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♯48
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「蘇我さんが私を嫌う理由って?」
「あのね。……上手く、言えないんだけど」
千鶴の疑問に、未乃梨は言いづらそうに答えた。
「蘇我さん、先輩を奪った奴が弾いてるのと同じ楽器、って言ってたじゃない。……弦バスって、吹奏楽以外の方が出番あるでしょ?」
「さもありなん、ってところね」
頷く凛々子に、千鶴は首を傾げた。
「どういうことですか?」
「管楽器だけの合奏の吹奏楽より、管も弦楽器も色んな楽器が集まるオーケストラみたいな編成の方が、コントラバスは活躍の機会は多いのよ。……蘇我さん、仲の良かった相手をコントラバスを弾く人に取られた、って可能性もありそうね」
千鶴は、眉をひそめかけた。
「だからって、コントラバスを弾いてるってだけで私に絡まなくても」
未乃梨はやや難しい顔をした。
「蘇我さん、あの様子だと、弦バスっていうか弦楽器そのものが嫌いになっちゃってると思うの。……どういう理由かは、まだわからないけど」
凛々子は軽く腕組みをすると、蘇我が出ていった教室の出口に目をやった。
「どちらにせよ、嫌な思い出のある楽器を弾いてるというだけであそこまで突っかかって来るのは幼稚としか言いようがないわ」
「……吹部の次の合奏でも、また私のことを睨んできたら嫌だなあ」
千鶴は、ぐったりと息をついた。
練習を終えて、未乃梨や凛々子と一緒にコントラバスを音楽室に返却しに行った千鶴を、見覚えのある男子の上級生が呼び止めた。
「江崎さん、ちょっといいかな」
千鶴はそのスポーツ刈りの上級生を見て、先日の合奏を思い出した。
「確か、テューバの……?」
「二年の新木です。この前は、蘇我が失礼を働いてしまってごめん」
新木は千鶴の目線に届かないスポーツ刈りの頭を下げた。
「いえ、そんな。先輩は悪くないですから」
「蘇我さんを止めてたのはフルートパートからも見えてましたし、気にしないで下さい」
千鶴に続いて、未乃梨も新木を気遣った。
「いや、高音のみんなにも迷惑掛けちゃってるし、あいつを指導してる俺にも責任はあるから、さ」
再び、新木は千鶴と未乃梨に頭を下げた。
「蘇我には、今日部活でそのことを注意するつもりだったんだけど、あいつ今日は来てなくて」
千鶴と未乃梨と凛々子は一斉に怪訝な顔をした。凛々子が、新木に尋ねた。
「妙ですね。実は彼女、私たちの練習に怒鳴り込んで来たんですが、そちらには顔を出してないのですか?」
「うわー……。あいつ、練習休んでよそのパートに喧嘩売りに行ってたのか。弦バスを目の敵にするのはやめろって、合奏の後でも言ったはずなのに」
新木はげっそりとした顔でうなだれた。
「あの、蘇我さんってなんでまた私に突っかかってきたんでしょうか?」
「話せば長くなるんだけどさ、実は――」
新木の話によると、蘇我がコントラバス奏者を毛嫌いしだしたのは中学時代までに遡るらしかった。
「あいつ、中学時代に付き合ってた吹部の先輩がいたらしいんだよ。おんなじテューバパートで、テューバもそいつに教わったんだとさ。それが、その先輩が卒業したあとで変わっちまったらしいんだよ」
「何があったんですか?」
疑問に思った千鶴が、目線を下げて改めて新木の顔を見た。
新木は渋い顔をした。
「卒業してすぐ、その蘇我の先輩と連絡が取れなくなったんだと。久しぶりに母校に顔を出したその蘇我の先輩、進学先の高校のオーケストラ部に入ってホルンに転向してて、蘇我はそれがショックだったらしいんだが、話はそれだけじゃないんだ」
千鶴と未乃梨は思わず固唾を飲んだ。凛々子は右眉をひそめると、緩くウェーブの掛かった長い黒髪を払った。
「読めて来ましたわ。その、オーケストラ部の先輩が」
「御名答。蘇我の先輩、もともと唇が薄くてテューバでも音を外したことはほとんどなかったらしいんだが、もっと向いてる楽器があるって言う理由でオーケストラ部に誘われて、そっちでテューバより管の細いホルンを吹くようになったんだけど、その誘った張本人がオケ部の部長で楽器が弦バス、っていうオチさ」
千鶴は「うっわー……」と声を漏らした。
「それ、悪いのは私でもコントラバスって楽器でもなくて、蘇我さんから乗り換えたその先輩じゃないですか」
「その通りなんだ。以来、蘇我は中学の部活でも他の部員には吹奏楽以外の練習には横槍を入れてたらしい。これはユーフォの二年の女子の植村《うえむら》から聞いたんだけど」
千鶴と未乃梨は、ユーフォニアムのパートに座っていた明るい髪色の前下がりボブの女子の上級生を思い出していた。
「その、ユーフォの先輩とも何かあったんですか?」
ここまで聞いた話で顔をげんなりと曇らせた未乃梨が、嫌な予感に更に眉をしかめた。
「大ありだよ。植村ってピアノも習ってて、合唱部の伴奏も頼まれるぐらい上手いんだけど、音楽室で昼休みにピアノを練習してたらテューバを吹きにきた蘇我と出くわして、『なんで部活に関係ないピアノなんか練習してるんですか』って、噛みつかれたのさ。その時に『ピアノ弾くのも勉強なんだけど。悪い?』ってキレた植村が、その場で蘇我に洗いざらい吐かせたんだとよ」
「全く。原因は私怨と八つ当たりだなんて」
呆れる凛々子に、未乃梨は不意に自分の中で引っかかりを感じた。
(……でも、蘇我さんを私に置き換えたら……)
未乃梨の中で、その引っかかりは急速に明確さを増した。
(もし千鶴が凛々子さんと一緒にいる機会が増えて、私と会わなくなっていったら、そんな風に誰かに八つ当たりをしないでいられるだろうか。私が、千鶴のことを凛々子さんに取られたら――)
未乃梨は、もはや別の理由で顔を曇らせていた。
(やっぱり、私、千鶴のことが好き。でも、部活とは関係なくても、凛々子さんのことは嫌いになりたく、ない)
(続く)
「あのね。……上手く、言えないんだけど」
千鶴の疑問に、未乃梨は言いづらそうに答えた。
「蘇我さん、先輩を奪った奴が弾いてるのと同じ楽器、って言ってたじゃない。……弦バスって、吹奏楽以外の方が出番あるでしょ?」
「さもありなん、ってところね」
頷く凛々子に、千鶴は首を傾げた。
「どういうことですか?」
「管楽器だけの合奏の吹奏楽より、管も弦楽器も色んな楽器が集まるオーケストラみたいな編成の方が、コントラバスは活躍の機会は多いのよ。……蘇我さん、仲の良かった相手をコントラバスを弾く人に取られた、って可能性もありそうね」
千鶴は、眉をひそめかけた。
「だからって、コントラバスを弾いてるってだけで私に絡まなくても」
未乃梨はやや難しい顔をした。
「蘇我さん、あの様子だと、弦バスっていうか弦楽器そのものが嫌いになっちゃってると思うの。……どういう理由かは、まだわからないけど」
凛々子は軽く腕組みをすると、蘇我が出ていった教室の出口に目をやった。
「どちらにせよ、嫌な思い出のある楽器を弾いてるというだけであそこまで突っかかって来るのは幼稚としか言いようがないわ」
「……吹部の次の合奏でも、また私のことを睨んできたら嫌だなあ」
千鶴は、ぐったりと息をついた。
練習を終えて、未乃梨や凛々子と一緒にコントラバスを音楽室に返却しに行った千鶴を、見覚えのある男子の上級生が呼び止めた。
「江崎さん、ちょっといいかな」
千鶴はそのスポーツ刈りの上級生を見て、先日の合奏を思い出した。
「確か、テューバの……?」
「二年の新木です。この前は、蘇我が失礼を働いてしまってごめん」
新木は千鶴の目線に届かないスポーツ刈りの頭を下げた。
「いえ、そんな。先輩は悪くないですから」
「蘇我さんを止めてたのはフルートパートからも見えてましたし、気にしないで下さい」
千鶴に続いて、未乃梨も新木を気遣った。
「いや、高音のみんなにも迷惑掛けちゃってるし、あいつを指導してる俺にも責任はあるから、さ」
再び、新木は千鶴と未乃梨に頭を下げた。
「蘇我には、今日部活でそのことを注意するつもりだったんだけど、あいつ今日は来てなくて」
千鶴と未乃梨と凛々子は一斉に怪訝な顔をした。凛々子が、新木に尋ねた。
「妙ですね。実は彼女、私たちの練習に怒鳴り込んで来たんですが、そちらには顔を出してないのですか?」
「うわー……。あいつ、練習休んでよそのパートに喧嘩売りに行ってたのか。弦バスを目の敵にするのはやめろって、合奏の後でも言ったはずなのに」
新木はげっそりとした顔でうなだれた。
「あの、蘇我さんってなんでまた私に突っかかってきたんでしょうか?」
「話せば長くなるんだけどさ、実は――」
新木の話によると、蘇我がコントラバス奏者を毛嫌いしだしたのは中学時代までに遡るらしかった。
「あいつ、中学時代に付き合ってた吹部の先輩がいたらしいんだよ。おんなじテューバパートで、テューバもそいつに教わったんだとさ。それが、その先輩が卒業したあとで変わっちまったらしいんだよ」
「何があったんですか?」
疑問に思った千鶴が、目線を下げて改めて新木の顔を見た。
新木は渋い顔をした。
「卒業してすぐ、その蘇我の先輩と連絡が取れなくなったんだと。久しぶりに母校に顔を出したその蘇我の先輩、進学先の高校のオーケストラ部に入ってホルンに転向してて、蘇我はそれがショックだったらしいんだが、話はそれだけじゃないんだ」
千鶴と未乃梨は思わず固唾を飲んだ。凛々子は右眉をひそめると、緩くウェーブの掛かった長い黒髪を払った。
「読めて来ましたわ。その、オーケストラ部の先輩が」
「御名答。蘇我の先輩、もともと唇が薄くてテューバでも音を外したことはほとんどなかったらしいんだが、もっと向いてる楽器があるって言う理由でオーケストラ部に誘われて、そっちでテューバより管の細いホルンを吹くようになったんだけど、その誘った張本人がオケ部の部長で楽器が弦バス、っていうオチさ」
千鶴は「うっわー……」と声を漏らした。
「それ、悪いのは私でもコントラバスって楽器でもなくて、蘇我さんから乗り換えたその先輩じゃないですか」
「その通りなんだ。以来、蘇我は中学の部活でも他の部員には吹奏楽以外の練習には横槍を入れてたらしい。これはユーフォの二年の女子の植村《うえむら》から聞いたんだけど」
千鶴と未乃梨は、ユーフォニアムのパートに座っていた明るい髪色の前下がりボブの女子の上級生を思い出していた。
「その、ユーフォの先輩とも何かあったんですか?」
ここまで聞いた話で顔をげんなりと曇らせた未乃梨が、嫌な予感に更に眉をしかめた。
「大ありだよ。植村ってピアノも習ってて、合唱部の伴奏も頼まれるぐらい上手いんだけど、音楽室で昼休みにピアノを練習してたらテューバを吹きにきた蘇我と出くわして、『なんで部活に関係ないピアノなんか練習してるんですか』って、噛みつかれたのさ。その時に『ピアノ弾くのも勉強なんだけど。悪い?』ってキレた植村が、その場で蘇我に洗いざらい吐かせたんだとよ」
「全く。原因は私怨と八つ当たりだなんて」
呆れる凛々子に、未乃梨は不意に自分の中で引っかかりを感じた。
(……でも、蘇我さんを私に置き換えたら……)
未乃梨の中で、その引っかかりは急速に明確さを増した。
(もし千鶴が凛々子さんと一緒にいる機会が増えて、私と会わなくなっていったら、そんな風に誰かに八つ当たりをしないでいられるだろうか。私が、千鶴のことを凛々子さんに取られたら――)
未乃梨は、もはや別の理由で顔を曇らせていた。
(やっぱり、私、千鶴のことが好き。でも、部活とは関係なくても、凛々子さんのことは嫌いになりたく、ない)
(続く)
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