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未乃梨の曇った表情を、凛々子は見逃さなかった。
(蘇我さんの中学時代の話を聞いて、他人事には思えなかった、というところかしら……確かに、千鶴さんのこと、好きになってしまうのは仕方がないわ)
凛々子は以前、夕方の校舎の薄暗くなった階段を下りる時に、千鶴がヴァイオリンケースを持っている凛々子を気遣ってくれたことを思い出した。
(あの時、千鶴さんに手を貸してと頼んでしまったけれど、嫌な顔をせず手を引いてくれたもの。未乃梨さんは、千鶴さんのその優しさを好きになったのね)
凛々子は、蘇我の件でわざわざ謝罪に来た新木と千鶴を見比べた。男子でしかもひとつ上の上級生の新木より、千鶴の身長は拳の幅ひとつほど高い。
それでも、なだらかではあってもはっきりとある胸の膨らみから腰のくびれを経て控えめに広がる骨盤の丸みや、コントラバスを弾くのに支障がないその手の大きさとは裏腹に、すらりとしなやかに伸びた指は、千鶴の女の子らしさを凛々子に印象付けていた。
(……でも。私も、千鶴さんの優しい手も、柔らかいコントラバスの響きも、多分未乃梨さんと同じくらい、好きかもしれない。……もし、このまま同じ相手を好きになったままなら――)
凛々子は巡らせた思いを立ち止まらせた。
(このことの解決は、無理に急がない方がいいのかもしれないわね。私たち三人とも、あやふや過ぎて何も見えていないもの)
未乃梨とコントラバスを仕舞いに行く千鶴が音楽室から出てくるのを、凛々子は廊下で待っていた。その間も、凛々子の中で立ち止まった物思いは消えていなかった。
音楽室から出てきた千鶴と未乃梨に続いて昇降口へと向かう間も、二人と他愛もない話をしながら凛々子は思いを巡らせていた。
(未乃梨さんは私と違って真っ直ぐで可愛いし、男の子より背が高くて格好いい千鶴さんとお似合いよね。でも)
凛々子の目の前で、未乃梨はいつの間にか千鶴と手をつないでいた。凛々子はそれを、嫉妬することなく微笑みながら見ていた。
「未乃梨さんたら、千鶴さんと手をつなぐの、本当に好きね」
「凛々子さんには、千鶴は渡しませんから!」
「もう。未乃梨ったら」
得意気な未乃梨と、恥ずかしそうではあるものの未乃梨を拒絶しない千鶴を間近で見ていられる自分が、凛々子は少し可笑しかった。
(蘇我さんの一件で、まさか私たちのことが浮き彫りになるなんて、ね)
昇降口を経て校門を出ると、凛々子は千鶴に振り向いた。
「千鶴さん、未乃梨さんをちゃんとエスコートするのよ。それではまた、明日ね」
「凛々子さんも、気をつけて」
「お疲れ様でした。千鶴、行こ」
手をつないで駅へと向かう二人の後ろ姿を、凛々子は穏やかな気持ちで見送った。
帰宅して自室のベッドに入ってから、千鶴は今日の部活のことを思い返した。
(蘇我さんが中学時代に付き合ってた先輩と、その先輩を蘇我さんから奪った高校の先輩……どんな人だろう。コントラバスをやってるって話だけど)
千鶴は、ふと蘇我とその過去に関わっているという二人が、自分の身の回りに通ずるような気がしてきていた。
(未乃梨だって、私が凛々子さんに練習を見てもらってるのを知った時はショック受けてたし、あんな風にこじれる危険だってあった訳だよね)
千鶴は、枕元のスマホを見た。
(未乃梨も、凛々子さんも、寝ちゃったかな)
なんとなく、千鶴は二人のどちらかに用もなくメッセージでも送ろうかと考えかけた。その送り先に、未乃梨と凛々子の両方が同時に浮かんでしまうのが、千鶴には甘いもどかしさのようなものを味あわせている。
(……こんなこと考えちゃうようじゃ、蘇我さんから『女の子を二人も侍らせて』とか、言われても仕方がない、よね)
千鶴はそろそろまどろみの淵にいた。眠りに落ちる前に千鶴は、未乃梨と凛々子を思い起こしていた。
(高校に入ってからもっと可愛くなった未乃梨と、大人っぽくて穏やかで何だか惹かれちゃう凛々子さんと……)
千鶴の中で、もつれた思いが、感じたことのない甘さを纏ったまま、解けずにいた。
翌日の朝、千鶴は未乃梨といつものように早めの時間に自宅の最寄り駅で待ち合わせた。未乃梨が来る前に、千鶴は髪を結ったリボンに手をやった。
出かける前に、千鶴は母親から「こういうのも似合うかもね。あんたも女の子なんだし、髪型ぐらいたまには変えなさいな」と、ヘアゴムでいつもよりやや高めに結ったショートテイルにダークブラウンのリボンを結んでもらったのだった。
程なくしてやってきた未乃梨は、千鶴の落ち着いた色合いのリボンに目を輝かせた。
「千鶴、今日の結び方可愛くない? いいじゃん!」
「これ、うちの母さんにやってもらったんだ。似合うかな」
千鶴のやや高めのショートテイルは、両耳の前に残したサイドの髪と相まって爽やかにまとまっていた。
音楽室に着いてから、先に入ってサックスの個人練習をやっていた高森は千鶴の髪型を見て「お、似合うね」と挨拶代わりのように告げた。
「ついでに私みたくピアスとかどう? 江崎さんなら似合うよ。……とか言いたいんだけど」
そこまで言って、高森は溜め息をついた。
「どうかしたんですか?」
小首を傾げた未乃梨に、高森はアシンメトリーに揃えた、黄色いメッシュの入っているボブの頭を掻いた。いつものピアスが、サイドの髪から覗く耳から見えている。
「テューバの一年生の経験者で蘇我さんっているじゃん? あの子妙に髪型にうるさくて、こないだ部活中にピアス外せとかメッシュやめろとか言ってきてさ。うちの高校、髪型も服装も規制ないのにねぇ」
千鶴と未乃梨は、思わず顔を見合わせた。
(蘇我さんの中学時代の話を聞いて、他人事には思えなかった、というところかしら……確かに、千鶴さんのこと、好きになってしまうのは仕方がないわ)
凛々子は以前、夕方の校舎の薄暗くなった階段を下りる時に、千鶴がヴァイオリンケースを持っている凛々子を気遣ってくれたことを思い出した。
(あの時、千鶴さんに手を貸してと頼んでしまったけれど、嫌な顔をせず手を引いてくれたもの。未乃梨さんは、千鶴さんのその優しさを好きになったのね)
凛々子は、蘇我の件でわざわざ謝罪に来た新木と千鶴を見比べた。男子でしかもひとつ上の上級生の新木より、千鶴の身長は拳の幅ひとつほど高い。
それでも、なだらかではあってもはっきりとある胸の膨らみから腰のくびれを経て控えめに広がる骨盤の丸みや、コントラバスを弾くのに支障がないその手の大きさとは裏腹に、すらりとしなやかに伸びた指は、千鶴の女の子らしさを凛々子に印象付けていた。
(……でも。私も、千鶴さんの優しい手も、柔らかいコントラバスの響きも、多分未乃梨さんと同じくらい、好きかもしれない。……もし、このまま同じ相手を好きになったままなら――)
凛々子は巡らせた思いを立ち止まらせた。
(このことの解決は、無理に急がない方がいいのかもしれないわね。私たち三人とも、あやふや過ぎて何も見えていないもの)
未乃梨とコントラバスを仕舞いに行く千鶴が音楽室から出てくるのを、凛々子は廊下で待っていた。その間も、凛々子の中で立ち止まった物思いは消えていなかった。
音楽室から出てきた千鶴と未乃梨に続いて昇降口へと向かう間も、二人と他愛もない話をしながら凛々子は思いを巡らせていた。
(未乃梨さんは私と違って真っ直ぐで可愛いし、男の子より背が高くて格好いい千鶴さんとお似合いよね。でも)
凛々子の目の前で、未乃梨はいつの間にか千鶴と手をつないでいた。凛々子はそれを、嫉妬することなく微笑みながら見ていた。
「未乃梨さんたら、千鶴さんと手をつなぐの、本当に好きね」
「凛々子さんには、千鶴は渡しませんから!」
「もう。未乃梨ったら」
得意気な未乃梨と、恥ずかしそうではあるものの未乃梨を拒絶しない千鶴を間近で見ていられる自分が、凛々子は少し可笑しかった。
(蘇我さんの一件で、まさか私たちのことが浮き彫りになるなんて、ね)
昇降口を経て校門を出ると、凛々子は千鶴に振り向いた。
「千鶴さん、未乃梨さんをちゃんとエスコートするのよ。それではまた、明日ね」
「凛々子さんも、気をつけて」
「お疲れ様でした。千鶴、行こ」
手をつないで駅へと向かう二人の後ろ姿を、凛々子は穏やかな気持ちで見送った。
帰宅して自室のベッドに入ってから、千鶴は今日の部活のことを思い返した。
(蘇我さんが中学時代に付き合ってた先輩と、その先輩を蘇我さんから奪った高校の先輩……どんな人だろう。コントラバスをやってるって話だけど)
千鶴は、ふと蘇我とその過去に関わっているという二人が、自分の身の回りに通ずるような気がしてきていた。
(未乃梨だって、私が凛々子さんに練習を見てもらってるのを知った時はショック受けてたし、あんな風にこじれる危険だってあった訳だよね)
千鶴は、枕元のスマホを見た。
(未乃梨も、凛々子さんも、寝ちゃったかな)
なんとなく、千鶴は二人のどちらかに用もなくメッセージでも送ろうかと考えかけた。その送り先に、未乃梨と凛々子の両方が同時に浮かんでしまうのが、千鶴には甘いもどかしさのようなものを味あわせている。
(……こんなこと考えちゃうようじゃ、蘇我さんから『女の子を二人も侍らせて』とか、言われても仕方がない、よね)
千鶴はそろそろまどろみの淵にいた。眠りに落ちる前に千鶴は、未乃梨と凛々子を思い起こしていた。
(高校に入ってからもっと可愛くなった未乃梨と、大人っぽくて穏やかで何だか惹かれちゃう凛々子さんと……)
千鶴の中で、もつれた思いが、感じたことのない甘さを纏ったまま、解けずにいた。
翌日の朝、千鶴は未乃梨といつものように早めの時間に自宅の最寄り駅で待ち合わせた。未乃梨が来る前に、千鶴は髪を結ったリボンに手をやった。
出かける前に、千鶴は母親から「こういうのも似合うかもね。あんたも女の子なんだし、髪型ぐらいたまには変えなさいな」と、ヘアゴムでいつもよりやや高めに結ったショートテイルにダークブラウンのリボンを結んでもらったのだった。
程なくしてやってきた未乃梨は、千鶴の落ち着いた色合いのリボンに目を輝かせた。
「千鶴、今日の結び方可愛くない? いいじゃん!」
「これ、うちの母さんにやってもらったんだ。似合うかな」
千鶴のやや高めのショートテイルは、両耳の前に残したサイドの髪と相まって爽やかにまとまっていた。
音楽室に着いてから、先に入ってサックスの個人練習をやっていた高森は千鶴の髪型を見て「お、似合うね」と挨拶代わりのように告げた。
「ついでに私みたくピアスとかどう? 江崎さんなら似合うよ。……とか言いたいんだけど」
そこまで言って、高森は溜め息をついた。
「どうかしたんですか?」
小首を傾げた未乃梨に、高森はアシンメトリーに揃えた、黄色いメッシュの入っているボブの頭を掻いた。いつものピアスが、サイドの髪から覗く耳から見えている。
「テューバの一年生の経験者で蘇我さんっているじゃん? あの子妙に髪型にうるさくて、こないだ部活中にピアス外せとかメッシュやめろとか言ってきてさ。うちの高校、髪型も服装も規制ないのにねぇ」
千鶴と未乃梨は、思わず顔を見合わせた。
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