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♯109
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「準備できた? じゃ、行くわよ」
千鶴は母親に引っ張られるようにして車の助手席に乗せられると、服を買いに連れて行かれた。
母親に連れられて、千鶴はレディースを扱うセレクトショップを回った。
ロードサイドに建っていてフォーマルも扱うそのショップは、以前に未乃梨とレイヤードスカートを買いに行った街中のカジュアルな店とは雰囲気から全く違って、華美に寄らない壁や床材の色調やシンプルな店内の照明が、どこかしらかしこまった感じがして千鶴を気後れさせた。
社会人や就活の学生が着るようなメンズのジャケットやパンツやシャツが並ぶ広い店内を母親について歩きながら、千鶴はふと思いついたことを口にした。
「母さん、シャツとかってメンズじゃダメなの? 私、普通の女の子よりでっかいじゃん」
「何言ってるの。あんた、普通より大きいからこそダメなのよ」
レディースのコーナーに辿り着くと、母親は千鶴をスカートが沢山掛かったハンガーラックの前まで引っ張った。どうやら千鶴が着るようなトールサイズのアイテムも揃っているらしく、母親は店員と何やら相談をしていた。その相談が漏れ聞こえて、千鶴には何だか居心地が悪い。
「――ええ。うちの娘、中学に上がった頃にはもう一七〇センチあって。高一の今はもっと高いはずですわ」
「まあ、モデルさんみたいで素敵ですね。それじゃ、採寸をしてみましょうか」
「お願いします。千鶴、サイズ測るって」
「え? あ、はい」
不意に名前を呼ばれて、千鶴はカーテンの向こうの試着室に入っていった。
店員の女性に試着室で着丈や袖丈を測られている間、千鶴は妙に落ち着かなかった。そもそも、今まで冠婚葬祭は制服で出たし、それ以外だと未乃梨と一緒にスカートを買いに行くまでは、サイズが無い事もあって兄の達哉と大して変わらない、メンズのカジュアルが半分近くを占めていた。
落ち着かない様子の千鶴に、店員の女性が話しかけてきた。
「レディースを買いに来られるのは始めてでしょうか?」
「あ、はい。ちょっと発表会でいるんですけど、スカートとか全然持ってなくて」
「まあ、素敵ですね。何か楽器をなさるのですか? それともコーラスとかお歌の方かしら?」
丁寧かつにこやかに問いかける店員に、千鶴は言葉を詰まらせかけた。
「あの、コントラバスっていう、ヴァイオリンのでっかいやつなんですけど……」
「まあ、凄いですね。うち、この辺りのオーケストラの方にもご利用頂いてますから、演奏の衣装でご相談などありましたら、気軽にお声がけくださいね」
「あの、この辺りでオーケストラって……」
千鶴が目を丸くすると、店員の女性はにこやかに答えた。
「そうですねえ、ブラウスみたいに替えの要るアイテムはプロの菅佐野フィルの方がよく買いに来られますよ。あとはアマチュアの楽団の方かしら」
菅佐野フィルの名前を聞いて、千鶴は即座に本条の顔を思い出した。あの、どこか頼もしさも感じる優しそうな女流のコントラバス奏者が、本番用の衣装をここで買い求めているかもしれないと思うと、大人向けでシックな内装で落ち着かない店内が、急に身近に感じられるのだった。
紫ヶ丘高校の音楽室では、フォーレの「ドリー組曲」の木管分奏が進んでいた。
いつもの合奏や分奏と異なり、木管楽器がピアノを取り囲む形でそれぞれのパートが配置された。薄くなりがちな低音部を補うために、顧問の子安はピアノで足りない音を補いながら、指揮をした。
コンクールで紫ヶ丘高校が演奏するのは、全曲で六曲ある「ドリー組曲」のうち三曲で、一番最初の「子守唄」最初から未乃梨の吹く一番フルートが出ずっぱりで、途中からフルートにとっては音色が棘々しくなりやすい高い音域に移ることもあって、ユニゾンになるクラリネットの一番やオーボエを聴いて、音色が混ざりやすくなるように柔らかい息で吹く余裕は持ちにくかった。
子安は、未乃梨一人にフルートを吹かせながら、それに合わせてピアノを弾くと、一度演奏を止めた。
「『ドリー組曲』って、作曲者のフォーレが知り合いのおうちの小さい子のために作った曲なんですよ。さて、小阪さん。第一曲の題ですが」
「『子守唄』、ですよね。これって、もしかして、本当に小さい子を寝かせるために作ったんですか?」
「そうかもしれません。『子守唄』が作曲された時、そのフォーレの知り合いのお子さんはまだ一歳、赤ちゃんだったんですよ。皆さん、赤ちゃんが無事に寝てくれるように、最初のところだけ全部ピアニッシモで吹いてみましょう」
子安はもう一度、ピアノの前に座ったまま右手を上げてから、左手の人差し指を口の前に立てた。その、奇妙というか滑稽な所作に、忍び笑いがそこかしこから聞こえて、未乃梨は眉をひそめた。
「……皆さん、笑っちゃダメですよ。……ちょっとしたことで寝付いたはずの赤ちゃんは起きます。どうか、静粛に」
あくまで真面目に、しかしどこかしらおどけているようにも見える子安の表情を見ながら、未乃梨はフルートを構えたまま妙に思ったことがあった。
(子安先生って赤ちゃんの世話とかした事あるのかな? そういえば、子安先生って結婚してたっけ?)
(続く)
千鶴は母親に引っ張られるようにして車の助手席に乗せられると、服を買いに連れて行かれた。
母親に連れられて、千鶴はレディースを扱うセレクトショップを回った。
ロードサイドに建っていてフォーマルも扱うそのショップは、以前に未乃梨とレイヤードスカートを買いに行った街中のカジュアルな店とは雰囲気から全く違って、華美に寄らない壁や床材の色調やシンプルな店内の照明が、どこかしらかしこまった感じがして千鶴を気後れさせた。
社会人や就活の学生が着るようなメンズのジャケットやパンツやシャツが並ぶ広い店内を母親について歩きながら、千鶴はふと思いついたことを口にした。
「母さん、シャツとかってメンズじゃダメなの? 私、普通の女の子よりでっかいじゃん」
「何言ってるの。あんた、普通より大きいからこそダメなのよ」
レディースのコーナーに辿り着くと、母親は千鶴をスカートが沢山掛かったハンガーラックの前まで引っ張った。どうやら千鶴が着るようなトールサイズのアイテムも揃っているらしく、母親は店員と何やら相談をしていた。その相談が漏れ聞こえて、千鶴には何だか居心地が悪い。
「――ええ。うちの娘、中学に上がった頃にはもう一七〇センチあって。高一の今はもっと高いはずですわ」
「まあ、モデルさんみたいで素敵ですね。それじゃ、採寸をしてみましょうか」
「お願いします。千鶴、サイズ測るって」
「え? あ、はい」
不意に名前を呼ばれて、千鶴はカーテンの向こうの試着室に入っていった。
店員の女性に試着室で着丈や袖丈を測られている間、千鶴は妙に落ち着かなかった。そもそも、今まで冠婚葬祭は制服で出たし、それ以外だと未乃梨と一緒にスカートを買いに行くまでは、サイズが無い事もあって兄の達哉と大して変わらない、メンズのカジュアルが半分近くを占めていた。
落ち着かない様子の千鶴に、店員の女性が話しかけてきた。
「レディースを買いに来られるのは始めてでしょうか?」
「あ、はい。ちょっと発表会でいるんですけど、スカートとか全然持ってなくて」
「まあ、素敵ですね。何か楽器をなさるのですか? それともコーラスとかお歌の方かしら?」
丁寧かつにこやかに問いかける店員に、千鶴は言葉を詰まらせかけた。
「あの、コントラバスっていう、ヴァイオリンのでっかいやつなんですけど……」
「まあ、凄いですね。うち、この辺りのオーケストラの方にもご利用頂いてますから、演奏の衣装でご相談などありましたら、気軽にお声がけくださいね」
「あの、この辺りでオーケストラって……」
千鶴が目を丸くすると、店員の女性はにこやかに答えた。
「そうですねえ、ブラウスみたいに替えの要るアイテムはプロの菅佐野フィルの方がよく買いに来られますよ。あとはアマチュアの楽団の方かしら」
菅佐野フィルの名前を聞いて、千鶴は即座に本条の顔を思い出した。あの、どこか頼もしさも感じる優しそうな女流のコントラバス奏者が、本番用の衣装をここで買い求めているかもしれないと思うと、大人向けでシックな内装で落ち着かない店内が、急に身近に感じられるのだった。
紫ヶ丘高校の音楽室では、フォーレの「ドリー組曲」の木管分奏が進んでいた。
いつもの合奏や分奏と異なり、木管楽器がピアノを取り囲む形でそれぞれのパートが配置された。薄くなりがちな低音部を補うために、顧問の子安はピアノで足りない音を補いながら、指揮をした。
コンクールで紫ヶ丘高校が演奏するのは、全曲で六曲ある「ドリー組曲」のうち三曲で、一番最初の「子守唄」最初から未乃梨の吹く一番フルートが出ずっぱりで、途中からフルートにとっては音色が棘々しくなりやすい高い音域に移ることもあって、ユニゾンになるクラリネットの一番やオーボエを聴いて、音色が混ざりやすくなるように柔らかい息で吹く余裕は持ちにくかった。
子安は、未乃梨一人にフルートを吹かせながら、それに合わせてピアノを弾くと、一度演奏を止めた。
「『ドリー組曲』って、作曲者のフォーレが知り合いのおうちの小さい子のために作った曲なんですよ。さて、小阪さん。第一曲の題ですが」
「『子守唄』、ですよね。これって、もしかして、本当に小さい子を寝かせるために作ったんですか?」
「そうかもしれません。『子守唄』が作曲された時、そのフォーレの知り合いのお子さんはまだ一歳、赤ちゃんだったんですよ。皆さん、赤ちゃんが無事に寝てくれるように、最初のところだけ全部ピアニッシモで吹いてみましょう」
子安はもう一度、ピアノの前に座ったまま右手を上げてから、左手の人差し指を口の前に立てた。その、奇妙というか滑稽な所作に、忍び笑いがそこかしこから聞こえて、未乃梨は眉をひそめた。
「……皆さん、笑っちゃダメですよ。……ちょっとしたことで寝付いたはずの赤ちゃんは起きます。どうか、静粛に」
あくまで真面目に、しかしどこかしらおどけているようにも見える子安の表情を見ながら、未乃梨はフルートを構えたまま妙に思ったことがあった。
(子安先生って赤ちゃんの世話とかした事あるのかな? そういえば、子安先生って結婚してたっけ?)
(続く)
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