三角形のディスコード

阪淳志

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♯50

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 驚いた様子の千鶴ちづる未乃梨みのりに、高森たかもりは困ったように笑って見せた。
「こいつを蘇我そがさんに見られたらどうなってたやら、ね」
 高森は吹いていたアルトサックスを見せた。それには、演奏する時に口でくわえるマウスピースが銀色のものが取り付けられていた。
「え? メタルのマウスピースですか!? これで吹部の練習も?」
「メタル? 何か違うの?」
 目を丸くする未乃梨に、千鶴が不思議そうに尋ねた。
「普通は黒いプラスチックのマウスピースが多いんだけど、ジャズとかポップスだともっと固い音になるメタルのを使う、って聞いたことがあるわ」
「半分だけ当たり。メタルのマッピは反応が早くて目立ちやすい音になるけど、加減さえ掴めば少しの力で遠くまで響いてくれるのさ」
 高森はメタルのマウスピースを付けたアルトサックスでメロディを吹いた。それは、千鶴でも知っている、夢見るような優しい音だった。
「これ、アニメの映画で流れてたやつですよね?」
「そう。『星に願いを』だね。メタルだってこういう演奏はできるんだよ。それに」
 高森は、音楽室に来たばかりでまだ開けていない未乃梨のフルートケースを指差した。
「フルートだって、木の楽器も金属の楽器も当たり前に使われているよね? 演奏者が自分の吹き方に合った材質の楽器を自由に選べばいい、って私は思うけど」
「……言われてみれば、フルートって元は木で出来た楽器だし、そうですよね」
 頷く未乃梨に、高森はもう一度困ったように笑った。
「校則で取り締まってないことに噛み付くぐらいだし、蘇我さんってそういうことにも口を挟んで来るタイプかもしれないね」
 千鶴はリボンで結ったショートテイルの髪の根本を掻いた。
「蘇我さん、そこまで面倒臭いんだ……」
「真面目ではあるんだよ。うちの高校の吹部みたいに緩い部活に来て、その真面目さが時々変な方向に向いちゃってるだけさ」
 そう言うと、高森は再び個人練習に戻った。メタルのマウスピースを着けたアルトサックスで吹く、弱い音の音階練習は、芯の通った穏やかで折り目正しい音だった。
 そんな、ただの音階だけで思わず聴いてしまう高森が、アシンメトリーのショートボブに黄色いメッシュを入れて、耳にはピアスまで入れているのが、千鶴と未乃梨にはやはり少しだけ不思議でもあった。


 朝の練習を終えて教室に向かう途中、千鶴は「そういえば」と未乃梨に尋ねた。
「未乃梨、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「中学の時、吹部って運動部みたいにグラウンド走ってなかった? 廊下で並んで腹筋やったりとかさ」
 未乃梨は、「うーん、実はね」と眉尻を下げた。
「昔は肺活量が鍛えられるから、っていう理由でやってたんだけど、管楽器を吹くのにあんまり意味がない、っていう意見も出てきて、やらない学校が結構増えてるかな」
「そうなんだ。……コントラバス、腕立て伏せとかやらなきゃいけないのかなって思っちゃってた」
「いらないでしょ。ほら、凛々子りりこさんとかヴィオラの瑞香みずかさんとか、あと智花ともかさんも筋トレとかしてる感じじゃないし。あとね」
 未乃梨は、自分のあばらから鳩尾の辺りにかけてを指差した。
「楽器を吹くのに使う横隔膜ってこの辺にあるらしいんだけど、身体の内側にある部分だし、ほんのちょっとしか動かないから、腹筋とかやって鍛えてもしょうがない、って前に先輩たちは話してたね」
「やっぱり、運動部とは違うんだね」
「そういうこと。吹部の練習も、色々変わってってる感じ」
 千鶴は、未乃梨と自分の鳩尾の辺りを見比べた。制服のブレザーの上から見ても、未乃梨の身体は女の子らしく華奢なのだった。
 運動部を経験している千鶴と、中学時代からずっと吹奏楽部で活動している未乃梨とは、大きく差のある身長は別にしても、確かに筋肉の付き方からして違っていて当然だった。その華奢な未乃梨がフルートを見事に吹いている辺り、トレーニングが特に必要ないというのも頷ける話だった。
 教室に着いてから、千鶴は教師が来るまでぼんやりと考えていた。
(部活のことばかり考えなくてもよくて、髪型もアクセすらも自由で、トレーニングもやらない緩い部活……もしかして、蘇我さんってそういうのが不満で、あんなに周りに当たってるのかなあ)
 そんな空想すら却ってできてしまうほど、蘇我の行動はある意味において奇妙だった。


 その日の放課後も、蘇我は吹奏楽部の練習に来ていないらしかった。コントラバスを借り出しに音楽室を未乃梨と訪れた千鶴は、蘇我の姿を思わず探して、いないと分かると安堵した。
 テューバとユーフォニアムのパートは他は全員揃っていて、スポーツ刈りの新木あらきや明るい色の髪を前下がりボブに揃えた植村うえむらに、名前も知らない三年生と思われる小太りの男子生徒がそれぞれ大きな金管楽器を手に練習場所を探しに行くところだった。
 凛々子が来るまで時間があった。千鶴と未乃梨は音出しと、それぞれの楽器でチューニングを始めた。

(続く)
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