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♯54
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千鶴が未乃梨の後ろ姿が夕闇に紛れるぐらいに離れるまで見送った、その一時間あまり前。
凛々子は、校門で千鶴と未乃梨を見送ると、いつもの通学路のバス停に足を運んだ。
(千鶴さんが私と未乃梨さんのカノジョ、か。……悪くないかしら、ね)
未乃梨の「千鶴は凛々子さんにはあげません」という発言も含めて、千鶴や未乃梨と関わることが、凛々子にはやはり楽しくなってきていた。
(一度、本当に千鶴さんをお茶にでも誘ってみようかしら)
制服を着てコントラバスを弾いている時以外の千鶴に、凛々子は興味が出てきていた。そして、凛々子には別の興味も生まれつつあった。
(瑞香さんのいるヴィオラや智花さんのいるチェロの後ろの何処かで、もし、千鶴さんが座っていたら。そんな姿が、コンサートミストレスの席にいる私から見えたなら)
いつの間にか、凛々子は千鶴が星の宮のユースオーケストラに混ざっている姿を容易に思い浮かべられるようになっていた。
(「カノン」も「G線上のアリア」も「主よ、人の望みの喜びよ」も簡単だけど、千鶴さんはもうコントラバスとして必要なことが合奏でできつつある……それなら、後は)
バス停にやってきたバスに乗り込んでからも、凛々子の空想は止まらなかった。
(あの子……千鶴さんのこと、どうしてこんなに気にしてしまうのかしら。千鶴さんは男の子ではないのにね)
まだ荒削りながら頼もしくコントラバスを弾き、時に自分や未乃梨に困惑することもありつつ、時にその大きな手で自分をエスコートしてくれたこともあった最近伸びてきたボブの髪をリボンで可愛らしく結っている並の同年代の男子より長身の明るい少女。そんな千鶴の存在が、凛々子には心地良くなりつつあった。
(私が女の子同士で恋をすることがあるとしたら、こんなところから始まるのかもね)
凛々子は、バスの窓の外を流れる夕景を見ながら微笑しかけた。
帰宅して夕飯と入浴を済ませてから、千鶴は自室のベッドに座り込んだ。
(未乃梨、確かにちょっと変だった、かも)
千鶴と腕を組んだ時に妙に身体を寄せてきたり、別れ際に正面から抱きついてきたり、と未乃梨は積極的すぎるというか、何か余裕のない様子すら、千鶴には感じられた。
千鶴は、帰り道で未乃梨が自分に向けた言葉を思い出した。
――カノジョにするなら、私と凛々子さん、どっちがいい?
――心配なの。中学から、千鶴って女子にも人気だったもん。
(未乃梨、私が凛々子さんと関わるの、そんなに気にしてたんだ)
千鶴は、未乃梨の弱々しく動く唇や、自分の二の腕に押し付けられるように触れた制服越しの未乃梨のふくらみの感触を思い返して、息が止まりそうになるほど驚いた。そして、今日の練習で未乃梨に右腕に抱きつかれた時に、凛々子に左肩に手を置かれたことも思い出して、千鶴はびくりと身体をこわばらせた。
(私、どうして二人に同時にあんなことをされても、気にもしないでいられたんだろう。未乃梨がいる時に、凛々子さんに肩を触られて平気だなんて、それって未乃梨にとって残酷だったのかも……でも)
そこで、ある可能性にたどり着いて、千鶴は汗をかいているわけでもない額に手の甲を当てた。
(……もしも、凛々子さんが同じことを考えていたら)
誰も弦楽器に詳しい者がいない吹奏楽部で一人で練習している千鶴のもとに、毎日のようにヴァイオリンを手に現れては練習を見てくれた凛々子は、一度夕方暗くなった階段を下りる時に千鶴の手を借りたことがあった。手を貸したのは千鶴からだったとはいえ、凛々子は千鶴にまったくためらいもなく自分の手を預けて、結局校舎までそのまま千鶴と歩いたのだった。
その時、未乃梨から貰ったリボンで髪を結っていたことを思い出して、千鶴の心臓が高鳴った。
(凛々子さん、あのリボンを未乃梨が着けてるところを一度くらいは見てるはず……なのに、私はあんなことを)
千鶴は顔を振って物思いを断ち切ろうとした。部屋の灯りを消して、ベッドの中に潜り込む。
目を閉じた千鶴の瞼の裏に、未乃梨と凛々子の姿が浮かんでは消えた。
フルートを吹く未乃梨と、ヴァイオリンを弾く凛々子が。
未乃梨のリボンをあしらった明るめのセミロングの髪と、凛々子の緩くウェーブのかかった背中まである黒髪が。
笑ったり、怒ったり、戸惑ったりと忙しい未乃梨の表情と、いつも余裕のある態度を崩さずに自分に微笑みかけてくることも珍しくない凛々子の表情が。
対照的ですらある二人の少女の姿は、千鶴が夢の中に沈んでも消えなかった。
翌朝、千鶴はいつもより三十分ほど早い時間に家を出た。母親は「文化部の朝練だなんて、女の子らしくなったわねえ」と溜め息をつき、出勤前の父親は「まあ、夜遊びや悪さを覚えるよりはマシか」と欠伸を漏らしていた。
駅に着く頃には、未乃梨からスマホにメッセージが届いていた。
――低音のセクション練習、頑張ってね!
あまりにシンプルな文面が、未乃梨も昨晩思い悩んでいたことの証拠のように思えて、千鶴は気持ちが沈みかけた。
――行ってきます。それじゃ、また、部活でね
――教室で、でしょ? 後でハグ一回ね!
元気に見える未乃梨からの返信に苦笑いしつつ、千鶴は電車に乗り込んだ。
(続く)
凛々子は、校門で千鶴と未乃梨を見送ると、いつもの通学路のバス停に足を運んだ。
(千鶴さんが私と未乃梨さんのカノジョ、か。……悪くないかしら、ね)
未乃梨の「千鶴は凛々子さんにはあげません」という発言も含めて、千鶴や未乃梨と関わることが、凛々子にはやはり楽しくなってきていた。
(一度、本当に千鶴さんをお茶にでも誘ってみようかしら)
制服を着てコントラバスを弾いている時以外の千鶴に、凛々子は興味が出てきていた。そして、凛々子には別の興味も生まれつつあった。
(瑞香さんのいるヴィオラや智花さんのいるチェロの後ろの何処かで、もし、千鶴さんが座っていたら。そんな姿が、コンサートミストレスの席にいる私から見えたなら)
いつの間にか、凛々子は千鶴が星の宮のユースオーケストラに混ざっている姿を容易に思い浮かべられるようになっていた。
(「カノン」も「G線上のアリア」も「主よ、人の望みの喜びよ」も簡単だけど、千鶴さんはもうコントラバスとして必要なことが合奏でできつつある……それなら、後は)
バス停にやってきたバスに乗り込んでからも、凛々子の空想は止まらなかった。
(あの子……千鶴さんのこと、どうしてこんなに気にしてしまうのかしら。千鶴さんは男の子ではないのにね)
まだ荒削りながら頼もしくコントラバスを弾き、時に自分や未乃梨に困惑することもありつつ、時にその大きな手で自分をエスコートしてくれたこともあった最近伸びてきたボブの髪をリボンで可愛らしく結っている並の同年代の男子より長身の明るい少女。そんな千鶴の存在が、凛々子には心地良くなりつつあった。
(私が女の子同士で恋をすることがあるとしたら、こんなところから始まるのかもね)
凛々子は、バスの窓の外を流れる夕景を見ながら微笑しかけた。
帰宅して夕飯と入浴を済ませてから、千鶴は自室のベッドに座り込んだ。
(未乃梨、確かにちょっと変だった、かも)
千鶴と腕を組んだ時に妙に身体を寄せてきたり、別れ際に正面から抱きついてきたり、と未乃梨は積極的すぎるというか、何か余裕のない様子すら、千鶴には感じられた。
千鶴は、帰り道で未乃梨が自分に向けた言葉を思い出した。
――カノジョにするなら、私と凛々子さん、どっちがいい?
――心配なの。中学から、千鶴って女子にも人気だったもん。
(未乃梨、私が凛々子さんと関わるの、そんなに気にしてたんだ)
千鶴は、未乃梨の弱々しく動く唇や、自分の二の腕に押し付けられるように触れた制服越しの未乃梨のふくらみの感触を思い返して、息が止まりそうになるほど驚いた。そして、今日の練習で未乃梨に右腕に抱きつかれた時に、凛々子に左肩に手を置かれたことも思い出して、千鶴はびくりと身体をこわばらせた。
(私、どうして二人に同時にあんなことをされても、気にもしないでいられたんだろう。未乃梨がいる時に、凛々子さんに肩を触られて平気だなんて、それって未乃梨にとって残酷だったのかも……でも)
そこで、ある可能性にたどり着いて、千鶴は汗をかいているわけでもない額に手の甲を当てた。
(……もしも、凛々子さんが同じことを考えていたら)
誰も弦楽器に詳しい者がいない吹奏楽部で一人で練習している千鶴のもとに、毎日のようにヴァイオリンを手に現れては練習を見てくれた凛々子は、一度夕方暗くなった階段を下りる時に千鶴の手を借りたことがあった。手を貸したのは千鶴からだったとはいえ、凛々子は千鶴にまったくためらいもなく自分の手を預けて、結局校舎までそのまま千鶴と歩いたのだった。
その時、未乃梨から貰ったリボンで髪を結っていたことを思い出して、千鶴の心臓が高鳴った。
(凛々子さん、あのリボンを未乃梨が着けてるところを一度くらいは見てるはず……なのに、私はあんなことを)
千鶴は顔を振って物思いを断ち切ろうとした。部屋の灯りを消して、ベッドの中に潜り込む。
目を閉じた千鶴の瞼の裏に、未乃梨と凛々子の姿が浮かんでは消えた。
フルートを吹く未乃梨と、ヴァイオリンを弾く凛々子が。
未乃梨のリボンをあしらった明るめのセミロングの髪と、凛々子の緩くウェーブのかかった背中まである黒髪が。
笑ったり、怒ったり、戸惑ったりと忙しい未乃梨の表情と、いつも余裕のある態度を崩さずに自分に微笑みかけてくることも珍しくない凛々子の表情が。
対照的ですらある二人の少女の姿は、千鶴が夢の中に沈んでも消えなかった。
翌朝、千鶴はいつもより三十分ほど早い時間に家を出た。母親は「文化部の朝練だなんて、女の子らしくなったわねえ」と溜め息をつき、出勤前の父親は「まあ、夜遊びや悪さを覚えるよりはマシか」と欠伸を漏らしていた。
駅に着く頃には、未乃梨からスマホにメッセージが届いていた。
――低音のセクション練習、頑張ってね!
あまりにシンプルな文面が、未乃梨も昨晩思い悩んでいたことの証拠のように思えて、千鶴は気持ちが沈みかけた。
――行ってきます。それじゃ、また、部活でね
――教室で、でしょ? 後でハグ一回ね!
元気に見える未乃梨からの返信に苦笑いしつつ、千鶴は電車に乗り込んだ。
(続く)
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