人たちは、彼女の亡骸と持ち物であった三味線を谷に投げ捨てた。
 それ以来、仏滅の日になると、村の女たちが突如として狂い、男を襲う事件が発生するようになった。
 斧で夫の頭を割る者、銃を手にして暴れる者――次々と惨劇が繰り返され、村は恐怖に包まれた。
 ついに村人たちは、これが女芸人の祟りだと確信し、隣村の和尚に助けを求め、供養のために庚辰塚を建てた。驚くことに、その後、狂気の事件はぴたりと止んだ。
 しかし今、その塚は倒壊し、白骨が発掘されたことで、再び惨劇が蘇ったのではないか――。
 裕美は、事件を終わらせるには庚辰塚を再建し、再び供養するしかないと確信した。
 【隣村・東圓寺(とうえんじ)】
 隣村の東圓寺は、山間の静かな場所に佇む古刹だ。境内には苔むした石畳が広がり、風に揺れる竹林の音が静寂を際立たせている。
 寺の本堂は、歴史を感じさせる立派な建築で、風雨に晒された木の柱には長い年月が刻まれている。
 そこに住む僧侶、絶江和尚(ぜっこうおしょう)。
 40代半ばの彼は、村会議員も務める地元の名士だ。剃り上げた頭と端正な顔立ちを持ち、どこか世俗的な雰囲気も漂わせている。
 僧侶らしい厳粛さと、実務家としての現実的な考えを併せ持つ男。彼がこの事件の鍵を握ることになる。

 第7章:三度目の憑依
 絶江和尚は、裕美の頼みに快く応じ、読経を引き受けてくれた。
 さらに裕美は村役場を訪れ、「庚辰塚」の再建を依頼した。しかし、宮田をはじめとする村役場の職員は、霊や祟りを信じておらず、怪訝な顔をしていた。最終的には、「文化財の倒壊による再建」として、ようやく了承を得ることができた。
 今日は仏滅――必ず惨劇が起こる。裕美は焦燥感に駆られていた。
 旅館に戻った裕美は、女将に尋ねた。
 「誰か、三味線を弾ける人はいませんか?」
 女将は少し考えた後、答えた。
 「そういえば、仲居の雪江ちゃんが昔、芸者をやっていたから、弾けるはずですよ」
 裕美の顔は緊張に包まれた。
 「今日また幽霊が出て、惨劇が繰り返される……。誰に乗り移るかわからない……」
 裕美は頭を抱え、どうすれば次の憑依を防げるのかと悩んだ。
 その後、裕美は雪江のもとを訪れ、三味線の演奏を依頼した。その時、うっかりポケットに入れていた、白骨現場で拾った三味線の駒を床に落としてしまった。
 女将がそれに気づく。
 「何これ? 三味線の駒? 随分汚いわね……。裕美さんが落としたのかしら?」
 そう言いながら、女将はそれをそっと袖にしまい込んだ。
 その瞬間。
 時計が午後八時を指し、遠くから鐘の音が響いた。ちょうど、女芸人が命を落としたとされる時間だった。
 突如、女将の髪が逆立ち、目が吊り上がり、口は裂け異様な形相へと変貌した。
 「遅かった……」
 その異様な声とともに、女将は裕美に飛びかかった。
 ――裕美は直感した。女将に霊が取り憑いたのだと。
 裕美は手近な物を掴んで投げつけたが、霊の力を得た女将には何の効果もなかった。
 逃げようとした裕美の足がもつれ、床に倒れ込むと、次の瞬間、女将が馬乗りになり、細い手で裕美の首を締め上げた。
 「私はね……この村の女たちに見捨てられ、飢えと病に苦しみながら死んだ女の霊だよ……!」
 その声は、地の底から響くような低く、くぐもった声で、まるで男のようだった。
 裕美の顔はみるみるうちに青ざめ、息が詰まった。
 「……雪江さん……三味線を……弾いて……」
 裕美は最後の力を振り絞って訴えた。
 その瞬間。
 静寂を破るかのように、三味線のわびしい音色が響き渡った。
 霊の顔が一瞬ゆがんだ。
 「うぉぉぉ……」
 苦しみ悶えるように、女将は裕美の首から手を離し、のけぞった。霊の姿は揺らぎ、そして――ふっと消えていった。
 ちょうどその頃、村役場の職員たちが庚辰塚を元の場所に戻す作業をし、絶江和尚が読経を始めていた。
 女将の体は力なく崩れ落ち、裕美の上にばったりと倒れた。
 「終わった……」

 第8章:エピローグ
 翌日、裕美、女将、雪江、和尚、そして村役場の人々が集まり、庚辰塚を訪れた。
 裕美は、白骨現場で拾った三味線の駒を静かに埋め、花を手向けた。
 こうして、長年にわたり続いた呪いは終わりを告げた。
 裕美は、村役場の宮田と絶江和尚に深く礼を言い、満足げに温泉村を後にした。
 旅館の玄関で、女将がにこやかに手を振った。
 「今度は、取材なしで来てくださいね」
 裕美は笑顔で振り返り、「ええ!」と答えた。彼女の足取りは軽く、次の取材先に向けて駅へと歩き出した。
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