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目を覚ました千鶴は、見た夢に他人には説明しづらい後ろめたさを感じたまま、起き上がれずにいた。
(どうして未乃梨が出てこないのに、瑞香さんとか智花さんとか、凛々子さんが……!?)
夢の中で凛々子が姿を現したことに、千鶴は混乱していた。
千鶴が枕元のスマホを見ると、いつもの起きる時間より十五分ほど過ぎていた。
(いけない。そろそろ、起きなきゃ……)
制服に着替えると、千鶴は髪も結わずにスマホで未乃梨にメッセージを送った。
――未乃梨、ごめん。寝坊しちゃったから先に音楽室に行ってて
千鶴は慌ててスマホを制服のブレザーのポケットに仕舞うと、スクールバッグと音楽室から借り出していたコントラバスの弓が入った細長いケースを引ったくるように手にして自室を出た。
急ぎ足で家を出てきた千鶴が駅に着くと、いつも未乃梨と一緒に乗っているより一本後の電車がちょうど発車しかけていたところだった。何とか千鶴が車内に滑り込んだところで、千鶴のブレザーのポケットに入ったスマホが震えた。
スマホを取り出すと、千鶴が家を出る前に送ったメッセージの返事が届いていた。
――わかった。また後でね
未乃梨のシンプルな文面の返事に、千鶴は少し安心してしまった。
(よかった。未乃梨は心配してないみたい)
ひと息つくと、千鶴は電車の窓に映った自分の顔を見た。やっと肩に届くかどうかの伸びかけのボブの髪は寝癖こそ付いていないものの、髪を結うヘアゴムとリボンはスカートのポケットに入ったままだった。
(ノーセットで来ちゃった……しまったなあ)
以前に下校中に未乃梨にリボンで髪を結われて以来、千鶴が学校でも家でも髪をショートテイルに結わなかったことはなかった。そのことも、昨夜見た夢の内容に加えて千鶴を未乃梨に対して後ろめたい気持ちにさせていた。
(……別に、未乃梨にはまだ返事をしてなくて、付き合ってるわけじゃないし……でも、ちょっとこれは未乃梨に見せたくない、かも)
千鶴の伸びかけの髪は、思ったより真っ直ぐにまとまっていた。朝陽に照らされながら電車の中で揺れる千鶴の真っ直ぐな黒い髪は、そろそろ少年めいた印象を薄れさせていた。
紫ヶ丘高校の最寄り駅の改札を出た千鶴は、近くのバス停で降りた他の生徒たちと出くわした。千鶴が遅れたとはいえまだ登校には早い時間で、バスから降りた生徒の数は多くはなかった。
その生徒の中に、千鶴のよく知る女子生徒がいた。緩くウェーブの掛かった長い黒髪を背中に流してワインレッドのヴァイオリンケースとスクールバッグを肩から提げたその少女は、千鶴を見つけると歩み寄ってきて、自分より顔ひとつは背の高い千鶴の顔を見上げた。
「おはよう、千鶴さん。今日はひとりなの?」
「……あ、凛々子さん、おはようございます。今日、ちょっとだけ寝坊しちゃって」
「まあ。でも、まだ朝の練習には間に合いそうね?」
凛々子は千鶴に、制服の左の袖口をずらして見せた。十代の少女らしい、千鶴より細くて白い手首に着けられた腕時計の文字盤は、一限目の授業まで優に四十分あまりは時間があることを示していた。
「あ、……そう、ですね」
「どうしたの?」
千鶴は、自分を見つけて近寄ってきた凛々子から、目を離せなくなっていた。髪型も制服姿ですらも少女らしい可愛らしさに満ちあふれるような未乃梨とは正反対の、凛々子の落ち着いて大人びた雰囲気には、千鶴は何故か抗いがたい何かを感じていた。
凛々子は、ぎこちない千鶴にいたずらっぽく微笑してみせた。
「もう。千鶴さんったら、昨日はあんなに堂々と演奏していたのに」
「いえ。まさか、……凛々子さんと出くわすなんて思わなくて」
「あら。私じゃ不満かしら?」
凛々子は、もう一度いたずらっぽく微笑した。千鶴は、自分の頬が急速に熱を帯びだしているのを感じていた。
(ゆうべの夢でも、凛々子さんってこんな風に笑ってたっけ……!?)
急に思い出した夢のことを言うわけにもいかず、千鶴は「べ、別にそんな訳じゃ」としどろもどろに答えた。
凛々子の返答は意外だった。
「そう。じゃ、急がないと、ね」
千鶴の手を、凛々子がそっと握って引いた。並の同年代の男の子より大きな千鶴の手を引く凛々子の小さな手は決して強くはなかった。それでも、千鶴は凛々子にされるがままに手を引かれて、校門へと歩き出した。
凛々子は歩きながら、手を引いている千鶴の顔をもう一度見上げた。
「今日は髪を結ってないのね?」
「……その、寝坊してそんな暇もなかったですから」
「でも、綺麗にまとまってるわよ。千鶴さんのそのストレートの髪、素敵よ」
「えっと、はい……」
「音楽室に着いたら、未乃梨さんに結ってもらわなきゃね?」
「……それは、その……」
千鶴は思わず周りを見た。まだ数が少ない他の登校してきた生徒も、凛々子に手を引かれた千鶴を気にはしていないようだったが、今このときばかりは千鶴は自分の女の子離れした長身を恥ずかしく思った。
ずいぶん長く感じる駅からの道のりを過ぎて校門に着くと、凛々子の手が千鶴の手からふわりと離れた。
「それじゃ、朝の練習に行ってらっしゃい。また、放課後にね」
「は、はい」
千鶴は凛々子に小さく一礼すると、そのまま振り向きもせずに未乃梨が待っているであろう音楽室へと早足で向かっていった。
(続く)
(どうして未乃梨が出てこないのに、瑞香さんとか智花さんとか、凛々子さんが……!?)
夢の中で凛々子が姿を現したことに、千鶴は混乱していた。
千鶴が枕元のスマホを見ると、いつもの起きる時間より十五分ほど過ぎていた。
(いけない。そろそろ、起きなきゃ……)
制服に着替えると、千鶴は髪も結わずにスマホで未乃梨にメッセージを送った。
――未乃梨、ごめん。寝坊しちゃったから先に音楽室に行ってて
千鶴は慌ててスマホを制服のブレザーのポケットに仕舞うと、スクールバッグと音楽室から借り出していたコントラバスの弓が入った細長いケースを引ったくるように手にして自室を出た。
急ぎ足で家を出てきた千鶴が駅に着くと、いつも未乃梨と一緒に乗っているより一本後の電車がちょうど発車しかけていたところだった。何とか千鶴が車内に滑り込んだところで、千鶴のブレザーのポケットに入ったスマホが震えた。
スマホを取り出すと、千鶴が家を出る前に送ったメッセージの返事が届いていた。
――わかった。また後でね
未乃梨のシンプルな文面の返事に、千鶴は少し安心してしまった。
(よかった。未乃梨は心配してないみたい)
ひと息つくと、千鶴は電車の窓に映った自分の顔を見た。やっと肩に届くかどうかの伸びかけのボブの髪は寝癖こそ付いていないものの、髪を結うヘアゴムとリボンはスカートのポケットに入ったままだった。
(ノーセットで来ちゃった……しまったなあ)
以前に下校中に未乃梨にリボンで髪を結われて以来、千鶴が学校でも家でも髪をショートテイルに結わなかったことはなかった。そのことも、昨夜見た夢の内容に加えて千鶴を未乃梨に対して後ろめたい気持ちにさせていた。
(……別に、未乃梨にはまだ返事をしてなくて、付き合ってるわけじゃないし……でも、ちょっとこれは未乃梨に見せたくない、かも)
千鶴の伸びかけの髪は、思ったより真っ直ぐにまとまっていた。朝陽に照らされながら電車の中で揺れる千鶴の真っ直ぐな黒い髪は、そろそろ少年めいた印象を薄れさせていた。
紫ヶ丘高校の最寄り駅の改札を出た千鶴は、近くのバス停で降りた他の生徒たちと出くわした。千鶴が遅れたとはいえまだ登校には早い時間で、バスから降りた生徒の数は多くはなかった。
その生徒の中に、千鶴のよく知る女子生徒がいた。緩くウェーブの掛かった長い黒髪を背中に流してワインレッドのヴァイオリンケースとスクールバッグを肩から提げたその少女は、千鶴を見つけると歩み寄ってきて、自分より顔ひとつは背の高い千鶴の顔を見上げた。
「おはよう、千鶴さん。今日はひとりなの?」
「……あ、凛々子さん、おはようございます。今日、ちょっとだけ寝坊しちゃって」
「まあ。でも、まだ朝の練習には間に合いそうね?」
凛々子は千鶴に、制服の左の袖口をずらして見せた。十代の少女らしい、千鶴より細くて白い手首に着けられた腕時計の文字盤は、一限目の授業まで優に四十分あまりは時間があることを示していた。
「あ、……そう、ですね」
「どうしたの?」
千鶴は、自分を見つけて近寄ってきた凛々子から、目を離せなくなっていた。髪型も制服姿ですらも少女らしい可愛らしさに満ちあふれるような未乃梨とは正反対の、凛々子の落ち着いて大人びた雰囲気には、千鶴は何故か抗いがたい何かを感じていた。
凛々子は、ぎこちない千鶴にいたずらっぽく微笑してみせた。
「もう。千鶴さんったら、昨日はあんなに堂々と演奏していたのに」
「いえ。まさか、……凛々子さんと出くわすなんて思わなくて」
「あら。私じゃ不満かしら?」
凛々子は、もう一度いたずらっぽく微笑した。千鶴は、自分の頬が急速に熱を帯びだしているのを感じていた。
(ゆうべの夢でも、凛々子さんってこんな風に笑ってたっけ……!?)
急に思い出した夢のことを言うわけにもいかず、千鶴は「べ、別にそんな訳じゃ」としどろもどろに答えた。
凛々子の返答は意外だった。
「そう。じゃ、急がないと、ね」
千鶴の手を、凛々子がそっと握って引いた。並の同年代の男の子より大きな千鶴の手を引く凛々子の小さな手は決して強くはなかった。それでも、千鶴は凛々子にされるがままに手を引かれて、校門へと歩き出した。
凛々子は歩きながら、手を引いている千鶴の顔をもう一度見上げた。
「今日は髪を結ってないのね?」
「……その、寝坊してそんな暇もなかったですから」
「でも、綺麗にまとまってるわよ。千鶴さんのそのストレートの髪、素敵よ」
「えっと、はい……」
「音楽室に着いたら、未乃梨さんに結ってもらわなきゃね?」
「……それは、その……」
千鶴は思わず周りを見た。まだ数が少ない他の登校してきた生徒も、凛々子に手を引かれた千鶴を気にはしていないようだったが、今このときばかりは千鶴は自分の女の子離れした長身を恥ずかしく思った。
ずいぶん長く感じる駅からの道のりを過ぎて校門に着くと、凛々子の手が千鶴の手からふわりと離れた。
「それじゃ、朝の練習に行ってらっしゃい。また、放課後にね」
「は、はい」
千鶴は凛々子に小さく一礼すると、そのまま振り向きもせずに未乃梨が待っているであろう音楽室へと早足で向かっていった。
(続く)
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