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清鹿学園の演奏が終わると、文化ホールの客席は急に慌ただしく席を立つ他校の吹奏楽部員が多くいた。
千鶴は隣りの席の未乃梨に小声で話しかけた。
「この後も演奏する高校があるのに、なんでみんな出てっちゃうの?」
「この後演奏する学校の子じゃなければ、午前は清鹿学園が目当てで聴きに来てたってことかな。……強豪校以外は聴かなくていい、って思ってる学校、多いんだよね」
未乃梨は残念そうに周りを見回した。ホールの客席は、臙脂色のシートが半分以上見えていた。
次に演奏する高校は、清鹿とは打って変わって二十人あまりの小さな編成で、舞台の上手にいる低音楽器もユーフォニアムとテューバが一人ずつという、簡潔なものだった。
(こんな少ない人数で活動してる学校もあるんだ……)
演奏が始まって、千鶴はその音に引き込まれた。
讃美歌のようにゆっくりと流れる旋律が、穏やかな和音に包まれて静かに流れていく。繰り返されて受け渡される旋律は、音色が変わっているにも関わらず千鶴にはどの楽器が演奏しているのか分からないほど、あまりに自然に混ざりあっていた。
舞台の上手に陣取るユーフォニアムとテューバの奏者は、以前に部活で千鶴を妨害するようにテューバを吹いていた蘇我のような演奏とは真逆の、穏やか極まる音色で最後まで吹いていた。
千鶴はプログラムを見た。演奏していたのは県内にある国立大学の付属高校で、曲目は「カンタベリー・コラール」というらしかった。
まばらな客席に響いたその演奏は、少なくとも午前中に聴いたどの演奏より、千鶴の心に残った。
千鶴のぼんやりとした疑問は、連合演奏会が午前の部を終えて、昼の休憩に入ったあとも残ったままだった。
バスの中で登校する前にコンビニに寄って買ったパンと飲み物の昼食を取りながら、千鶴は全く印象の違う付属高校の「カンタベリー・コラール」と、その他の高校の演奏の違いがどうしても引っ掛かっていた。「その他の高校」には、未乃梨が「強豪校」と呼んでいた清鹿学園も、千鶴の中では含まれていた。
ぬるくなったボトル缶のコーヒーを飲みきったあたりで、演奏前の歯磨きを済ませた未乃梨がバスに戻ってきた。
「ただいま。千鶴、何か考え事?」
「お帰り。……その、午前中に聴いた演奏なんだけど」
「清鹿の? 今年のコンクールにあれ持ってくるんだ、って私はびっくりさせられちゃったけど、凄かったよね」
「それも、なんだけど……その次の付属高校、何か、良かったなって思って」
未乃梨は意外そうな顔をした。
「付属って、確か一学年に二クラスしかいなくて、部活はあんまり力を入れてない学校だったと思うけど……千鶴、やっぱり、あそこが良いって思えた?」
千鶴は「うん」と即答した。
「なんて言うかその、他の高校みたいにただ大きい音を出せばいいみたいなことは考えてない、みたいな?」
「だよねえ。紫ヶ丘も、乱暴な演奏はしないスタイルだし、子安先生も付属みたいなのを目指してるのかな、って私は思っちゃった……あ、そろそろ行かなきゃ」
未乃梨はスマホに目を落とした。そろそろ、楽器や譜面台をトラックから運び出す時間だった。
文化ホールの大リハーサル室に向かう途中、ケースに入ったコントラバスを抱えた千鶴は、自分たちと同じように午後から出番があると思われる他校の女子生徒の三人組とすれ違った。グレーのセーラージャケットに赤いネクタイのその少女たちは、千鶴の姿を見てひそひそ話を始めた。
「……ねえ、午後の最初って紫ヶ丘だっけ?」
「……あそこ、何年か前に鬼の子安が赴任したんでしょ。やっぱり、練習とか厳しいのかな?」
「……ていうか今の弦バスの子、凄くない? 身長でか過ぎでしょ。男子以上じゃん」
少女たちは周り千鶴たちの高校を値踏みしているようだった。顧問の子安のことを話しているのも気にかかったが、それより自分のような規格外の体格の女子も珍しく映ったようだった。
(あの子たち、女子のバスケとかバレーの試合、観たら驚くのかなぁ)
ぼんやりと考えた千鶴は、その少女たちに思い切って話しかけた。
「あの、すみませーん。紫ヶ丘高校の者ですが、……大リハーサル室ってどちらでしょうか?」
つとめてゆっくりと穏やかに千鶴から話しかけられて、少女たちは「えっ!? あっ!?」と甲高い声を上げた。
「あ、あの、この向こうの入口を通って廊下の突き当たりです」
少女たちの一人でワンレングスボブの少女が、代表するように千鶴に答えた。
「ありがとうございます。ちょっと、ここに来るのが初めてなので」
千鶴はコントラバスを抱えたまま一礼すると、その場を辞した。背後から、セーラージャケットの制服の少女たちのひそひそ声がしっかり聞こえていた。
「……ねえ、あの子、カッコ良かったね?」
「……男の子だったら彼女とかいそう。しかも、髪のリボン似合ってるし?」
「……あんな子が弦バス弾くとか最高じゃん……! あ」
後ろのひそひそ声が途切れると同時に、千鶴の前にフルートケースを持った未乃梨が立っていた。
「千鶴、他所の高校の女の子をナンパしてたの?」
「……いや、大リハーサル室の場所がよくわかんなくて」
「もう、楽器のトラックで待ってれば良かったわ。行きましょ」
未乃梨にブレザーの袖をつままれながらコントラバスを抱えて立ち去る千鶴の背後から、今度ははしゃぐような押さえた声が聞こえてきた。
「……え、どういうこと? あのフルートの子と?」
「……女の子なのに彼女がいるの……? しかもめっちゃ可愛い!」
「……めっちゃお似合いじゃない? 準備できたら舞台袖で聴かなきゃ!」
今度は、千鶴と未乃梨が顔を見合わせて溜息をついた。千鶴の顔を見上げる未乃梨の顔は、何故か少しだけ誇らしげだった。
(続く)
千鶴は隣りの席の未乃梨に小声で話しかけた。
「この後も演奏する高校があるのに、なんでみんな出てっちゃうの?」
「この後演奏する学校の子じゃなければ、午前は清鹿学園が目当てで聴きに来てたってことかな。……強豪校以外は聴かなくていい、って思ってる学校、多いんだよね」
未乃梨は残念そうに周りを見回した。ホールの客席は、臙脂色のシートが半分以上見えていた。
次に演奏する高校は、清鹿とは打って変わって二十人あまりの小さな編成で、舞台の上手にいる低音楽器もユーフォニアムとテューバが一人ずつという、簡潔なものだった。
(こんな少ない人数で活動してる学校もあるんだ……)
演奏が始まって、千鶴はその音に引き込まれた。
讃美歌のようにゆっくりと流れる旋律が、穏やかな和音に包まれて静かに流れていく。繰り返されて受け渡される旋律は、音色が変わっているにも関わらず千鶴にはどの楽器が演奏しているのか分からないほど、あまりに自然に混ざりあっていた。
舞台の上手に陣取るユーフォニアムとテューバの奏者は、以前に部活で千鶴を妨害するようにテューバを吹いていた蘇我のような演奏とは真逆の、穏やか極まる音色で最後まで吹いていた。
千鶴はプログラムを見た。演奏していたのは県内にある国立大学の付属高校で、曲目は「カンタベリー・コラール」というらしかった。
まばらな客席に響いたその演奏は、少なくとも午前中に聴いたどの演奏より、千鶴の心に残った。
千鶴のぼんやりとした疑問は、連合演奏会が午前の部を終えて、昼の休憩に入ったあとも残ったままだった。
バスの中で登校する前にコンビニに寄って買ったパンと飲み物の昼食を取りながら、千鶴は全く印象の違う付属高校の「カンタベリー・コラール」と、その他の高校の演奏の違いがどうしても引っ掛かっていた。「その他の高校」には、未乃梨が「強豪校」と呼んでいた清鹿学園も、千鶴の中では含まれていた。
ぬるくなったボトル缶のコーヒーを飲みきったあたりで、演奏前の歯磨きを済ませた未乃梨がバスに戻ってきた。
「ただいま。千鶴、何か考え事?」
「お帰り。……その、午前中に聴いた演奏なんだけど」
「清鹿の? 今年のコンクールにあれ持ってくるんだ、って私はびっくりさせられちゃったけど、凄かったよね」
「それも、なんだけど……その次の付属高校、何か、良かったなって思って」
未乃梨は意外そうな顔をした。
「付属って、確か一学年に二クラスしかいなくて、部活はあんまり力を入れてない学校だったと思うけど……千鶴、やっぱり、あそこが良いって思えた?」
千鶴は「うん」と即答した。
「なんて言うかその、他の高校みたいにただ大きい音を出せばいいみたいなことは考えてない、みたいな?」
「だよねえ。紫ヶ丘も、乱暴な演奏はしないスタイルだし、子安先生も付属みたいなのを目指してるのかな、って私は思っちゃった……あ、そろそろ行かなきゃ」
未乃梨はスマホに目を落とした。そろそろ、楽器や譜面台をトラックから運び出す時間だった。
文化ホールの大リハーサル室に向かう途中、ケースに入ったコントラバスを抱えた千鶴は、自分たちと同じように午後から出番があると思われる他校の女子生徒の三人組とすれ違った。グレーのセーラージャケットに赤いネクタイのその少女たちは、千鶴の姿を見てひそひそ話を始めた。
「……ねえ、午後の最初って紫ヶ丘だっけ?」
「……あそこ、何年か前に鬼の子安が赴任したんでしょ。やっぱり、練習とか厳しいのかな?」
「……ていうか今の弦バスの子、凄くない? 身長でか過ぎでしょ。男子以上じゃん」
少女たちは周り千鶴たちの高校を値踏みしているようだった。顧問の子安のことを話しているのも気にかかったが、それより自分のような規格外の体格の女子も珍しく映ったようだった。
(あの子たち、女子のバスケとかバレーの試合、観たら驚くのかなぁ)
ぼんやりと考えた千鶴は、その少女たちに思い切って話しかけた。
「あの、すみませーん。紫ヶ丘高校の者ですが、……大リハーサル室ってどちらでしょうか?」
つとめてゆっくりと穏やかに千鶴から話しかけられて、少女たちは「えっ!? あっ!?」と甲高い声を上げた。
「あ、あの、この向こうの入口を通って廊下の突き当たりです」
少女たちの一人でワンレングスボブの少女が、代表するように千鶴に答えた。
「ありがとうございます。ちょっと、ここに来るのが初めてなので」
千鶴はコントラバスを抱えたまま一礼すると、その場を辞した。背後から、セーラージャケットの制服の少女たちのひそひそ声がしっかり聞こえていた。
「……ねえ、あの子、カッコ良かったね?」
「……男の子だったら彼女とかいそう。しかも、髪のリボン似合ってるし?」
「……あんな子が弦バス弾くとか最高じゃん……! あ」
後ろのひそひそ声が途切れると同時に、千鶴の前にフルートケースを持った未乃梨が立っていた。
「千鶴、他所の高校の女の子をナンパしてたの?」
「……いや、大リハーサル室の場所がよくわかんなくて」
「もう、楽器のトラックで待ってれば良かったわ。行きましょ」
未乃梨にブレザーの袖をつままれながらコントラバスを抱えて立ち去る千鶴の背後から、今度ははしゃぐような押さえた声が聞こえてきた。
「……え、どういうこと? あのフルートの子と?」
「……女の子なのに彼女がいるの……? しかもめっちゃ可愛い!」
「……めっちゃお似合いじゃない? 準備できたら舞台袖で聴かなきゃ!」
今度は、千鶴と未乃梨が顔を見合わせて溜息をついた。千鶴の顔を見上げる未乃梨の顔は、何故か少しだけ誇らしげだった。
(続く)
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