三角形のディスコード

阪淳志

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♯90

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 桃花とうか高校が演奏する「Moanin’モーニン」の、ピアノの単音のソロとサックスパートのけだるげなやり取りは、四度繰り返された。次に、今度は同じ気だるげなメロディをトランペットパートが四人で吹くと、唸るような和音をピアノと一緒にギターとエレキベースが立ち上らせて、そのやり取りを再び四度繰り返した。
 千鶴ちづるは、ギターを弾いている織田おりたを思わず目で追った。
 大胆にハイハットとライドシンバルを鳴らすドラムや、縦横に歩き回るような四分音符をはじき出してビートを舞い上がらせていくエレキベースに挟まれて、織田はひたすらギターで必要最低限のコードを小気味良く掻き鳴らしていた。
 トランペットとリズムセクションのやり取りが終わると、間髪を入れずにトランペットパートの短い二つ結びの少女が、織田のギターも含めた四人のリズムセクションの繰り出すビートに乗ってソロを吹き始めた。その少女は、見た目や髪型の可愛らしさから想像もつかないほどスパイスの利いたフレーズを吹いた。
 二つ結びのトランペットの少女が気まぐれのように投げた三連符を、織田は得意気な表情でしっかりと拾って、ギターで模倣した。
 桃花高校の吹奏楽部、というかビッグバンドの中で一切ソロや主旋律を弾いていないにも関わらず、織田はどこまでも楽しげにギターを弾いた。四拍子で掻き鳴らす最低限のコードは、二十人足らずのビッグバンドのメンバー全員を存分に引き立てていた。
 他の吹奏楽部とはまるで違う、荒っぽくすら感じてしまう桃花とうか高校のビッグバンドの奔放な響きの中で、織田のギターはアンサンブルを支えながらそれでも光っていた。。
 ふと、千鶴は両隣に座っている高森たかもり未乃梨みのりを見た。
 高森は織田以外にも注目しているらしく、サックス奏者がソロを取れば全身を耳にしたように聴き入っていたし、ピアノやドラムに何か興味をそそられる動きを見つけると、まるで自分もアルトサックスを持って演奏に加わっているかのように指が恐らく無意識に動いていた。
 未乃梨は当初は千鶴に気安く接していた織田がギターを持って舞台に現れた時は眉を小さくぴくりと動かしていたようにも見えたが、その表情は最初の「Moanin’」のピアノの一音で氷解してしまったらしく、終始身体をビートに合わせて音だけは立てずに小さく揺らしていた。
 桃花高校の演奏が終わると、その予想の範疇を超えていた演奏スタイルや選曲に、千鶴と未乃梨は半ば呆気に取られたように、すっかり感服してしまっていた。
 高森はそんな千鶴と未乃梨を面白がるように振り返った。
「二人とも、生のビッグバンドは初めてだった?」
「凄いことをやってる学校あったんですね……」
 千鶴が嘆息する一方で、未乃梨がふとあることに気付いてもう一度ぴくりと眉を小さく動かした。
「そういえば、桃花高校って女子校なんですか? 演奏してたの、女の子ばっかりでしたけど」
「半分当たりで、半分外れかな。桃花は、戦前は高等女学校で戦後しばらく女子高校だったんだけど、共学になってからも女子の割合の方がずっと多くてね。吹奏楽部も男子が殆ど入部してないんだ」
 高森の説明に、千鶴は「ふーむ」と顎に手をやった。
「女の子しかいない部活なのに、随分攻めたことをやってるんですね?」
「元々合唱とか演劇なんかの文化部が盛んなんだけど、吹奏楽部より軽音部の方が規模が大きかったらしくてね。結局、吹奏楽部が軽音部に吸収されて、コンクールに出ない代わりに学校の外も含めて定期的にジャズやポップスでライブ活動をやってくって方針なんだよ」
「吹奏楽部って、色々あるんですね……。知らなかった」
「そう。清鹿せいろくみたいにコンクールを頑張るところもあるし、うちみたいにまず演奏を楽しむのが第一条件、ってところもあるしね」
 高森の話を聞くうちに、千鶴は少し考え込んでしまった。


 連合演奏会に出演したの全ての高校の演奏が終わってから、客席からバスに戻ろうとした千鶴と未乃梨を呼び止める者があった。
「いたいた。千鶴ちゃん、ちょっといいかな」
 呼び止めたのは、セーラージャケットの制服の少女だった。ワンレングスボブの少女は、先程の桃花高校の演奏でギターを弾いていた織田だった。
「今日はお疲れ様。千鶴ちゃんとそちらの彼女にお願いがあるんだけど、一緒にスマホで画像撮ってもらってもいいかな? 紫ヶ丘ゆかりがおかのベースとフルート、カッコ良かったから、記念にね」
「あの……瑠衣るいさん、私で良いんですか?」
 やや戸惑う千鶴の背中を、相好を崩した未乃梨が押した。
「何言ってるの、一緒に撮るわよ。高森先輩呼んでくるね」
 未乃梨の後ろ姿を見送りながら、織田はくすくすと微笑んだ。
「千鶴ちゃんのお友達、可愛い人だね」
「笑ったりちょっと怒ったり、大変っていうか」
「千鶴ちゃんが男の子だったら、いい彼女になってたかもね?」
「え? それは、その」
 未乃梨に保留したままの返事を思い出して、千鶴は赤くなった。その顔を見上げながら、織田はもう一度微笑んだ。
「冗談だよ。ただ、うちの部員で千鶴ちゃんのファンになっちゃった子が何人かいてね。……男の子だったら付き合いたい、だってさ」
 千鶴は、もう一度赤面した。なんとなく、ある意味で今日の演奏を支えてくれた凛々子りりこのことが、ちらりと千鶴の胸をかすめていた。

(続く)
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