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帰宅してから、千鶴は普段と変わらないように振る舞った。
夕飯の食卓に出た牛すじと大根の煮込みで白米を二回もお代わりしてしまったし、風呂上がりの父親に肩揉みを頼まれて力いっぱいツボを押してしまい痛がらせてしまったりと、いつもの団欒があった。
千鶴は母親に呆れられていた。
「全く。あんた、お父さんより身長も腕力もあるんだから少しは加減なさいな」
「だって、父さん五十肩がひどいってぼやいてるんだもん」
「力任せに押せば良いってもんじゃないのよ。ほら、変わんなさい」
母親は千鶴を立ち退かせると、居間で胡座をかいてテレビを観ている父親の肩から肩甲骨にかけてを順番に親指で押していった。
「おおお、母さんの指圧は効くなあ」
「全く、あなたも娘に肩なんか揉ませてないで、たまには病院でも行ってらっしゃい。相変わらずお医者さんが苦手なんだから」
「そいつは言わない約束で、おおおおお」
愚痴をこぼす母親と、肩や首や背中のツボを押されてうめき声を上げる父親を微笑ましく思いつつ、千鶴は「お風呂入ってくる」と二人に告げて引っ込んだ。
浴槽に身体を沈めると、千鶴は今日あったことをゆっくり思い返した。
(色んなことが、あったなあ。朝の低音パートのセクション練習とか、昼休みに屋上で未乃梨に告白されたこととか、凛々子さんに放課後に話を聞いてもらったこと、とか)
千鶴は中学に上がった辺りから急に狭く感じるようになった浴槽に浸かったままで、凛々子に教わったように両手を組んでから両腕をゆっくり頭上に延ばした。身体を温めながら動かすと、やはり筋肉や関節のほぐれ方も少し違ってくるようだった。
浴槽から上がって髪をシャンプーで洗いながら、千鶴は指の間を通る髪の感触がほんの一ヶ月前の、中学生だった頃と明らかに違うことに気付いた。
(やっぱり、伸びてるなあ。でも、何だかんだでみんな伸ばしたほうがいいって言うんだよね……未乃梨も、凛々子さんも)
千鶴の黒い髪は、このまま切らなければ夏休み明けにはそろそろ肩に届きそうだった。未乃梨のように細くて可愛らしく遊ぶ軽さがあるわけでも、凛々子のように緩くウェーブが掛かってボリューム感が出るわけでもなさそうな太くて真っ直ぐな髪は、伸ばしたらどうなるのか見当もつかなかった。
髪をリンスで手入れをしてから身体を洗い流すと、千鶴はもう一度浴槽に軽く浸かってから浴室を出た。素肌に直接寝間着代わりのシャツを着そうになって、千鶴は思わずキャミソールを取り上げた。
(いっけない。小学校のとき母さんにはしたないってたしなめられたっけ)
並の男子以上に背が伸びたとはいえ、千鶴の身体は少女らしい起伏が生まれていた。
(身長が同じだったら未乃梨とか凛々子さんほどじゃないんだよね……未乃梨、こんな私でいいのかなあ)
昼休みに未乃梨に抱きつかれた時の感触は、まだ千鶴の中に残っていた。それを思い出すたびに、千鶴は未乃梨への割り切れない気持ちを思い出すのだった。
自室に引っ込むと、千鶴はなんとはなしにスマホを見つめた。
今までのように、未乃梨とスマホでメッセージを気軽にやり取りすることが、千鶴には気が引けた。
(今、未乃梨にメッセージなんか送ったら、余計な期待をさせちゃうよね。……私の「好き」の気持ちは、未乃梨の「好き」と同じかどうかは、まだわからないのに)
千鶴は、スマホのアドレス帳の「小阪未乃梨」という名前を改めて見直した。その数行下の、「仙道凛々子」という名前が目に入って、千鶴は奇妙に気持ちが揺らいだ。
(凛々子さん、先輩っていうより、先生みたいっていうか、お姉さんみたいっていうか……未乃梨ともなんか違うよね)
凛々子は、未乃梨のように千鶴の身体に積極的に触れてくることはほとんどなかった。それだけに、凛々子の大人びた笑顔や緩くウェーブの掛かった長い黒髪はどこか千鶴を惹きつけていたし、違う学年ではあっても親身になって千鶴に接してくれる凛々子に、千鶴は優しさを感じてもいた。
凛々子の言葉が、ふと千鶴に思い出された。
――私、その子はあなたがそういう風に考えてくれる、優しい部分を好きになったんじゃないか、って思うの
(でも、そう言ってくれる凛々子さんだって、優しいんだよ。私が誰に告白されたかってこと、聞かないでいてくれたから。あの体操だって、私のことを気にかけてくれたから、だし)
放課後にコントラバスの調弦すら手間取っている千鶴を見かねて、「ヴァイオリン体操」という身体の動かし方を教えてくれた凛々子は、確かに凛々子をどこかで気遣った故の行動だと、千鶴にもわかっていた。その、たった一つ上の学年の少女が自分に向ける優しさは、いつの間にか千鶴の身近になっていた。
(私、凛々子さんに甘えちゃってるのかな。……しかも告白してきた私には告白してきた女の子がいるのに、そのことを秘密にして、別の女の子に甘えてるなんて)
千鶴は学習机の椅子に座ったまま、頬杖をついた。
その時、千鶴のスマホがメッセージの着信を告げた。差出人は、未乃梨だった。
――千鶴、ちょっといい?
千鶴は、スマホを見て一瞬だけ固まった。
(続く)
夕飯の食卓に出た牛すじと大根の煮込みで白米を二回もお代わりしてしまったし、風呂上がりの父親に肩揉みを頼まれて力いっぱいツボを押してしまい痛がらせてしまったりと、いつもの団欒があった。
千鶴は母親に呆れられていた。
「全く。あんた、お父さんより身長も腕力もあるんだから少しは加減なさいな」
「だって、父さん五十肩がひどいってぼやいてるんだもん」
「力任せに押せば良いってもんじゃないのよ。ほら、変わんなさい」
母親は千鶴を立ち退かせると、居間で胡座をかいてテレビを観ている父親の肩から肩甲骨にかけてを順番に親指で押していった。
「おおお、母さんの指圧は効くなあ」
「全く、あなたも娘に肩なんか揉ませてないで、たまには病院でも行ってらっしゃい。相変わらずお医者さんが苦手なんだから」
「そいつは言わない約束で、おおおおお」
愚痴をこぼす母親と、肩や首や背中のツボを押されてうめき声を上げる父親を微笑ましく思いつつ、千鶴は「お風呂入ってくる」と二人に告げて引っ込んだ。
浴槽に身体を沈めると、千鶴は今日あったことをゆっくり思い返した。
(色んなことが、あったなあ。朝の低音パートのセクション練習とか、昼休みに屋上で未乃梨に告白されたこととか、凛々子さんに放課後に話を聞いてもらったこと、とか)
千鶴は中学に上がった辺りから急に狭く感じるようになった浴槽に浸かったままで、凛々子に教わったように両手を組んでから両腕をゆっくり頭上に延ばした。身体を温めながら動かすと、やはり筋肉や関節のほぐれ方も少し違ってくるようだった。
浴槽から上がって髪をシャンプーで洗いながら、千鶴は指の間を通る髪の感触がほんの一ヶ月前の、中学生だった頃と明らかに違うことに気付いた。
(やっぱり、伸びてるなあ。でも、何だかんだでみんな伸ばしたほうがいいって言うんだよね……未乃梨も、凛々子さんも)
千鶴の黒い髪は、このまま切らなければ夏休み明けにはそろそろ肩に届きそうだった。未乃梨のように細くて可愛らしく遊ぶ軽さがあるわけでも、凛々子のように緩くウェーブが掛かってボリューム感が出るわけでもなさそうな太くて真っ直ぐな髪は、伸ばしたらどうなるのか見当もつかなかった。
髪をリンスで手入れをしてから身体を洗い流すと、千鶴はもう一度浴槽に軽く浸かってから浴室を出た。素肌に直接寝間着代わりのシャツを着そうになって、千鶴は思わずキャミソールを取り上げた。
(いっけない。小学校のとき母さんにはしたないってたしなめられたっけ)
並の男子以上に背が伸びたとはいえ、千鶴の身体は少女らしい起伏が生まれていた。
(身長が同じだったら未乃梨とか凛々子さんほどじゃないんだよね……未乃梨、こんな私でいいのかなあ)
昼休みに未乃梨に抱きつかれた時の感触は、まだ千鶴の中に残っていた。それを思い出すたびに、千鶴は未乃梨への割り切れない気持ちを思い出すのだった。
自室に引っ込むと、千鶴はなんとはなしにスマホを見つめた。
今までのように、未乃梨とスマホでメッセージを気軽にやり取りすることが、千鶴には気が引けた。
(今、未乃梨にメッセージなんか送ったら、余計な期待をさせちゃうよね。……私の「好き」の気持ちは、未乃梨の「好き」と同じかどうかは、まだわからないのに)
千鶴は、スマホのアドレス帳の「小阪未乃梨」という名前を改めて見直した。その数行下の、「仙道凛々子」という名前が目に入って、千鶴は奇妙に気持ちが揺らいだ。
(凛々子さん、先輩っていうより、先生みたいっていうか、お姉さんみたいっていうか……未乃梨ともなんか違うよね)
凛々子は、未乃梨のように千鶴の身体に積極的に触れてくることはほとんどなかった。それだけに、凛々子の大人びた笑顔や緩くウェーブの掛かった長い黒髪はどこか千鶴を惹きつけていたし、違う学年ではあっても親身になって千鶴に接してくれる凛々子に、千鶴は優しさを感じてもいた。
凛々子の言葉が、ふと千鶴に思い出された。
――私、その子はあなたがそういう風に考えてくれる、優しい部分を好きになったんじゃないか、って思うの
(でも、そう言ってくれる凛々子さんだって、優しいんだよ。私が誰に告白されたかってこと、聞かないでいてくれたから。あの体操だって、私のことを気にかけてくれたから、だし)
放課後にコントラバスの調弦すら手間取っている千鶴を見かねて、「ヴァイオリン体操」という身体の動かし方を教えてくれた凛々子は、確かに凛々子をどこかで気遣った故の行動だと、千鶴にもわかっていた。その、たった一つ上の学年の少女が自分に向ける優しさは、いつの間にか千鶴の身近になっていた。
(私、凛々子さんに甘えちゃってるのかな。……しかも告白してきた私には告白してきた女の子がいるのに、そのことを秘密にして、別の女の子に甘えてるなんて)
千鶴は学習机の椅子に座ったまま、頬杖をついた。
その時、千鶴のスマホがメッセージの着信を告げた。差出人は、未乃梨だった。
――千鶴、ちょっといい?
千鶴は、スマホを見て一瞬だけ固まった。
(続く)
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