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♯89
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「スプリング・グリーン・マーチ」が最後の和音が堂々と響き渡って、紫ヶ丘高校吹奏楽部の演奏が終止符を迎えた。
千鶴は、コントラバスの肩に手を置いてひと息付きながら、客席からの拍手を浴びる指揮台の子安を見た。
(「鬼の子安」って言われてたなんて……あんなにいつもにこにこしてるのに)
子安は上機嫌で元から立っているコントラバスの千鶴や一部の打楽器パート以外の全員を起立させると、改めて客席に向かって一礼した。その礼儀正しさやいつもの穏やかさと、演奏前に耳にした「鬼の子安」という呼び名が、千鶴にはどうにも結びつかなかった。
千鶴はコントラバスを抱えて舞台から上手側の袖へとはけた。早速、テューバの新木が千鶴をねぎらった。
「吹部の初舞台、お疲れさん。来年はコンクール宜しく頼むわ」
「江崎さん、お疲れ! 良かったよ。これでうちの低音も安泰だね」
ユーフォニアムの植村も、銀色の楽器を抱えながら千鶴に手を振った。
千鶴は二人に「お疲れ様でした!」と返事をした。遅れて舞台からはけた蘇我は千鶴の声に、自分のテューバを抱えたまま驚いた顔をして立ち止まった。その蘇我にも、千鶴は声をかけた。
「蘇我さんも。お疲れ様」
「……お疲れ」
蘇我はどこまでも仏頂面だった。
舞台袖から大リハーサル室に戻ると、思いがけない顔触れが入口で千鶴を待っていた。
アルトサックスを持ったままの高森と話し込んでいた、グレーのセーラージャケットの制服に赤いネクタイの少女が、千鶴の姿を見て黄色い声を上げた。そのワンレングスボブの少女は、間違いなく演奏前の千鶴が話しかけた相手で、千鶴の姿を見ると顔を輝かせた。
「江崎さん、お疲れ様! ベースカッコ良かったよ!」
「わざわざ、ありがとうございます。あの、高森先輩が一緒にライブやったのって……」
高森がワンレングスボブの少女に片目をつむった。
「ああ。こちらは桃花高校二年の織田瑠衣。みんなにはルイ、って呼ばれてるんだよね」
「玲もさ、今日はお行儀良かったね? アドリブとかやっちゃえば良かったのに」
織田が上級生と知って、千鶴はたじろぎかけた。
「織田先輩、道案内なんかさせちゃってすみませんでした」
「別にいいよ。違う学校なんだし、あたしのことはルイって呼んで。君のことも千鶴ちゃんって呼ぶから!」
織田はどこまでも気さくに千鶴に接していた。その織田が、自分の腕時計に目を落とした。
「いっけない、そろそろ準備いかなきゃ。それじゃ玲と千鶴ちゃん、また後でね!」
セーラージャケットの幅広なカラーを翻しながら、織田は小走りで立ち去っていった。
ケースに仕舞ったコントラバスをトラックに片付けながら、千鶴は高森に尋ねた。
「桃花高校の瑠衣さんって人、賑やかでしたね」
「まあね。この後から桃花の出番だし、聴きにいこうか」
「私も行きます。もう、千鶴ったらいつの間にか他校とも仲良くなってるんだから」
トラックの荷台から降りた千鶴の横に、いつの間にか頬をやや膨らませた未乃梨が立っていた。
「お、小阪さんも桃花の演奏、興味ある? 面白いよ」
高森は千鶴と未乃梨の顔を等分に見ながら、面白がるような笑顔を見せた。
プログラムには、「桃花高校吹奏楽部『ブロッサムズ&リーヴズ』」と表記されていた。
ホールの客席で、未乃梨はプログラムと転換中の舞台をかわりばんこに見ながら怪訝な顔をした。転換中の舞台では下手側にグランドピアノやドラムセットが出され、そのすぐ上手側の隣りには管楽器パートのためと思われる山台に置かれた譜面台が横並べて三列、他の吹奏楽部とは明らかに違う形で配置されていた。
「もしかして、桃花高校って……」
「そう。一応吹奏楽部として県の連盟には登録されてるけど、ジャズとポップスが活動のメインなんだ。ほら、瑠衣も管楽器じゃないしね」
高森が指差した先に、舞台袖から先ほど会った織田が出てくるのが見えた。織田はギターを抱えていて、舞台に出されているアンプにギターをシールドで繋ぐと、ピアノの近くの椅子に腰を落ち着けていた。
千鶴は目を丸くした。
「え!? 瑠衣さん、ギターで参加してるんですか?」
「そうだよ。今日はジャズのビッグバンドスタイルだし、バッキングばっかりだろうけど」
ステージに楽器を手にしたセーラージャケットの制服の少女たちが現れて配置についた。管楽器は舞台の手前からサックスとトロンボーンとトランペットがそれぞれ横一列ごとに四人ずつだけで、他の吹奏楽部に比べると楽器の種類も演奏者も明らかに少ない。
その他はというと舞台下手側にいるピアノと、その周りのドラムとギターとエレキベースで、吹奏楽部とは名ばかりの編成であることは千鶴にすら想像に難くなかった。
テナーサックスを持った部員のショートヘアの少女が前に進み出て演奏者全員を振り返ると、指揮者のように空いた右手を上げてピアノに合図を送った。ピアノの前に座った明るめの髪をサイドポニーに結った少女が、単音で気だるげな雰囲気のソロを弾き始めた。そのソロに呼応して、サックスの四人が唸るようなサウンドを吐き出した。
「今年はブレイキーやるなんて、渋いよなあ」
楽しそうな高森に面食らいながら、千鶴はプログラムを見直した。
桃花高校が演奏する曲の名は「Moanin’」とルビの振られた、恐らく教科書に載らない類の英単語が書かれていた。
(続く)
千鶴は、コントラバスの肩に手を置いてひと息付きながら、客席からの拍手を浴びる指揮台の子安を見た。
(「鬼の子安」って言われてたなんて……あんなにいつもにこにこしてるのに)
子安は上機嫌で元から立っているコントラバスの千鶴や一部の打楽器パート以外の全員を起立させると、改めて客席に向かって一礼した。その礼儀正しさやいつもの穏やかさと、演奏前に耳にした「鬼の子安」という呼び名が、千鶴にはどうにも結びつかなかった。
千鶴はコントラバスを抱えて舞台から上手側の袖へとはけた。早速、テューバの新木が千鶴をねぎらった。
「吹部の初舞台、お疲れさん。来年はコンクール宜しく頼むわ」
「江崎さん、お疲れ! 良かったよ。これでうちの低音も安泰だね」
ユーフォニアムの植村も、銀色の楽器を抱えながら千鶴に手を振った。
千鶴は二人に「お疲れ様でした!」と返事をした。遅れて舞台からはけた蘇我は千鶴の声に、自分のテューバを抱えたまま驚いた顔をして立ち止まった。その蘇我にも、千鶴は声をかけた。
「蘇我さんも。お疲れ様」
「……お疲れ」
蘇我はどこまでも仏頂面だった。
舞台袖から大リハーサル室に戻ると、思いがけない顔触れが入口で千鶴を待っていた。
アルトサックスを持ったままの高森と話し込んでいた、グレーのセーラージャケットの制服に赤いネクタイの少女が、千鶴の姿を見て黄色い声を上げた。そのワンレングスボブの少女は、間違いなく演奏前の千鶴が話しかけた相手で、千鶴の姿を見ると顔を輝かせた。
「江崎さん、お疲れ様! ベースカッコ良かったよ!」
「わざわざ、ありがとうございます。あの、高森先輩が一緒にライブやったのって……」
高森がワンレングスボブの少女に片目をつむった。
「ああ。こちらは桃花高校二年の織田瑠衣。みんなにはルイ、って呼ばれてるんだよね」
「玲もさ、今日はお行儀良かったね? アドリブとかやっちゃえば良かったのに」
織田が上級生と知って、千鶴はたじろぎかけた。
「織田先輩、道案内なんかさせちゃってすみませんでした」
「別にいいよ。違う学校なんだし、あたしのことはルイって呼んで。君のことも千鶴ちゃんって呼ぶから!」
織田はどこまでも気さくに千鶴に接していた。その織田が、自分の腕時計に目を落とした。
「いっけない、そろそろ準備いかなきゃ。それじゃ玲と千鶴ちゃん、また後でね!」
セーラージャケットの幅広なカラーを翻しながら、織田は小走りで立ち去っていった。
ケースに仕舞ったコントラバスをトラックに片付けながら、千鶴は高森に尋ねた。
「桃花高校の瑠衣さんって人、賑やかでしたね」
「まあね。この後から桃花の出番だし、聴きにいこうか」
「私も行きます。もう、千鶴ったらいつの間にか他校とも仲良くなってるんだから」
トラックの荷台から降りた千鶴の横に、いつの間にか頬をやや膨らませた未乃梨が立っていた。
「お、小阪さんも桃花の演奏、興味ある? 面白いよ」
高森は千鶴と未乃梨の顔を等分に見ながら、面白がるような笑顔を見せた。
プログラムには、「桃花高校吹奏楽部『ブロッサムズ&リーヴズ』」と表記されていた。
ホールの客席で、未乃梨はプログラムと転換中の舞台をかわりばんこに見ながら怪訝な顔をした。転換中の舞台では下手側にグランドピアノやドラムセットが出され、そのすぐ上手側の隣りには管楽器パートのためと思われる山台に置かれた譜面台が横並べて三列、他の吹奏楽部とは明らかに違う形で配置されていた。
「もしかして、桃花高校って……」
「そう。一応吹奏楽部として県の連盟には登録されてるけど、ジャズとポップスが活動のメインなんだ。ほら、瑠衣も管楽器じゃないしね」
高森が指差した先に、舞台袖から先ほど会った織田が出てくるのが見えた。織田はギターを抱えていて、舞台に出されているアンプにギターをシールドで繋ぐと、ピアノの近くの椅子に腰を落ち着けていた。
千鶴は目を丸くした。
「え!? 瑠衣さん、ギターで参加してるんですか?」
「そうだよ。今日はジャズのビッグバンドスタイルだし、バッキングばっかりだろうけど」
ステージに楽器を手にしたセーラージャケットの制服の少女たちが現れて配置についた。管楽器は舞台の手前からサックスとトロンボーンとトランペットがそれぞれ横一列ごとに四人ずつだけで、他の吹奏楽部に比べると楽器の種類も演奏者も明らかに少ない。
その他はというと舞台下手側にいるピアノと、その周りのドラムとギターとエレキベースで、吹奏楽部とは名ばかりの編成であることは千鶴にすら想像に難くなかった。
テナーサックスを持った部員のショートヘアの少女が前に進み出て演奏者全員を振り返ると、指揮者のように空いた右手を上げてピアノに合図を送った。ピアノの前に座った明るめの髪をサイドポニーに結った少女が、単音で気だるげな雰囲気のソロを弾き始めた。そのソロに呼応して、サックスの四人が唸るようなサウンドを吐き出した。
「今年はブレイキーやるなんて、渋いよなあ」
楽しそうな高森に面食らいながら、千鶴はプログラムを見直した。
桃花高校が演奏する曲の名は「Moanin’」とルビの振られた、恐らく教科書に載らない類の英単語が書かれていた。
(続く)
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