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第一章 モルモットに利尿薬を与える

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「それでは、臨床試験の第一フェイズを始めていきたいのですが……」
「待って」異議を唱えたのは水晶みあきだった。「本当に臨床試験なんてやるの? 私はドラマの撮影って聞いてここに来てるんだけど?」
 水晶みあきは険しい表情でメビウスを睨んだ。
鳴瀬なるせさん、それは質問ですか? それとも不満ですか?」
 苗字は鳴瀬なるせというのか。鳴瀬水晶なるせみあき。本当に芸能人のような名前だと思った。
「両方よ。ねぇ、マネージャーはどこ?」
「それは質問ですか?」
「質問に」水晶みあきは一歩踏み出した。「決まってるでしょ。何アンタ? 日本語わからないわけ?」
「あ、おいっ。ちょっと待てって」
 同じことを繰り返すメビウスに対し、業を煮やした水晶みあきは大股で歩み寄る。本能的に危険を察知した俺は間に入る――ほどの勇気はなかったが、彼女を止めようとする素振りは見せた。結果、三人が円陣を組めそうな距離まで近づくことになった。
「ドラマの撮影は中止になりました。監督やスタッフには連絡済みで、主役は別の女優さんがやるということで落ち着きました」
「は、はぁ? なんであんたがそんなこと――」
「その際、最後まで頑なに首を縦に振らなかったのがあなたのマネージャーでした。なので、彼女には死んでもらいました」
「は? 何……、何言ってるの?」
「あなたは選ばれたのです。どうか理解していただけると幸いです」
「嘘……なんでしょ? ねえ……」
 何も告げない静かな仮面。その沈黙は真実であることの裏返し。
「ふざけないで! 許されるわけがないこんなの! 警察ね! スマホ返して!」
「無理です。我々はお金持ちなのですから。ゆえに警察もこちら側なのです。決して怪しい組織ではありません。どうか新しい薬の開発のため、ご協力をお願いします」
 メビウスはそう言って頭を下げた。水晶の顔に色濃く浮かんでいた憎悪に驚きの色が混じり、次にまた憎悪一色に染まった時、彼女は腕を振り上げていた。
 俺はとっさに彼女の手首を掴み、首を振った。しばらく押し合う形となったが、やがて彼女は脱力した。俺の手を乱暴に払いのけると、彼女は背を向けて顔を覆った。
双海ふたみさんは何かありませんか?」
 名前を呼ばれて心臓がひとつ大きく跳ねた。この流れで下手な質問をする気はなく、首を横に振って答えとした。
「そうですか。では、六人中四人が死んでしまったわけですが、どうですか?」
 まさかの逆質問だった。しかもどうですか、とは何だ。どうも思わない。ただただ怖いよ。殺人鬼だよアンタ。
「そうですね」それでも俺は顎に手をやった。「6であればパーフェクトナンバーだったのに、2になってしまったので特性としては弱いですね。思いつくのは最初の素数ってことくらいですね」
「ああ、6は完全数パーフェクトナンバーでしたね。1と2と3。自分自身を除く正の約数の和に等しかった。確かにそう考えると惜しいことをしたかもしれません」
「え? ええ……」驚いた。「博識ですね」
 意味が通じるとは思っていなかったのだ。理系出身か。
「しかし、何ですか今のは? ひょっとして私を試していますか? 試されるのはモルモットであるあなたたちなのですよ」
「わ、わかってますって」
 俺は前に出した両手を振って苦笑いした。そっちが聞いてきたんだけどなあ、と喉元まで上がってきた台詞は飲み込んだ。
 白衣のポケットから出したゴム手袋を装着し、メビウスは言う。
「それでは二人とも服を脱いでください」
「は?」 
 俺と水晶は顔を見合わせた。
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