三角形のディスコード

阪淳志

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♯86

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 県立の文化ホールに着くと、その駐車場には他校のバスや楽器を運搬してきたと思われるトラックが何台も並んでいた。
 バスから降りた紫ヶ丘ゆかりがおか高校の面々を前に、顧問の子安こやすは普段と変わらない様子で伝えた。
「今日の僕らのすることは、あくまで演奏会の出演と鑑賞です。特に、客席で他校の演奏を聴くときはマナーを守ること、ステージに上がる前後は特に舞台袖などで他校やホールスタッフの迷惑にならないように気をつけて下さい。それでは、今日はみんなで演奏を楽しみましょう。では新部長の与田よだ君、この後の段取りをお願いします」
 子安に呼ばれて、目立たなそうな風貌でマッシュルームカットの三年生の男子が進み出た。
「この後ですが、十二時半にここに集合で、それまでは昼食を含めた自由時間とします。その後はホール内の大リハーサル室に楽器や譜面台を搬入して音出しとチューニングで、一時の午後の部の最初がうちの演奏順です。スマホを持ってる人は客席や舞台では電源を切って下さい。以上です」
 与田と呼ばれた三年生が予定を伝えると、紫ヶ丘高校の吹奏楽部員たちは三々五々にその場を離れた。
 千鶴ちづるも、未乃梨みのりに手を引かれてホールの客席に向かった。
 ロビーで未乃梨はプログラムを見ながら、「あ、三番目の演奏、中学の吹部で一緒だった子が行った高校だ」と声を上げた。
清鹿せいろく学園かあ。あそこの吹部って強豪なんだよねえ」
「未乃梨、文化部なのに、強豪とかそういうのあるんだ?」
 不思議そうな千鶴の顔を、未乃梨は「そうだね」と見上げた。
「夏のコンクールで色々成績がついちゃうし、地区とか県とか地方の大会をパスしないと全国大会には出られないし、ね。ほら、あの子たち」
 未乃梨の視線の先には、黒の詰襟の男子や紺のボレロとジャンパースカートの女子の部員が生前と並んで顧問から訓示のような話を受けているのが見えた。話の区切りごとに、「はい!」と大きな返事を揃ってしているのが、千鶴には何か別世界の出来事のように見えた。
「なんか、運動部より凄いね?」
「紫ヶ丘が緩すぎる、のかなあ。今朝のバスの中みたいなのは私もびっくりしちゃったし」
 千鶴はまるで遠足のような雰囲気だった行きのバスの車中のことを思い出していた。定期試験明けで平日なのに授業を公休で欠席できるという開放感があったにしても、随分と緊張感が薄いように千鶴には思えたが、清鹿学園の様子を見ると紫ヶ丘のスタイルも居心地だけは悪くはない気がしてくるのだった。
 未乃梨と一緒に客席につくと、千鶴は改めてプログラムを見た。学校名や高校で吹奏楽部に入った千鶴には初めて見る曲の名前がずらりと並んでいて、千鶴が中学時代に入っていたバスケ部や助っ人に行ったバレー部の対戦表とは雰囲気がまるで違っていた。それでも、運動部の試合のような「成績」があるというのが千鶴の想像の外にあったし、そのコンクールの本番でもない演奏の場で運動部のような振る舞いを見せる学校があるというのも、千鶴には不思議に思えた。


 最初と二番目の高校の演奏が終わると、客席と舞台上の雰囲気が明らかに変わった。刺すような緊張感が、ホールの中を満たした。
 清鹿学園が演奏したのは、日本人の作曲家による「吹奏楽のための詩曲」という、耳慣れないものだった。序盤から盛大に鳴らされる剛直な和音に、千鶴は客席に座ったまま身体を硬直させかけた。
 清鹿学園の演奏はどこまでも硬く圧力の強い音で終始した。途中でクラリネットの群が旋律を受け持つ箇所ははっきりと音量が落ちたが、描かれる旋律はまるでガラスを組み合わせて造った建造物のように奇妙に無機質だった。
 ふと、千鶴は舞台の右端にいる、テューバとコントラバスに目をやった。六十人を優に超える大編成で、テューバ四人の後ろで一人で弾いているコントラバス奏者が、少し気にかかった。
(あれ? コントラバスってあんな風に弾くの?)
 その、千鶴よりかなり身長が低いと思われる女子のコントラバス奏者は、楽器の弦が張ってある表板側を客席に向けて、自分は首を大きく右にひねって顔を無理やり指揮者に向ける姿勢で演奏していた。似た演奏姿勢はコントラバスが編成に入っている高校の多くで見られた。
 千鶴は他にも気になることがあった。
 ほとんどの高校は、紫ヶ丘の吹奏楽部より遥かに音が大きかった。それだけに、大きな音と小さな音をひたすら交代で聴かされているような演奏になっている高校も珍しくなく、未乃梨が強豪校だと言った清鹿学園でさえ似たようなタイプの演奏だった。
 千鶴はもうひとつ、気にかかったことがあった。
(どこの学校も、おっきい音を出せるのは凄いし、それで驚かされるけど……どんな曲だったか、思い出しづらいのは、どうしてなんだろう。私が吹奏楽部に入ったばっかで、曲を知らなくて音楽のこともよくわかんないせいかなあ?)
 千鶴はホールの客席の肘掛けに頬杖をついたまま、ぼんやりと考え込んでいた。

(続く)
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